インタビュー
ドーリック弦楽四重奏団のジョン・マイヤーズコフに聞く

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は
レパートリーの最高峰です

10月31日・浜離宮朝日ホールで行なわれたコンサートの模様(写真=松尾淳一郎/写真提供=浜離宮朝日ホール)。左からマイア・カベザ、イン・シュエ(vn)エマ・ヴェルニグ(va)ジョン・マイヤーズコフ(vc)

Interview & Text=後藤 菜穂子(音楽ライター)
取材協力:
ナクソス・ジャパン、日本アーティスト、浜離宮朝日ホール

英国を代表する弦楽四重奏団であるドーリック弦楽四重奏団(以下ドーリックSQ)が10月に来日、各地でコンサートを行なった。創設メンバーであるジョン・マイヤーズコフさんに、現在2027年のベートーヴェン・イヤーに向けて進行中の全集録音についてたっぷりと語ってもらった。

メンバーが交替してもクァルテットの
特徴やコンセプトに変化はありません

——1998年の結成以来、何度かメンバーが入れ替わりましたが、ドーリックSQのコンセプトはどう変化してきたのでしょうか?
ジョン・マイヤーズコフ(以下JM) たしかにメンバーは入れ替わり、創設メンバーは私ひとりになってしまいましたが、それでもドーリックSQとしての特徴やアプローチ、考え方には一貫したものがあると思っています。グループとして大切にしているのは、明瞭さや質感、洗練さ、そして和声を感情表現の原動力とする点など。それから。過去の伝統に過度に畏敬の念を持つのではなく、むしろ楽曲が今日において持つ意味を見出そうと恐れずに解釈することです。新しいメンバーには、自分たちと共通した理念や音楽言語を持ちつつ、新しい経験や刺激をもたらしてくれる人を求めているのです。

——新メンバーはクァルテットのコンセプトをどう考えているのでしょうか?
JM 今回のメンバー交替に関して言えば、マイア・カベザ(第1vn)もエマ・ヴェルニグ(va)もすでにドーリックSQの実演に接していて、しかもエマは過去に共演していました。2人ともグループの一員になることは夢でもあったのです。弦楽器奏者にとってクァルテットの一員になることは——性格的に向いていれば——理想的な仕事だと思います。クァルテットは指揮者がいなくて自分たちで演奏をコントロールできますし、デュオやソロ生活のような孤独感もありません。マイアもエマも心から楽しんでいると思いますし、イン・シュエ(第2vn)と私も「一緒に探求してみよう」というオープンな雰囲気を生み出すように心がけています。

© Kirk Truman

ドーリック弦楽四重奏団 Doric String Quartet
1998年結成。2007年メルボルン国際室内楽コンクールで入賞、2008年大阪国際室内楽コンクールで第1位を獲得した実力派で、ウィグモア・ホールやカーネギーホールなど世界有数のコンサートホールで演奏を重ねてきた。CHANDOSレーベルからの録音も高い評価を受け、今や英国を代表する弦楽四重奏団の一つとの評価を得ている。
2024年11月にメンバーが交替。第1ヴァイオリンには日本生まれのカナダ系アメリカ人で、ヨーロッパ室内管の第2首席やロンドンのオーロラ・オーケストラでコンサートマスターを務めるマイア・カベザ、ヴィオラにはデンマーク放送響の首席を務めるエマ・ヴェルニグが加わった。第2ヴァイオリンのイン・シュエは2018年加入で、チェロのマイヤーズコフは創設時からのメンバー。

ベートーヴェン・プロジェクトは
2027年を見据えて始めました

——これまで数多くのアルバムを発表していますが、現在進行中のベートーヴェン・プロジェクトはいつ頃から計画したのでしょうか?
JM クァルテットにとってベートーヴェンの弦楽四重奏曲はレパートリーの最高峰であり、若い頃は急いで録音したくないと思っていました。作品とともに過ごし、成長し、経験し、弾いた上でレコーディングしたかったのです。
録音を始めた直接のきっかけは、2027年のベートーヴェン没後200年の記念イヤーがちょうどよい目標に思えたからで、計画自体はパンデミックの前に決まっていました。なかにはデビュー当時に弾いた作品もありますが、レコーディングしていて、その間にメンバー交替があっても、不思議なことにグループとしての記憶が残っているように感じます。私が全体を支え、導く立場のチェリストだからとくに感じるのかもしれないですけれど。

——すでに2集のアルバムを発表していますが、選曲が興味深いですね。
JM 基本的にはCDに入る曲の長さを考えてやりくりしたものですが、それでもなるべく1つのセットを買った人が、作曲時期の異なる楽曲が味わえるよう考慮しました。私たちは、レコーディング前に曲を何度もコンサートで演奏することが大事だと考えています。レコーディングを目標にすると、新しいことをいろいろと試してみようとして、演奏がより冒険的になるように感じています。

