
好評配信中の生誕100年特別連載『週刊フィッシャー=ディースカウ』第16回、第17回では、フィッシャー=ディースカウ(以下DFD)が歌ったヴェルディ/プッチーニの全曲盤を詳細に辿っています。文中でも言及されている通り、DFDのヴェルディ歌唱には賛否両論あったようですが、一つ確実に言えるのは、ドイツのバリトン歌手が、ここまで網羅的にヴェルディのレコードを遺しえた例は空前絶後だということ。今回の編集後記では、そのDFDがいわばイタリア・オペラ界にチャレンジをかけた1950年代~80年代、本家イタリアで、いかに「ヴェルディ・バリトン」の逸材たちが群雄割拠し、イタリア・オペラが真の黄金時代を迎えていたかを、レコード・ジャケットと共に辿ります。
よく言われるように「ヴェルディ・バリトン」という言葉には特別な意味がある。当然ながら単にリゴレットやファルスタッフなどの役が物理(音域)的に歌えればそれでいいというわけではないし、ネイティヴ・イタリアンのバリトンであれば誰でも、というわけでもない(米国や東欧出身の逸材はたくさんいる)。発声、ヴェルディの様式感、役への没入など、全ての要素が満点でなければ「ヴェルディ・バリトン」の “尊称” は与えられない。そうした観点から、まずは歴史に名を残す真のヴェルディ・バリトンを厳選して、生年順に挙げてみる(※=編集部セレクト代表的全曲盤)。
●チェーザレ・バルデッリ(1910~2000)Cesare Bardelli
※サンティ指揮タッカー共演《カヴァレリア・ルスティカーナ》アルフィオ〈1964(L)〉[Sony]
●レナード・ウォーレン(1911~60)Leonard Warren
※プレヴィターリ指揮ディ・ステーファノ共演《運命の力》ドン・カルロ〈1958〉[RCA]
●ティート・ゴッビ(1913~84)Tito Gobbi
※エレーデ指揮デル・モナコ共演《オテッロ》イアーゴ〈映像1959(L)〉[キングレコード]
●ジーノ・ベーキ(1913〜93)Gino Bechi
※パタネ指揮モッフォ共演《椿姫》ジェルモン〈映画1968〉[VAI]
●パオロ・シルヴェーリ(1913~2001)Paolo Silveri
※プレヴィターリ指揮カニーリャ共演《ドン・カルロ》ロドリーゴ〈1951〉[Fonit Cetra]
●ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(1914〜2004)Giuseppe Valdengo
※ライナー指揮ウォーレン共演《ファルスタッフ》フォード〈1949(L)〉[Sony]
●ジュゼッペ・タッデイ(1916~2010)Giuseppe Taddei
※カラヤン指揮パネライ共演《ファルスタッフ》題名役〈1982〉[Philips/DG]
●ロバート・メリル(1917~2004)Robert Merrill
※シッパース指揮コレッリ共演《トロヴァトーレ》ルーナ伯爵〈1964〉[EMI]
●アンセルモ・コルツァーニ(1918~2006)Anselmo Colzani
※サンティ指揮コレッリ共演《道化師》トニオ〈1964(L)〉[Sony]
●アルド・プロッティ(1920~95)Aldo Protti
※エレーデ指揮デル・モナコ共演《オテッロ》イアーゴ〈1954〉[Decca]
●エットレ・バスティアニーニ(1922~67)Ettore Bastianini
※セラフィン指揮ベルゴンツィ共演《トロヴァトーレ》ルーナ伯爵〈1962〉[DG]
●コーネル・マクニール(1922~2011)Cornell MacNeil
※レヴァイン指揮ストラータス共演《椿姫》ジェルモン〈映像1982〉[DG]
●フランク・グアッレーラ(1923〜2007)Frank Guarrera
※トスカニーニ指揮ヴァルデンゴ共演《ファルスタッフ》フォード〈1950〉[RCA]
●ロランド・パネライ(1924~2019)Rolando Panerai
※モリナーリ=プラデッリ指揮ボニゾッリ共演《リゴレット》題名役〈1977〉[Acanta]
●ジャンジャコモ・グエルフィ(1924~2012)Giangiacomo Guelfi
※クエスタ指揮コレッリ共演《アイーダ》アモナズロ〈1955〉[Fonit Cetra]
●マッテオ・マヌグエラ(1924~98)Matteo Manuguerra
※ムーティ指揮スコット共演《ナブッコ》題名役〈1977〉[EMI/Warner]
●ピエロ・カップッチッリ(1926~2005)Piero Cappuccilli
※アバド指揮フレーニ共演《シモン・ボッカネグラ》題名役〈1977〉[DG]
●マリオ・ザナーシ(1927~2000)Mario Zanasi
※ファブリティース指揮ステッラ共演《仮面舞踏会》レナート〈映像1967(L)〉[キングレコード]
●ニコレ・ヘルレア(1927~2014)Nicolae Herlea
※リトヴィン指揮スピース共演《運命の力》ドン・カルロ〈1975〉[Vox]
●イングヴァル・ヴィクセル(1931〜2011)Ingvar Wixell
※シャイー指揮パヴァロッティ共演《リゴレット》題名役〈映画1982〉[Decca]
●シェリル・ミルンズ(1935~ )Sherrill Milnes
※ムーティ指揮コッソット共演《マクベス》題名役〈1976〉[EMI/Warner]
●レナート・ブルゾン(1936~ )Renato Bruson
※ジュリーニ指揮ヌッチ共演《ファルスタッフ》題名役〈1982〉[DG]
●ジョルジョ・ザンカナロ(1939~ )Giorgio Zancanaro
※ジュリーニ指揮《トロヴァトーレ》ルーナ伯爵〈1984〉[DG]
●シルヴァーノ・カッローリ(1939〜2020)Silvano Carroli
※ラハバリ指揮ランベルティ共演《トスカ》スカルピア〈1990〉[Naxos]
●レオ・ヌッチ(1942~ )Leo Nucci
※シャイー指揮パヴァロッティ共演《リゴレット》〈1988〉[Decca]
ここからは、ジャケット写真とともにヴェルディの名唱を作品別にランダムに振り返る。ヴェルディは常にバリトンに重要な役割を担わせたが「タイトルロール」となると主要作では《ナブッコ》《マクベス》《リゴレット》《シモン・ボッカネグラ》《ファルスタッフ》の5作。それぞれジャケットを歴代のヴェルディ・バリトンが飾っている。




