インタビュー

チェリビダッケと共に歩んだ伝説のホルン奏者が語る、巨匠の真実

ヴォルフガング・ガーク氏(ミュンヘンのイザール・フィルハーモニーに設置されているチェリビダッケの胸像と共に)

インタビュー・文=西村 祐(フルート奏者・音楽評論)
通訳=岡本和子
取材協力=ワーナーミュージック・ジャパン

ブルックナー:交響曲第7番

セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
〈録音:1984年1月31日(L)〉
[ワーナー・クラシックス(S)WPCS13871] SACDハイブリッド

ブルックナー:交響曲第8番

セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
〈録音:1984年4月4日(L)〉
[ワーナー・クラシックス(S)WPCS13872~3] SACDハイブリッド

ブルックナーの未発表録音の発売を記念し、当時の首席ホルン奏者のヴォルフガング・ガーク氏にインタビュー

 チェリビダッケとミュンヘン・フィルのブルックナー録音に、これまで正規盤としては未発表だった交響曲第7番(1984年ライヴ)と第8番(1985年ライヴ)が新たに加わった。音源のマスターテープの行方がこれまでわからなかったが、つい最近オーケストラのアーカイブから発見されたものである。今回、当時の首席ホルン奏者のひとりで、チェリビダッケの信頼が非常に篤かったヴォルフガング・ガーク氏にオンライン・インタビューを行なうことができた。

――チェリビダッケとの出会いは、1979年に彼がミュンヘン・フィルのポストに就任したときでしょうか?

ガーク 私はその時すでにミュンヘン・フィルにいたのですが、実は彼との出会いはもっと古く、私が1970年代にバンベルクのオーケストラで吹いていた時からなのです。その後私はシュトゥットガルトに移りましたが、彼もそこに来ていましたし。

――その頃のチェリビダッケにはどんな印象をお持ちでしたか?

ガーク バンベルクの頃は我々もどんな指揮者なのか全く知らずにいましたが、初めて一緒にツアーを回ることになったのです。ツアーの時にはリハーサルも少なかったのですが、その後テレビの収録になった時にはものすごく細かな練習で、それが印象的でした。当時から室内楽的な響きをとても重視していましたが、ミュンヘンまでずっとそうでしたね。

――リハーサルはどんな感じだったのでしょう

ガーク 始まる前に論理的な話、哲学的な話を15分くらいするんです。そのあと音楽に入っていく。彼が一貫して求めていたのは、各自が自由に音を出すことでした。それが室内楽的に演奏するということにつながっているのですが、各自がお互いの音をよく聴くように、とは常に言っていました。そして一人一人のプレイヤーが、どこで、どういうふうに、またなぜその音を出すのか、ということをしっかりと理解した上で演奏するように、とも言っていました。

――逆にチェリビダッケがオーケストラから刺激を受けるとか、影響されるということはありましたか?

ガーク いいえ、全く。彼は若い頃から音楽の主張がはっきりしていて、それが年齢を重ねるにつれて強くなっていった面はあるかもしれませんが、根本的なところは変わっていません。

Photo from Wolfgang Gaag’s private photo collection

――本番で何か意図しないようなことや演奏上のミスが起こった場合はどうでしたか?

ガーク もちろん本番ですからいろいろミスは起こるものですが、彼は全く気にしていませんでした。それよりも彼が烈火のごとく怒るのは、オーケストラが彼の意図を理解していない時や表層的な音を出した時。そして、常にオケの側から音が自然に発生していくことを望んでいたので、流れを無視して故意に個人的な解釈で音を出した時です。そして自分の求める音が出るまで徹底的に練習を繰り返しました。

――厳しい練習でもあったと思うのですが、それに対してオケが萎縮することはなかったですか?

ガーク それは決してありませんでした。爆発することはあっても悪意があるわけではなく、また個人攻撃も一切しませんでした。彼は本当に音楽のためだけにリハーサルしていたのだということをオケもみんなわかっていたので、時間が経つにつれてお互いの信頼は深くなって、非常に良い関係が続いていたと思います。

――彼の指揮は演奏しやすかったですか?

ガーク 指揮はとても正確で、身体言語も明確なのでとても演奏しやすかったですね。しかも自分の意図している解釈がオケに伝わっていることがわかれば、あとは本当に自由に演奏させてくれましたし。

――チェリビダッケとのエピソードで印象的なのは?

ガーク 一度私にドイツの別の都市の音楽学校から教授の声がかかったことがあります。その時にはミュンヘンからは離れなければならないのですが、それを聞きつけたチェリビダッケがわざわざ私の自宅まで「お前はやめてはならない。オケを続けなければならない」と言いに来たのです。私が「50歳も過ぎたので先々を考えたら」と言ったら、「僕が指揮している間はずっと吹き続けてほしい。教授のポストはもっと後でもオファーするところが出てくるはずだから、お前はまだオケをやめてはならぬ」と諭されました。それで結局ミュンヘンに残ることにしたのです。

Photo from Wolfgang Gaag’s private photo collection
プライベートでもチェリビダッケと親交のあったガーク氏。インタビューでは、サッカー好きで知られるチェリビダッケがガーク氏の自宅で、しばしば一緒にテレビ観戦したエピソードも披露してくれた。

音楽に内在する神秘に触れる、チェリビダッケ流アプローチ

――チェリビダッケのブルックナーについてお聞かせください。

ガーク 多くの指揮者はブルックナーをオルガン奏者だったという外観的なところから解釈します。でもチェリビダッケは音楽に内在する神秘的な部分、内的なところからブルックナーに迫り、そこにある価値を捉えてオケや聴衆に伝えていこうとしていました。それはブルックナーに限らず、どの作曲家についてもそうでした。

――日本公演のビデオを拝見すると、ガークさんはブルックナーの7番と8番ではワーグナー・テューバを吹いておられますね。

ガーク そうでしたっけ?(笑) いつも、というわけではありませんでしたね。音程などが難しい楽器なので、今回は吹き慣れている人が吹いた方がいいだろう、という感じで同僚と相談しながら決めていました。

――ホルン奏者として吹いていて一番気持ちのいい作品は?

ガーク それはやはりブルックナーの4番です! とても難しい作品ですが、吹き終わった時の満足感というか、達成感がすごいんです。第3楽章も楽しいし、フィナーレの最後の部分などはホルン冥利に尽きますね。
 最後に一言だけ言わせてください。彼ほど作品の意味を知っている指揮者はいません。また彼は、アンサンブルの中声部をしっかりと鳴らすことができる指揮者でした。テンポもゆっくりでしたが、だからこそ、埋もれてしまいがちな内声部をひとつひとつ浮き上がらせることができ、作品にとって最も重要な声が聴こえるように演奏できたのです。そんな人は他にいません。そして、音楽と演奏家に最大の敬意を払う、そういう指揮者だったのです。

――ありがとうございました。

 Photo from Wolfgang Gaag’s private photo collection

ヴォルフガング・ガーク Wolfgang Gaag 
1943年、バイエルンのヴァルトザッセン生まれ。ベルリン工科大学で音響工学を学ぶ傍ら、ベルリン国立音楽大学でアルフレート・ゴールケのもとホルンを専攻した。バンベルク交響楽団及びシュトゥットガルト放送交響楽団の首席ホルン奏者を歴任後、1982年から1996年までミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席ホルン奏者を務めた。2008年までミュンヘン音楽演劇大学で後進の指導にもあたった。ドイツの金管アンサンブルのパイオニア、ジャーマン・ブラスの創設メンバーの一人でもある。

タイトルとURLをコピーしました