カウフマンの2つの《詩人の恋》
50歳と24歳の歌を較べてみれば……

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シューマン:詩人の恋,ケルナーの12の詩(+ボーナス・トラック:1994年録音《詩人の恋》より6曲*)

ヨナス・カウフマン(T)ヘルムート・ドイチュ,ヤン・フィリップ・シュルツェ*(p)
〈録音:2020年4月,1994年3月〉
[ソニー・クラシカル(D)SICC30940]

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文=堀内 修 (音楽評論)

「シューマン美学」が打ち砕かれ、新たな世界が立ち現れる

詩人の憂愁は深く、聴く者を甘美な悲しみの世界に誘う。

もう卒業していたっておかしくない。カウフマンはすでに大成したテノールだ。「詩人の恋」なら若い、明日大成するかもしれないテノールで聴きたい。そんな予想を抱いたとしても「すばらしい五月」が真っ向から打ち砕く。円熟したカウフマンの威力は凄い。楽譜という枠を超えて自由に思いのたけを歌っているようなのに、いつのまにかシューマンの「詩人の恋」という稀有な歌曲集がひとつの世界として出現する。

本人、つまり24歳のカウフマンによる「詩人の恋」からの6曲がボーナス・トラックに入っているので、較べると成長した後の歌がどんな魅力を持っているのかよくわかる。成長したカウフマンはもう外側からこの歌曲集を捉えていない。恋する相手が歌った歌を聴いて胸がはりさけそうになったり、夏の朝に黙って花園を歩いたりするのは、もう歌っている本人なのだ。繊細なリリックの美声を備えたテノールが歌う精緻なシューマンこそこの上ない「歌の年」の美というものだ、と信じていても、これを聴けばきっとその信念がゆらぐのを覚えるはずだ。ここでもう詩人はストイックな慎みなど忘れ去っている。聴き終え揺さぶられた気持ちが収まってから、慎みの賛美を取り戻すにしても、一線は越えてしまうだろう。

「ケルナーの12の詩」は、「詩人の恋」に負けない出来ばえだ。こちらのほうがそれぞれの歌の独立性が強く、変化に富んだシューマンの歌曲の世界を逍遥できる。カウフマンはここでは案内の名人だ。「美しき嵐の夜」でいきなり荒々しい嵐の楽しみを教えてから、いくつもの異なる世界を発見させる。それだけに問題も生じる。「おまえを傷つけたのは誰か」で、安らぎを奪えるのは人間だと教えられて、いま読んだ戦争のニュースを噛みしめた後、終曲で「あの日々はもうない」と告げられれば、憂鬱になるほかないからだ。


協力:ソニーミュージック

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