
インタビュー・文=伊熊よし子(音楽評論)
取材協力=東京エムプラス
Photo:NCM KLASSIK
韓国の若手実力派ピアニスト、ノ・イェジンが9月に来日し、タワーレコード渋谷店にて新譜の発売記念イベントを行なった。多忙なスケジュールのなか、新譜の『ラフマニノフ/24の前奏曲集』を中心に話を聞くことが出来た。
師メナヘム・プレスラーから教わった音楽への真摯な姿勢
2018年に初のソロ・アルバム『ハイドン/ピアノ・ソナタ集』をリリースして鮮烈なデビューを飾り、2021年に『リスト:ピアノ・ソナタ』、2023年に『ショパン/練習曲集』と続けて発売してその実力を世に知らしめてきたノ・イェジン。そんな彼女が新たに挑戦したのは、『ラフマニノフ/24の前奏曲集』。大きな手の持ち主で、偉大なピアニストとして歴史に名を残すラフマニノフの作品だが、演奏至難ゆえ、あまり全曲が演奏されることはない。しかし、ラフマニノフ特有のロマンが全編に横溢し、多種多様なテクニックが要求され、抒情性、豊かな歌心、独特な響きなどが込められ、ピアニストの心をとらえてやまない作品となっている。今回、ノ・イェジンはこの全曲を録音した初の韓国人ピアニストとなった。

ラフマニノフ/24の前奏曲集
〔 前奏曲Op.3-2〈鐘〉,10の前奏曲Op.23,13の前奏曲Op.32〕
ノ・イェジン(p) *ピアノ/FAZIOLI F278
〈録音:2025年7月〉
[NCM Klassik(D)XNCMK9025]
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インタビューでは、その作品の魅力を熱く語り、情熱的なことばのひとつひとつが彼女の演奏を彷彿とさせ、底なしのエネルギーと前向きな姿勢に感銘を受けた。だが、語り口はあくまでもおだやかで、常に笑顔を絶やさず、相手の目を見て真摯に話す。
ノ・イェジン「3年前にラフマニノフの《10の前奏曲》Op.23の全曲演奏を行ない、《13の前奏曲》Op.32も演奏したいと思うようになりました。そこで猛勉強し、やがて録音を行なうことを夢見るようになったのです。ラフマニノフは手が大きく和音も厚みがあり、音域も広い。これらの作品は女性の手で演奏するのはとても難しい面もありますが、私は楽譜から作曲家の深い意図を読み取り、そこに自分の感情を加え、個性的な録音に仕上げたつもりです」
ノ・イェジンはインディアナ大学で晩年のメナヘム・プレスラーに師事している。
ノ・イェジン「先生は、楽譜を深く読み込んで作曲家の意図するところに忠実に演奏することを教えてくれました。最初に学んだのはリストのロ短調ソナタで、その教えが録音にも反映されています。先生は年齢を意識させることなく、いつも前向きで音楽を楽しんでいました。その姿勢から学ぶことはとても大きく、私もあのような生き方をしたいと思っています。ラフマニノフの作品を勉強しているときも、常に先生の教えが脳裏に蘇っていました」

ラフマニノフを練習していたときは、ルガンスキーやアシュケナージの録音をよく聴き、さらにラフマニノフ自身の録音もじっくり聴き込んで参考にしたという。
ノ・イェジン「ラフマニノフの録音から学ぶことは非常に多く、ダイナミックでテンポ設定などもとても興味深い。もっとも印象的なのはその音楽のなかに宿る“自由さ”と“即興性”です。私は楽譜に忠実に演奏することをモットーとしていますが、そのなかに“自由さ”を加えていいのだとラフマニノフの音源は教えてくれます。ラフマニノフと同様に、ルガンスキーやアシュケナージの演奏はロシア・ピアニズムの偉大さとすばらしさを伝えてくれます。この奏法は、情熱的で濃厚な味わいのピアニズムを示しているようですが、感性の多様性と繊細さ、そしてあるときは爆発するようなすごさも内包しています。それらはラフマニノフの楽譜を深く読んでいくうちに次第に理解できるようになります。私は子どものころから勉強が大好きで、ピアノの練習も長時間行なっていました。韓国で勉強していた時期は、2カ月に一度コンクールを受けていました。練習のモチベーションが上がるからです。インディアナ大学に留学したときは、一日16時間も練習していたほどです。貧しかったので、大学のそばにある韓国料理店の安いビビンバを毎日食べて空腹をしのぎ、ビビンバ少女と呼ばれていたほどです(笑)」

ノ・イェジン Yejin NOH
モントリオール国際ピアノコンクールのファイナリストであり、FVG、高松、サザン・ハイランズ、サンアントニオ、ワイドマン、ワシントンなど数多くの国際ピアノコンクールで入賞。韓国国内でもスリ全国音楽コンクール大賞、KBS韓電音楽コンクール銀賞など輝かしい実績を持つ。韓国国立シンフォニー、モントリオール交響楽団、ベルギー王立ワロン室内楽団など、世界各国のオーケストラと共演し、リサイタルや音楽祭にも多数出演。とくに2023年のショパン《24の練習曲》、2024年のリスト《超絶技巧練習曲》全曲演奏は大きな話題を呼んだ。NCM Klassikより『ハイドン:ピアノ・ソナタ集』『リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調』『ショパン:24の練習曲』の3枚をリリースし、音楽性の高さが高く評価されている。ソウル大学博士号取得後、同大学やソウル芸術高校などで教鞭をとり、国内外のマスタークラスにも招聘されるなど、演奏・教育両面で活躍している。
“全曲”演奏へのこだわり。弾き振りにも挑戦中
現在は教える仕事にも時間を割き、50人のクラスのレッスンを受け持っているため、自分の練習時間の確保が大変だそうだ。
「3年前から教会で指揮も担当するようになり、来年はベートーヴェンのピアノ協奏曲5曲の弾き振りを行ないたいと思っています。オーケストラとの演奏はとても勉強になり、メンバーと心を通わせながら音楽を作り上げていく過程はものすごく有意義です。いつの日かシンフォニーの指揮もしたいと考えています。そのときはパンツスーツを着た方がいいかもしれませんね。そのためには総譜の勉強も十分にしなくてはなりません。録音に関しては、再来年にリストの《超絶技巧練習曲》を予定しています。ショパンは《24の練習曲》の録音をしていますが、本当に天才だと感じました。すべての音楽がその天才性を表し、ピアニストを幸せにしてくれます。ショパンの作品のなかに自分の感性を溶け込ませていくのがとても楽しく、次はぜひ《バラード》全曲を録音したいですね。私はいずれの作品も全曲を通して演奏するのが好きで、全曲を弾くことにより、その作曲家の意図するところに近づけると考えています」
そのポジティブな思考が演奏に全面的に反映し、聴き手の心をも熱くする。ぜひ、次回は日本での演奏会を聴いてみたい。

 
  
  
  
  


 
           
           
           
           
           
           
          