
特別企画シリーズ「ブラームス 4つの交響曲」! 1876年11月4日の交響曲第1番初演から150年を迎えることを記念して、その交響曲群を深めます。
今回の記事は、交響曲第1番の作品解説! いかにしてこの名作は生み出されたのでしょうか?
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※旧『レコード芸術』2019年3月号からの再掲です
Text=山野雄大(ライター/音楽・舞踊)
★作品データ
交響曲第1番 ハ短調 Op.68
作曲:1862 年(以前?)~1876/77 年(初演後に第2、3 楽章を改訂)
初演:オットー・デッソフ指揮のバーデン大公宮廷管弦楽団により1876年11月4日カールスルーエにて
出版:1877 年、ジムロック社
編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ1、弦5部
演奏時間:約42分
先入観とイメージを取り払って聴きたいブラームス苦心の作
ベートーヴェンの “第10番”
ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調に、長いあいだ《運命》という(作曲家のあずかり知らない)愛称がつけられて強固な先入観を築いてきた、そのことと単純に比べてはいけないけれど、ブラームスの交響曲第1番ハ短調にも、ある種の先入観のようなものが振り払えない背景のようにあり続けているように思う。
筆者も子供の頃、名曲案内の本を片手にクラシック音楽をあれこれ聴きはじめては驚く日々のなか、ブラームスの第1番に関するエピソード──着想から完成まで20年を越える苦心、初演に寄せられた大きな期待とそれに応えた成功から、ベートーヴェンの偉大な9曲の後を継ぐ “第10番” と讃えられ……という逸話を、作品のイメージに重ねて納得したものだ。
”第10番” という賞賛はブラームスと同時代を生きた指揮者ハンス・フォン・ビューローに由来する歴史あるものだが、曲の冒頭、堂々たる和音にティンパニの連打が響くその印象からして「決意」を重ねてしまう聴きかたを少年期の私は疑いもしなかったものだ。しかし後年、この序奏部をめぐる史実を知った私は、少年期の先入観をいよいよ根底から揺るがされることになる。じつはこの有名な序奏部分、なんと第1楽章脱稿時には存在せず、あとから付け加えられて完成したものだったときいたときの驚愕たるや。画竜点睛どころの騒ぎではない。重厚な序奏なしにいきなり主部(38小節目~、テンポをアレグロに速める)から始まるとしたら、さてこの曲は “第10番” たり得ただろうか?
とはいえ、全曲を通してさまざまに用いられる素材の数々が濃縮されるように登場するこの序奏部を得ることによって、この曲は完成したわけだから、「序奏部なき “ブラ1” 」を想定することには、序奏部にこめられた作曲技法の凄さを再認識する以上の意味はない。しかし、序奏部が全体構造と密接に関わりながら緻密に書かれているというその「再認識」こそが本作の魅力を底なしに掘り下げてゆくきっかけにもなるのも確かだ。数々のレコーディング、それぞれの解釈の魅力を味わう耳のひらきかたにもおおいに影響するだろう。


革新の志とベートーヴェンの呪縛
作品については近年、日本の音楽出版社から刊行されているスタディ・スコアがつぎつぎと新たに版を起こし直しており、長年親しまれてきた解説も新稿に切り替わって、楽譜をお読みにならないかたにも作品・演奏への視野を広げ深めるものになっているのでご一読をお勧めしたい。作曲の経過や背景、構成を分析した三宅幸夫解説[音楽之友社、2003年]は鑑賞初心者にも簡明。さらに詳細な分析表を添えた野本由紀夫解説[全音楽譜出版社、2016年]は「ブラームスの交響曲とその時代」と題した総説にはじまり、作品の誕生する時代背景や音楽思想、とりわけベートーヴェンの「呪縛」をめぐって広い視野で明快にとらえ直す。作曲技法上の特徴や楽章ごとの分析も細かい上に示唆に富み、本作をお聴きになるうえで耳をひらく助けとなる。
