リンゴのような音楽が春を告げる
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
(中原中也『在りし日の歌』)
卒業式や入学式といったものに、あまり心を動かされることがない。もちろん教師という職業のせいもあるだろう。多くの人にとって人生の節目となる儀式も、教員にとっては毎年繰り返されるルーティンにすぎない。とりわけ入学式ともなれば、これからまた長い学期が始まるのか……と、いささか憂鬱な気分になったりもする。
それでも「春」という季節には、どこか特別な感慨がある。寒暖が嘘のようにするりと移り変わってゆくなかで、どこからともなく特有の香りを含んだ風が吹く季節。この時期になると必ず、ある楽曲を思いだして、その叙情が静かに身体の奥へと沁み込んでくるような気分になる。はじめてこの曲に出会ったのは、30年以上前のニューヨーク――などと書くと、なんだか冒頭からひどくセンチメンタルな気配が漂ってしまうのだが、これも季節のなせる業とご容赦いただきたい。
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1990年3月末、大学院の2年目が始まる直前に、2週間ほどマンハッタンに滞在した。とくにあてもない一人旅だったが、同じく音楽学を学んでいた友人たちがこぞってウィーンだパリだとヨーロッパへ出かけていくのを横目に、ひそかに留学を考えていたアメリカを旅先に選んだのだった。当時、格安航空券を扱うHISのような旅行会社が出はじめており、学生が気軽に海外へ出かけられる時代が訪れつつあった。
ホテルは、文化人が泊まることで知られるアルゴンキン・ホテル……の近くにある安ホテル。今はもうなくなってしまったが、44丁目という立地は実に便利で、最初は一泊だけのつもりだったのに、結局ずっとそのホテルに滞在することになった。昼間は図書館や観光地を歩き回り、夜はコンサートへ出かける。完全な一人旅だったから、気分はすっかりF.A.E.である。「自由だが孤独」。
コンサートといっても、クラシックとジャズが半々くらい。屋台のホットドッグが1ドルの時代だったから、食事代はなるべく節約し(今ではここにもっともお金をかけるダメ大人になってしまった)、ともかく音楽を聴いた。当時は『ヴィレッジ・ヴォイス』という無料のタウン誌があり、これを見ればマンハッタンのエンターテインメントの大半が把握できる。競馬新聞を読むオジサンのごとく、朝はカフェでこの誌面を入念にチェックするのが日課だった。
ジャズ・クラブはどこも安く、昼間にホテルから一本電話を入れれば予約は完了。手続きが簡単だし、クラシックと違って、クラブでは音楽とアルコールの欲求が同時に満たされるので、なるほど効率的な娯楽(?)だと感じたものだ。聴いたのは、秋吉敏子とルー・タバキン(驚くほど客が少なく、確か3〜4人ほどしかいなかった)、ブランフォード・マルサリス(客席に弟のウィントンらしき青年がいたのだが、単なる勘違いだったかもしれない)、ロン・カーターのカルテット(ド迫力でびっくり)などなど。若いジャズメンの演奏もいくつか聴いたが、もはや名前はほとんど覚えていない。
クラシックでは、まず到着翌日にアンドレ・ワッツのリサイタルを聴いた。エイヴリー・フィッシャー・ホールの、いちばん後ろの安席。ドビュッシー《前奏曲》の抜粋とリストの《ソナタ》というプログラムだった。時差ボケでうとうとしていたところ、隣に座っていたアフリカ系の青年が「今はどの曲だ?」と聞いてくるので、そのたびに意識が戻ったのを覚えている。
復活祭の時期とあって、ロバート・クラフト指揮によるストラヴィンスキー《洪水》を聴くことができたのは、いま思い返しても僥倖だった。当時のわたしは、クラフトはもう亡くなっていると思い込んでいたので、ポスターで名前を見たときには妙な気分になったものだ(いま調べてみたら、彼が亡くなったのは2015年! 墓はストラヴィンスキーと同じくヴェネチアのサン・ミケーレにあるという)。しかもナレーションをポール・ニューマンが担当しており、ちょっと興奮した。
滞在の終わり頃には、若杉弘と東京都交響楽団がカーネギーホールにやって来た。アメリカまで来て都響を聴くのもどうかとは思ったものの、同胞の応援のつもりでチケットを買った。前半は三木稔《序の曲》、メインはドヴォルザークの8番。しかし何より印象に残っているのはアンコールで演奏された外山雄三《ラプソディ》である。当時のわたしはこの曲をジャポニスム丸出しとバカにしていたのだが、ひとりきりで異国にいたせいなのか、途中の〈信濃追分〉あたりで不意に目頭が熱くなってきた。もちろんぐっと我慢したのだが、涙が出たかどうかは秘密である。
コンサートやジャズ・クラブの後、深夜からディスコへ繰り出すこともあった。磯崎新の設計、キース・ヘリングが内装を手がけた「パラディウム」という巨大ディスコでは調子に乗ってお立ち台に登り、踊り狂ってしまったのだが、いま思えば何を考えていたのか謎である。金属探知機による身体検査があるのも、いかにもニューヨークらしい経験だった。
……ああ、思い出話が長くなった。このほかにもさまざまな音楽を聴いたのだが、ともかく、この春、もっとも印象深い音楽との出会いは、小さなホールでのアマチュア演奏会で生じた。
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