——第3集と第4集の選曲についての計画を教えてください。
JM プロジェクトはあと1年ちょっとで完了します。第3集(2枚組)は2026年前半にでます。(2025年)5月に録音した第15番、第16番と、12月に録音する予定の第3番、第9番《ラズモフスキー第3番》、第10番《ハープ》です。最後の第4集は1枚のディスク(第4番、第14番)になり、ベートーヴェン・イヤーの2027年には全曲ボックスセットとしてリリースされる予定です。

——レコーディングで気を付けていることをお聞かせください。
JM ご存知のとおり、シャンドスは優秀録音で有名です。収録ではなるべく細かいディテールまで聴いてほしいと思っているので、私たちはわりと近めのサウンドを好んでいます。音の明瞭さはグループの特徴ですし、各声部をくっきりと浮かび上がらせ、テクスチュアのおもしろさが聴き取れるように心がけています。録音ではライブ感を見失わず、安全運転にならないように気をつけています。十分なリハーサルを重ねて完璧に近い演奏ができると確信しているからこそ、思い切り演奏できるのです。

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲集 第1集
〔第1番,第6番,第11番《セリオーソ》,第7番《ラズモフスキー第1番》,第12番〕

ドーリック弦楽四重奏団〔アレックス・レディントン,イン・シュエ(vn)エレーヌ・クレマン(va)ジョン・マイヤーズコフ(vc)〕
〈録音:2021年12月,2023年2月,6月〉
[Chandos(D)CHAN20298(2枚組,海外盤)]

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ベートーヴェン/弦楽四重奏曲集 第2集
〔第2番,第13番(《大フーガ》をフィナーレとして演奏し、その後に第6楽章を収録),第5番,第8番《ラズモフスキー第2番》〕

ドーリック弦楽四重奏団(第1集と同じメンバー)
〈録音:2023年5月,11月,2024年5月〉
[Chandos(D)CHAN20300(2枚組,海外盤)]

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作品18でクラシカル弓を使うのは
「ターボチャージャー付き」ハイドンだから

——作品18(第1番から第6番)ではクラシカル弓で演奏していますが、その理由は?
JM クラシカル弓は10年ほど前から使っています。ベートーヴェンでは作品18のみをクラシカル弓で演奏します。それは、私たちが作品の古典的なルーツを意識しているからです。これらの曲はいわば「ターボチャージャー付き」のハイドン——軽量級の「ラズモフスキー」ではなく——だと思っています。第2番などはきわめて古典的で洗練されていますが、その上でベートーヴェンはより大胆で思い切ったことをしているのです。

——クラシカル弓で演奏する場合、ピリオド奏法に近い演奏で臨むのでしょうか?
JM クラシカル弓を導入する前から、私たちは歴史的奏法を意識していました。私自身、ピリオド奏法のスペシャリストではありませんけれど、当時の教則本などに目を通していますし、バロックのグループで弾いた経験もありますし、弦もガット弦を使っています。実際に初めてこの弓を手にしてハイドンの曲を弾いてみたら、突然、演奏が百倍も楽になったんです。弓がどのように弾くべきか教えてくれて、たとえばアーティキュレーションの明瞭さや、とくに短い音でのおおらかな音が出せるようになりました。

マイヤーズコフさんに、使っている弓を見せてもらった。上からモダン弓、クラシカル弓(歴史的な弓を専門にしている製作者であるオランダ・ハーグ在住のルイス・エミリオ・ロドリゲス・キャリントン製作)、バロック弓(バッハや初期のハイドンなどで使用)

——もし、ベートーヴェンの全曲ツィクルスを行なう場合は、アルバムの曲順を生かしたものになるのでしょうか?
JM 私たちは本来、2027/28年にロンドンのウィグモア・ホールで全曲ツィクルスを行なう予定でしたが、メンバー交替もあり、2028/29年に延期しました。ベートーヴェン・イヤーには、他のグループと合同でのツィクルスに参加します。ただ、ウィグモア・ホールでのツィクルスは短期集中型ではなく、1シーズンに5回のコンサートを行なうので、おそらくどのコンサートにも前期・中期・後期の曲を入れると思います。いつか短期での全曲ツィクルスを行なうときには改めてどんな曲順にするか考えます。

——今後のレコーディング予定について教えてください。
JM まずはハイドンの録音を継続します。次は作品71と作品74になります。そのほかベルクのアルバム(《抒情組曲》他)、それからブラームスの全曲も考えています。やりたい曲がたくさんありますので、ドーリックSQの次の25年間を見据えてがんばります。

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