
生誕150年を迎えた名指揮者ブルーノ・ワルター。その芸術を、ヨーロッパ時代からアメリカ時代、壮年期から最晩年まで、録音を通して聴き直す全3回の連載。第1回は、戦前の録音を中心に収めたワーナー・クラシックスの20枚組BOXから、後年の円熟した巨匠像だけでは捉えきれない躍動と劇性に迫る。第2回は、ソニー・クラシカルのコロンビア録音を中心にアメリカ時代のワルターを再検証。そして第3回では、戦前と戦後の同曲異演を比較し、その解釈の変化と変わらぬ本質を探る。
Text=芳岡正樹

ブルーノ・ワルター・ワーナークラシックス・リマスター全集
〔ベートーヴェン:交響曲第6番《田園》,ピアノ協奏曲第5番《皇帝》,ブラームス:交響曲第1,3,4番,ハイドン:交響曲第100番《軍隊》,モーツァルト:交響曲第38~41番,歌劇《フィガロの結婚》序曲,《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》,マーラー:《大地の歌》,交響曲第9番,《亡き児をしのぶ歌》,ワーグナー:《ジークフリート牧歌》,楽劇《ワルキューレ》抜粋,他〕
ブルーノ・ワルター指揮ウィーンpo,ブリティッシュso,ロンドンso,BBCso,パリ音楽院o,他,ヨーゼフ・シゲティ(vn)ヴァルター・ギーゼキング(p)キャスリーン・フェリアー(A)他
〈録音:1924~39年,49年(一部L)〉
[Warner Classics(M)2173240890(20枚組,海外盤)]
※2026年Art & Son Studioによるリマスタリング
SP録音の発展とワルターの歩み
名指揮者ブルーノ・ワルター(1876~1962)が生誕150年を迎えた。
ワルターはベルリンに生まれ、ドイツとオーストリアの歌劇場で指揮者としてのキャリアを積み、1920年代には世界的な名声を獲得した。ワルターが活躍した時代は、ちょうどレコード録音の黎明期にあたっていた。エジソンによる円筒型蓄音機(フォノグラフ)の発明はワルター生誕の翌年、1877年のことである。1887年にはエミール・ベルリナーが円盤式蓄音機(グラモフォン)を発明。レコードが円盤となったことで量産が容易となり、レコード産業は大きく発展した。後にワルターが録音することとなる英グラモフォンと英コロンビアは1897年、独グラモフォンは1898年に設立された。
ワルターの述懐によると、早くも1900年に《カルメン》の2つの間奏曲を録音したらしいが、記録は残っておらず、確実なのは1923年の独グラモフォンへの録音からである(1924年まで)。当時はまだラッパ吹き込みの時代だった。1924年12月には英コロンビアへ移籍。1925年11月からはマイクロフォンを使った電気録音となり、飛躍的に音質が向上。1931年、英コロンビアと英グラモフォンが合併してEMIが成立し(コロンビア・レーベルはその後も存続)、ワルターは1934年から、アメリカへ亡命する1939年まで英グラモフォンのメイン・レーベル、ヒズ・マスターズ・ヴォイスへ録音した。
今回発売された「ワーナー全集」20枚組には、1924年から1939年までの英コロンビアと英グラモフォンへの録音のすべてと、1949年10月にウィーン・フィルとロンドンを訪れた際に録音したマーラーの《亡き児をしのぶ歌》(フェリアー独唱)が収録されている。
十八番に聴く、戦前から息づく「ワルターらしさ」
“若きワルターが甦る”といっても、戦前期の録音はワルター48歳から63歳のものだから、「人間味豊か」「微笑みをたたえた」「歌心に富んだ」「情緒豊か」といった、われわれがワルターの演奏に抱くイメージはすでに完成されている、といっていいだろう。例えば、この「全集」の中で複数の録音があり、かつ戦後も録音した十八番の楽曲を聴けば、それは明らかだ。モーツァルトの《フィガロの結婚》序曲、《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》、ワーグナーの《ジークフリート牧歌》などである。
《フィガロの結婚》序曲――テンポと表情の変遷
《フィガロの結婚》序曲のモーツァルト祝祭管弦楽団との1928年盤は、同年パリでのモーツァルト・オペラ・フェスティヴァルの大成功を受けて記念録音されながら、未発売に終わったもの。テスト・プレスのSPから復刻したPRISTINE CLASSICALのCDがあったが、本家ワーナーからは初復刻である。これが演奏、復刻音とも素晴らしい。テンポは彼のスタジオ録音の中でもっとも速く、流れるような推進力がある。そして、音色や表情は微笑んでいるようであり、響きは冴えた美しさと柔らかな感触を合わせもち、リズムも実に軽快だ。
続いて、1932年のブリティッシュ交響楽団盤。録音は旧盤より色彩感を増し、ワルターの指揮は勢いの良さを保ちつつ、より丁寧な表現を目指している。例えば、冒頭の細かな音型がよりくっきりし、中間部で旋律を歌う場面でのテンポの落とし方も大きくなっている。
対して、戦後の1961年、コロンビア交響楽団とのステレオ録音は、テンポが全体にずっと遅くなった代わりに、ステレオ録音の優秀性を活かして、響きの晴れやかさや、色彩と表情の細やかなニュアンスの変化で、一気呵成の演奏にはない味わい深さを聴かせている。テンポの変化もほとんど無くなり、雄大な造型を示しているのも印象的だ。このように演奏表現の変化がありながら、上記したワルターのイメージが、すべての録音に共通して感じられるのが巨匠ならではだ。
このコンテンツの続きは、有料会員限定です。
※メルマガ登録のみの方も、ご閲覧には有料会員登録が必要です。
【ログインして続きを読む】下記よりログインをお願いいたします。
