週刊フィッシャー=ディースカウ連載
【生誕100年 特別連載】金曜夜はDFDの銘盤を。-不定期編集後記

名歌手で聴く《マタイ受難曲》
『週刊フィッシャー=ディースカウ』スピンオフ編

好評配信中の生誕100年特別連載『週刊フィッシャー=ディースカウ』第9回第10回ではバッハ《マタイ受難曲》(および《ヨハネ受難曲》)を取り上げ、そこでイエスとバス・アリアを歌ったフィッシャー=ディースカウ(以下、DFD)の盤歴を詳細に辿っています。2カ月遅れの「編集後記」ということになりますが、ここではDFD時代(1950年代末~1980年代)に生まれた《マタイ受難曲》の名盤の数々を、DFDに優るとも劣らぬ名唱を聴かせた名ソプラノ、名アルト、名テノール(名バリトンも少々)に的を絞って再点検してみたいと思います。

「今さらカール・リヒターの《マタイ受難曲》?」という声が聞こえてきそうなのは重々承知で、さらにミュンヒンガーの、あるいはカラヤンの、クレンペラーの、ヨッフムの、ショルティの《マタイ受難曲》を愛聴してます、なんて臆面もなく言うのはちょっと勇気が要る。ただしここで話題にしたいのは、指揮者の解釈ではなく、そこに登場する名歌手たち。ここ数十年で風景がすっかり一変してしまったバッハの演奏スタイルが、こと声楽(歌唱)に限ってみると、意外に変わっていないのでは、という気もする。少なくとも、モダン楽器のフル編成オーケストラによるバッハの “時代遅れ” 感に比して、例えばDFDが歌うイエスを、ペーター・シュライアーが語る福音史家を、今あらためて聴いて、こりゃ古臭くて聴いてらんないや、と感じる人はそれほど多くないのでは、とも思うんだがどんなもんだろう。まずは前提として、そうした「名歌手の時代」(仮にDFDが引退する1992年を下限としてみた)に産み出された主なセッション録音(含ライヴ録音、映像)を年代順にざっとさらってみた。

1958①リヒター指揮ミュンヘン・バッハo[Archiv
1958➁ヴェルナー指揮プフォルツハイム室内o[Erato]
1960③クレンペラー指揮フィルハーモニアo[EMI/Warner
1964④ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内o[Decca]
1965⑤ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウo[Philips/Decca
1969⑥リヒター指揮ミュンヘン・バッハo(L)[Altus
1969⑦ゲンネンヴァイン指揮コンソルティウム・ムジクム[EMI/Warner]
1970⑧マウエルスベルガー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウスo[Berlin Classics
1970⑨アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス[Teldec]
1971⑩リヒター指揮ミュンヘン・バッハo(映像)[DG
1972⑪カラヤン指揮ベルリンpo[DG]
1978⑫リリング指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団[Sony]
1979⑬リヒター指揮ミュンヘン・バッハo[DG
1982⑭コルボ指揮ローザンヌ室内o[Erato
1984⑮ヘレヴェッヘ指揮シャペル・ロワイヤル[Harmonia Mundi]
1984⑯シュライアー指揮ドレスデン国立o[Philips/Decca]
1985⑰アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウo[Teldec]
1987⑱ショルティ指揮シカゴso[Decca
1988⑲ガーディナー指揮イギリス・バロックo[Archiv
1989⑳レオンハルト指揮ラ・プティット・バンド[Harmonia Mundi]
1992㉑コープマン指揮アムステルダム・バロックo[Erato]

“ドリームキャスト”のミュンヒンガー盤
錚々たる低声陣のゲンネンヴァイン盤
二大テノール揃い踏みのショルティ盤

さてここからが本論。まずは《マタイ受難曲》全曲のハイライトとも言える第39番のアリア「Erbarme dich, Mein Gott」を歌う名アルトから。

■アルト・ソロ
マルガ・ヘフゲン(④⑤⑥)とヘルタ・テッパー(①)が極め付きで、この二人には誰も敵わない気もするが、個人的にはベーム指揮バイロイト祝祭の《指環》フリッカ役でさんざん聴き倒したアンネリース・ブルマイスター(⑧)の声にも親しみがある。またユリア・ハマリ(⑦⑩⑫)は中庸の美とでも言おうか、安心して身を委ねられる。なお、ブリギッテ・ファスベンダーがゲンネンヴァイン指揮《ヨハネ受難曲》の方で素晴らしいアルト・ソロを聴かせており、番外として挙げておく。

