
連載「クラシック・ レコードレーベルと演奏家・録音の100年」。エジソンによるレコード発明から、来年2027年で150年。そのうち、電気録音が実用化された1925年からの100年間をメインとして、クラシックのレコードレーベルと、そこで活躍した主要な指揮者や演奏家の話を、時代を追って書いていこうというものである。
第2回以降はレーベルごとに、モノラルLP時代の主要なアーティストとその代表的な録音を中心にふり返っていく。
モノラル編の最後となる第5回は、ffrrの開発によって録音技術に革新をもたらしたイギリス・デッカを中心に取り上げる。アンセルメやウィーン・フィルをはじめとする名演奏家たちの獲得、オペラ全曲録音の隆盛など、EMIに対抗する一大レーベルへと成長したデッカの歩みをたどる。さらに、フィリップスやドイツ・グラモフォン、東欧諸国のレーベルにも目を向け、モノラルLP時代のヨーロッパのレコード界をふり返る。
◎連載第1回「LPによるレーベル拡大期(1950~60 年代)その1」はこちら
◎連載第2回「LPによるレーベル拡大期(1950~60 年代)その2」はこちら
◎連載第3回「LPによるレーベル拡大期(1950~60 年代)その3」はこちら
◎連載第3回「LPによるレーベル拡大期(1950~60 年代)その4」はこちら
指揮者:エルネスト・アンセルメ、クレメンス・クラウス、エーリヒ・クライバー、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・ベーム、カール・シューリヒト、ヨーゼフ・クリップス、ゲオルク・ショルティ、エイドリアン・ボールト、アンソニー・コリンズ、カール・ミュンヒンガー、シャルル・ミュンシュ、エドゥアルト・ファン・ベイヌム、ヨーゼフ・カイルベルト
オーケストラ:スイス・ロマンド管弦楽団、ウィーン・フィル、バイロイト祝祭管弦楽団、シュトゥットガルト室内管弦楽団、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス、ヴィルヘルム・ケンプ、フリードリヒ・グルダ、クリフォード・カーゾン
ヴァイオリン:アルフレード・カンポリ、ルッジェーロ・リッチ、ミッシャ・エルマン
歌手:レナータ・テバルディ(S)、ヒルデ・ギューデン(S)、リーザ・デラ・カーザ(S)、ジュリエッタ・シミオナート(Ms)、キャスリーン・フェリアー(A)、マリオ・デル・モナコ(T)、ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)、エットレ・バスティアニーニ(Br)
ffrrの開発と英デッカの躍進

「STRAVINSKY-ANSERMET / THE FIRST DECCA RECORDINGS」(ストラヴィンスキー:バレエ音楽《ペトルーシュカ》他)
エルネスト・アンセルメ指揮ロンドンpo,スイス・ロマンドo,他
〈録音:1946~55年,1962年〉
[DECCA(M,S)4803775(4枚組,海外盤)]※廃盤
モノラルLP時代のヨーロッパのレコード界において、EMIグループの牙城を脅かす存在となるのが、イギリスのデッカである。
元々は蓄音機メーカーだが、1980年まで半世紀に渡って経営の実権を握ることになるエドワード・ルイス(1900~80)の提唱で、1929年にレコード事業にも参入した。1930年代まではポピュラー音楽がメインで、クラシックはドイツのポリドール(ドイツ・グラモフォンの輸出用レーベル)原盤のライセンスが大半を占めている。
1934年にはアメリカ・デッカを設立して市場を大きく拡大したが、5年後に第二次世界大戦が始まると、海外資産の凍結を恐れたルイスは米デッカの株を売却し、以後は関係が途切れた。そのため戦後の1947年に英デッカは、アメリカでの新たな子会社として、ロンドン・レコードを設立している。英米2つのデッカはそれぞれに売却や吸収がくり返された後、1998年にともにユニバーサルミュージックの傘下となるまで、別々の道を歩むことになる。この経緯は後の章であらためて述べよう。
話を1930年代に戻す。デッカは1937年にクリスタレート・レコードを買収し、ロンドン北西部のウェスト・ハムステッドにある同社の録音スタジオを手に入れた。ここは以後デッカの本拠地として知られることになるが、それ以上に重要なのは、このマイナー・レーベルのエンジニアだったアーサー・ハッディ(1906~89)とケネス・ウィルキンソン(1912~2004)の2人が、そのままデッカの社員となったことである。ハッディは技術部長としてデッカの音質面での度重なる躍進の原動力となり、ウィルキンソンは録音史上に輝く偉大なエンジニアとして、数多くの名録音を生み出すことになるのだ。
ハッディの最初の功績は、第二次世界大戦中におけるffrr(Full Frequency Range Recording、全周波数帯域録音)の開発だった。これも戦争がきっかけとなった技術革新で、イギリスとドイツの潜水艦のスクリュー音の違いを聞き分ける訓練に用いる、高感度の録音装置のために生まれた技術を、1944年から一般向けのレコードに応用したものである。
その音質のよさは、1956年にデッカのプロデューサーの中心的存在となるジョン・カルショー(1924~80)が、「ffrrは、1920年代の電気録音の開発以来、最大の技術革新をデッカが成し遂げたことを意味していた」と自伝で述べているほどだが、当初は大きな問題があった。戦争でポリドールとの関係が切れたために自社録音を中心にしなければならないのに、高音質にふさわしいスター演奏家がいなかったのである。
しかし、エルネスト・アンセルメがロンドン・フィルを指揮したストラヴィンスキーのバレエ音楽《ペトルーシュカ》(1946年2月録音)のSP盤の登場は、天啓のように新たな道を示した。「偉大なスコアの偉大な演奏が、かつて録音の歴史に存在したことのない明確さと奥深さと、ダイナミック・レンジで録音されていた」とカルショーが絶賛するこの録音は、さまざまな意味でその後のデッカの数多くの名盤への呼び水となった(アンセルメについては、ステレオ篇で述べる)。
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