柴田南雄『名演奏のディスコロジー』 #8

第8回(1976年8月号)ストラヴィンスキー《春の祭典》

復刻!柴田南雄の名連載レコ芸アーカイブ
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アバド=ロンドンsoによる『ストラヴィンスキー:春の祭典』[DG]ジャケット

柴田南雄の連載、「名演奏のディスコロジー」の再掲載8回目です。
『レコード芸術』1976年1月号から77年12月号まで、計22回続いた本連載の第8回は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《春の祭典》! 当時の最新盤、マゼール=ウィーン・フィル、アバド=ロンドン響の音盤を中心に、さまざまな録音が登場します。

※文中の記述・事実関係などはオリジナルのまま再録しています。(今日では不適切と思われる表現も含まれますが、原典を尊重してそのまま掲載いたします)
※文中レコード番号・表記・事実関係などは連載当時のまま再録しています。

ヴィーン・フィルがマゼールの指揮ではじめて《春の祭典》を録音し(ロンドン SLA1086)、ティルソン・トーマスとラルフ・グリヤスンによるピアノ四手版の新録音(エンジェル EAC80274)も現われるというので、この機会に旧盤もきき直しながら、気になっていたブージー・ホークスのポケット・スコアの47年版と67年版の異同も確かめておこう、と思って旧盤もあれこれ引っぱり出し、この稿も全体の3分の2くらいまで書き進めた時点で、突如(ああ、何とわたくしの遅耳)クラウディオ・アバドとロンドン交響楽団の新録音が出ることがわかり(ポリドール MG1012)、あわててレコードの手配を頼み、締切寸前にそれをきくことができた。したがってこの稿の3分の2くらいまでは、アバドの《祭典》を知らぬわたくしが書いている、と御承知願いたい。何しろ締切時間をとうに過ぎていて、全体を改稿する暇がないのです。

わたくしにとって《春の祭典》のもっとも印象の深かった演奏といえば、ジャン・マルティノンが最初に来日した時にN響定期に出演して、何と《ペトルシュカ》《火の鳥》《春の祭典》の3曲(演奏順)を振った時である。1953年11月17、18両日の第351回定期、あれはその翌年4、5月のカラヤンのN響指揮に劣らぬ強烈な印象を残した。マルティノンは休憩後の《春の祭典》の時に襟に真赤なバラを挿して登場したっけ。とにかくマルティノンの《祭典》は1つのイヴェントだった。近頃のオーケストラの定期には、プログラム作りを含めて、ああいうふうに何年経っても忘れないような事件はほとんどなくなった。先日の都響のペンデレツキ指揮によるオール自作曲などはじつに稀なチャンスだった。だのに、いつも超満席の都響定期に棄権者とおぼしき空席がちらりほらりと見えたのは、わたくしなどにはまったく判らないことだった。何をさて置いても聞いておく値打があったことはたしかなのだが。余談はさておき、マルティノンがわれわれに《祭典》の基本的、かつ正統的イメージを与えてくれたあと、日本フィルの定期でイゴール・マルケヴィッチがこの曲を振ったのが記憶に残っているが、それはだいぶあとの1960年9月23日のことになる。しかし、この時点で日フィルが《祭典》を演奏したことはもはや事件ではあり得なかった。7年前のN響の壮絶な闘いなどはあり得なかった。それより、マルケヴィッチがたしか当時の『芸術新潮』に寄稿して、自分はレコードに《祭典》を疑音してから世界中どこへ行っても《祭典》のスペシアリストをして扱われて困る。ほんとうはシェーンベルクの《管弦楽の変奏曲》のような音楽の方が立派であると思っているのに、なかなか、ああいう曲を振る機会がない、という意味のことを書いていたのを思い出す。いわば欧化したロシア人という共通項のゆえに、ストラヴィンスキーばかりやらされるのが迷惑と言いたいような発言だった。しかし、彼は《兵士の物語》だって上手いのだからある意味では致し方ない。

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