
連載「クラシック・ レコードレーベルと演奏家・録音の100年」。エジソンによるレコード発明から、来年2027年で150年。そのうち、電気録音が実用化された1925年からの100年間をメインとして、クラシックのレコードレーベルと、そこで活躍した主要な指揮者や演奏家の話を、時代を追って書いていこうというものである。
第2回以降はレーベルごとに、モノラルLP時代の主要なアーティストとその代表的な録音を中心にふり返っていく。
第4回は、イギリスを代表する世界的レーベル、EMI傘下にあった、それぞれの個性が光る英コロンビアとHMVについて。
◎連載第1回「LPによるレーベル拡大期(1950~60 年代)その1」はこちら
◎連載第2回「LPによるレーベル拡大期(1950~60 年代)その2」はこちら
◎連載第3回「LPによるレーベル拡大期(1950~60 年代)その3」はこちら
2013年にワーナー・クラシックスに吸収されたEMIレコードのクラシック部門は、かつてはイギリスを代表する、世界的な存在だった。
元々は、グラモフォン(HMV)と英コロンビアというイギリスの二大レコード会社が、世界大恐慌による不況を乗りきるために、1931年に合併して生まれたものである。EMIは、大陸側でもフランスのパテ・マルコーニやドイツのエレクトローラを支社とし、それぞれの国でもレコード制作と販売を行なっていた。
我が国では、1962年からは東芝音楽工業(後に東芝EMIをへてEMIミュージック・ジャパンと改称)が、EMI傘下のレーベルの音源をまとめて国内盤として販売していた。1973年には本国でもEMIレーベルに統一されている。そのためか、現代の日本ではHMVと英コロンビアという2つのレーベル(ほかにパーロフォンもあった)の違いは、あまり意識されていない。しかし、とりわけ1950年代までは、EMI傘下の各レーベルは有名なアビーロード・スタジオなどの設備や機材を共有し、レパートリーの調整などの融通は互いにはかりつつも、所属アーティストやスタッフが、明確に異なっていたのである。
ここではそれぞれの個性を際だたせるために、レーベルごとに論じていくことにする。
英コロンビア
指揮者:ヘルベルト・フォン・カラヤン、オットー・アッカーマン、オットー・クレンペラー、トゥリオ・セラフィン、ヴィクトル・デ・サバタ
オーケストラ:フィルハーモニア管弦楽団、ミラノ・スカラ座管弦楽団、バイロイト祝祭管弦楽団
ピアノ:ディヌ・リパッティ、ヴァルター・ギーゼキング、ジェラルド・ムーア
ヴァイオリン:ヨハンナ・マルツィ、ダヴィド・オイストラフ
歌手:マリア・カラス(S)、エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)、ジュゼッペ・ディ・ステファノ(T)、ニコライ・ゲッダ(T)、ティト・ゴッビ(Br)、エーリヒ・クンツ(Br)、ハンス・ホッター(Bs-Br)
モノラルLP期のEMIグループを牽引したのは、なんといっても英コロンビアである。ウォルター・レッグ(1906~79)という敏腕プロデューサーがいたからだ。
レッグは20歳でHMVに入社、予約購入者を募ることで大作や全集の録音を可能にする協会方式を発案して、1930年代から活躍していたが、後にコロンビアに移った。第二次世界大戦の終戦直後にはチューリヒやウィーンを訪れ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、エトヴィン・フィッシャー、ヴィルヘルム・バックハウスなどのベテランとは戦争で途絶えていたHMVの録音契約を更新し、さらにヘルベルト・フォン・カラヤン、エリーザベト・シュヴァルツコップ、ハンス・ホッター、ディヌ・リパッティなど、イギリスでは知られていなかった明日の大スターを次々と発掘、ほどなくしてコロンビアとの専属契約を実現した。
自伝においてかれは、高らかに宣言している。
私はレコードの、いわゆる「プロデューサー」の元祖だ。私が自我と構想を確立する以前には、どこの会社のレコード・マネージャーも『音楽家がふだん歌劇場や演奏会場でやっているものを、できるだけうまくワックス盤に収めるためにスタジオにいる』という態度だった。(略)私の考えは違う。未来の実演や演奏家たちを評価するとき、その規範となりうるレコードをつくるのが望みだ――自分の時代の最上の演奏の実例を、数多く後世に遺すことである
出演者と曲目の適切な選択に加えて、長時間収録と編集が可能なテープ録音とLPの登場が、「レッグ・ザ・プロデューサーの時代」を到来させたのである。
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