■ソプラノ・ソロ
バッハのスペシャリスト、アグネス・ギーベル(➁⑤)の名前がまず挙がるが、それ以外にもズラリ歴代の名ソプラノが並ぶ。古い順でいくと、イルムガルト・ゼーフリート(①)エリー・アメリング(④)テレサ・ジリス=ガラ(⑦)ヘレン・ドナート(⑩)グンドゥラ・ヤノヴィッツ(⑪)エディト・マティス(⑬)いずれも外せないが、絶対に聴き逃せないのがアーリーン・オジェー(⑫⑰)。彼女のひたむきな歌唱を聴くたび、どうしても53歳の若さで早逝した悲劇的な運命に思いが至ってしまう。

■福音史家&テノール・ソロ
エルンスト・ヘフリガー(①⑤⑥)とペーター・シュライアー(⑧⑩⑪⑬⑯)が双璧で、興味深いのはこの二人が、静と動とでも言おうか実に対照的な福音史家だったこと。1970年代ではもう一人、アダルベルト・クラウス(⑫)も重要。その後の福音史家では、最高のピーター・グライムズでもあったアントニー・ロルフ・ジョンソン(⑲)が圧倒的に印象が強い。20世紀後半に至って、こんなに彫りの深い「語り」が聴けるとは! その世代ではハワード・クルック(⑮)とクリストフ・プレガルディエン(⑳)もなかなかの高テンション。もう一人、モーツァルト歌いとして一世を風靡したハンス=ペーター・ブロッホヴィツ(⑱)も必聴。
テノール・アリアでは、フリッツ・ヴンダーリヒ(④)とニコライ・ゲッダ(③⑦)が、バッハにしてはちょっと甘口かも知れないが、やはりそれぞれ持ち前の美声にまいってしまう。隠れた名唱としてアルド・バルディン(⑫)も発声の良さが光り、元々音源が少ない歌手でもあり超貴重。その他ヘフリガー、シュライアー(いずれも福音史家との兼務)、ロルフ・ジョンソン(⑭⑱)プレガルディエン(㉑)ブロッホヴィツ(⑮)にはテノール・アリアの方も録音があって、福音史家とは一味異なる歌唱が聴けるのも嬉しい。

■イエス&バス・ソロ
連載本編の方で、DFDのイエス&バス・ソロが詳細に解説されているので、ここで言及するのはその他の名バリトン/名バスということになるが、まず筆頭に挙がるイエスがテオ・アダム(⑧⑯)。噛んで含めるようなドイツ語がイエスそのもの。この世代の隠れたイエスとなると、名ザラストロでもあり《クリスマス・オラトリオ》で圧倒的な低音を聴かせたフランツ・クラス(⑦)が朗々と歌っていて楽しめる(⑤のバス・ソロも同様に聴き応え)。DFDの弟子筋という点ではアンドレアス・シュミット(⑲)が師匠直伝のイエスを披露。バス・アリアでは、ヘルマン・プライ(⑦)とヴァルター・ベリー(⑩⑪)が朴訥で温かみがあって良かったが、トム・クラウセ(④⑱)ロベルト・ホル(⑯、他に⑰のイエスも)の二人がもう少し辛めの歌い口でアリア「Mache dich, mein Herze, rein」を歌って《マタイ》をぴりっと締めている。

アグネス・ギーベル(アルバム「バッハを歌う」より)
アーリーン・オジェー(リリングとのバッハ・アリア集)
アントニー・ロルフ・ジョンソン(Hyperion シューベルト歌曲シリーズより)

選・文=編集部(Y.F.)

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