まず本文冒頭のメイン写真はカップッチッリ。1970~80年代、一世を風靡したリゴレットであり、シモン・ボッカネグラだった。彼の2歳先輩パネライのリゴレット(上左)は、マッチョなカップッチッリとは対照的に、人間の弱さ、悲哀も感じさせる歌唱。プロッティ(上右)は、1961年NHKイタリア歌劇団で同役を披露、力強い歌唱が身上だ。米国のヴェルディ・バリトン中興の祖とも言えるウォーレン(下左)もネイティヴに劣らない言葉さばきが見事。4人目は、何度もの来日で我々にはお馴染みのブルゾン(下右)、道化の心を襞を十全に歌い出した。




20世紀の代表的ファルスタッフとなるとタッデイ(上左)とブルゾン(上右)がまず思い浮かぶ。二人とも単純な喜劇役者ではなく、気品を失わず一言一言の台詞に重みがあって、ファルスタッフが「サー」の付く騎士(ナイト)であることを思い出させてくれる。ウォーレン(下左)とゴッビ(下右)は、イアーゴなど悪役のイメージだが、その正反対の役どころが妙にハマる。なおウォーレンの当ライヴ盤では同時期の名ファルスタッフでもあったヴァルデンゴ(ジャケット右端)がフォード役に回っている。




最後は駆け足で。カップッチッリ(上右)が今度は鉄板のナブッコ役で再登場。ウォーレン(上右、右端)は3回目の登板だが、ウォーレンにとって《運命の力》レナートは彼の最期の役となった(1960年3月METの舞台で第3幕途中で倒れてそのまま死去)運命の役。ここまでなぜか世紀のヴェルディ・バリトン、バスティアニーニ(下左)が未登場だったが(意外にも彼をジャケット表紙にしたヴェルディ全曲盤は少ない)英国ロイヤル・オペラの《仮面舞踏会》で、彼の当たり役の一つレナートの写真を発掘! 当1962年2月のライヴ音源では、充分に張りのある美声を聴ける(その5年後に癌により死去)。最後の最後は、1987年収録のオペラ映画(下右)ヌッチのマクベス(レディ役はシャーリー・ヴァーレット)。もちろん彼の後にもヴェルディ・バリトンの逸材は次々現れているとは思うが、個人的には、綺羅星の如くヴェルディ・バリトンたちが覇を競っていた1950~70年代から半世紀を経た今、かつてのオペラ王国には若干の翳りがあるような気がしなくもない。
選・文=編集部(Y.F.)