その解説にも詳しいが、この交響曲第1番は大先達ベートーヴェンとの影響関係の濃い作品だ。野本氏も「ベートーヴェンの《運命交響曲》と同じハ短調が選ばれていることや、全体がハ短調からハ長調への「苦悩からの勝利へ」のプログラムに従っていること、《運命交響曲》と同様、最終楽章になってはじめてトロンボーンが導入されること、第4楽章の主要主題が《第九》の喜びの歌に酷似していることなども、ベートーヴェンをモデルとした査証であろう」と記したうえで、作曲技法そのものは「第3番《英雄》に極めて近い」と指摘するように、同時代の他の作曲家と比しても保守的な傾向を持ちながら、しかし随所に——のちのシェーンベルクにも通ずるような——革新性を持つ作品でもあった。
ここには、西原稔『作曲家◎人と作品ブラームス』[音楽之友社、2006年]で示された、ブラームスは「近代の総括者」であるという視点も併せておきたい。保守の魂と革新の志とを併せ持ちながら、それらが複雑にないまぜになった音楽を創ったブラームス──その彼が、青年期の29歳頃(1862年頃)に第1楽章を書きながらも43歳の1876年まで完成させなかった難産の交響曲第1番。同年11月、カールスルーエでの世界初演に続く12月のウィーン初演に際して、評論家のハンスリックは「楽界全体が、これほどまでに切なる思いで、1人の作曲家の最初の交響曲を待ち望んでいたというのも、ほとんど例のないことだ」と記したのだったが(日本ブラームス協会編『ブラームスの「実像」 回想録、交友録、探訪記にみる作曲家の素顔』[音楽之友社、1997年])、この時期に至って完成したのは、ハンスリックら “絶対音楽派” に対してワーグナーやリストらの “標題音楽派” が圧勝している状況に、ブラームスにも絶対音楽の王道たる交響曲を早く完成させねばという焦りがあったのでは、という野本解説の指摘も重要だ。
影響関係のさまざま 作曲者・指揮者の試行錯誤
作品は、さまざまな影響関係が取り巻いている。第1楽章呈示部にあらわれる第2主題にはシューマンの劇音楽《マンフレッド》序曲からの影響も指摘されていたり、短くも優美な第3楽章にあらわれる同音連呼の印象的なモティーフは、やはり大先達へのオマージュというべき “運命の動機” だろう。第4楽章序奏部後半で鳴りわたる、アルペンホルンを模したような調べは、ブラームスが1868年、シューマンの妻クララの誕生日を祝って旅先から書き送ったメロディだ。その時には「山の上たかく、谷ふかく、私はあなたに千回のお祝いの挨拶を贈る」という歌詞がつけられていた(シューベルトの交響曲《ザ・グレイト》との類似も初演当時から指摘されている)。そして先述のように〝歓喜の歌〟にも似た主題……ある人がブラームスに向かって「 “歓喜の歌” によく似ているのは不思議だ」と述べたところ、作曲家はそれに応じて「ロバの耳には同じに聞こえる、ということのほうがよっぽど不思議だ」と言ったというから、皮肉屋の面目躍如といったところだ。こうした影響関係のさまざまが、どのような濃淡をもって演奏解釈に浮かび上がるか、という視点を「先入観」の絡みあった演奏史(および研究史)と重ねてみるとまた視野も拡がるだろう。
さらに、決定稿に至るまでかなり試行錯誤があったらしい第2楽章に関しては、初演時に演奏された別稿が後に撤回されたものの、かろうじてヴァイオリンとヴィオラのパート譜が残されており(ロバート・パスコール&ミヒャエル・シュトルック編纂による新原典版ブラームス全集の楽譜[ヘンレ、ブライトコプフ&ヘルテル、1996年]に補遺として収載)、ここから復元された初稿の演奏が何種類も登場、実際その創造過程を耳にしてみると完成形の凄さもあらためて知れる。
また、この第1番に関しては、伝統的に指揮者によって楽譜の改変がおこなわれてきた箇所がいくつかあって、詳述するならば本稿の数倍の紙幅を要する。第4楽章の269~270小節のホルンを前2小節間と同じ音型で吹かせて木管群を補強する例、さらに407小節からの壮大なコラール再現で、原譜では休符のティンパニをあえて叩かせる例(数音を付加する慎ましい付加から、ベースラインと同じ音型を叩かせる派手な付加まで何種類もあって驚かされる)など、いずれも本作の解釈と密接に関わる改変だけに、演奏史をたどるときには重要なポイントとなるだろう。
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