
「編集部員のひとりごと」をはじめます。このCDが広く世間に知られてほしい、こんな悩みを聞いてほしいなど、行き場のないモヤモヤを表明していく雑感開陳コーナーです。ぜひご笑覧ください。
人生を狂わされた二人の女性
マルタ・メードル(1912~2001)とアストリッド・ヴァルナイ(1918~2006)、この二人のドラマティック・ソプラノに出会ってさえいなければ、フツーのクラシック愛好家としてもっといろいろなレコードをのんびり楽しめたのに、ひとたびその声に射抜かれた瞬間から、熱に浮かされたような狂気のワーグナー漬けの日々が始まってしまった。もし、この二人の名前を聞いたことがない、という人がいたら、絶対にお薦めしない。なぜなら、他のワーグナーのレコードが、もはや生ぬるくて聴けなくなってしまうから。挙げた写真はそれぞれヴァルナイがイゾルデ(+ヴェーゼンドンク歌曲)を、メードルがブリュンヒルデ(《ジークフリート》第3幕+《パルジファル》第2幕のクンドリー)を歌ったCDだが、こんなにもコクがある神々しいワーグナーを聴かされたら、そりゃもう人生を棒に振るしかない。(Y.F.)


フォーレ四重奏団&アネッテ・ダッシュのタンゴ
つい先日(2025年10月8日)、フォーレ四重奏団(ピアノ四重奏)とソプラノのアネッテ・ダッシュによるコンサートをTOPPANホールで聴いた。オペラやミュージカルのナンバーをピアノ四重奏の伴奏で歌い踊る名花ダッシュの素敵なステージに魅了されたが、特に印象的だったのがクルト・ヴァイルの頽廃的なタンゴ《ユーカリ》から、フォーレ四重奏団のために書かれたピアソラ風のフーベルト《フォーレタンゴ》に続く流れ。ダッシュの深いけれども美しい発声が活きていたし、センスの良い編曲で情緒たっぷりに弾くフォーレ四重奏団もgood。この2曲が入ったディスク「アフター・アワーズ」があるので、雰囲気だけでも味わっていただけるとうれしい。(T.O.)

アフター・アワーズ
〔フーベルト:フォーレタンゴ,ヴァイル(ヤルッコ・リーヒマキ編):ユーカリ 他全15曲〕
アネッテ・ダッシュ(S) フォーレ四重奏団
〈録音:2023年〉
[Berlin Classics(D)0303126BC(海外盤)]
藤田真央のモンポウと、冥丁の新アルバム
しっとり1つ目。すこし前に友人から藤田真央のモンポウを教えてもらった。配信限定らしい。前奏曲第5番は編集子が個人的に推してるモンポウ作品ナンバーワン。メランコリックな原曲をなぞる藤田の瑞々しい指さばきが、いままでに聴いたことない素敵な演奏。しっとり2つ目。冥丁が新しいアルバムを出した。「失われた日本のムード」三部作を終えてはじまった「失日本百景」シリーズの第1弾で、九州の温泉がテーマ。喪失の恐怖と再会の郷愁、それを温かく包み込むヴェイパーな手ざわりにザブンと浸かるアンビエント。10月に入って、すこしずつ乾燥してきた。ハンドクリームを買わなくちゃ。そんなわたくしに潤いを足してくれた2つの録音芸術。ぜひ皆さんも聴いてみてください。(H.H.)


ガラスのホールに浮かぶ、高橋アキのピアノ
高橋アキのピアノ・リサイタルを聴きに、豊洲シビックセンターホールへ出かけた。このホールは初めてだったが、他に類を見ない構造に目を瞠った。ホールはビルの5階の角に位置し、なんと正面と右側がすべてガラス張りだ。隣のオフィスビルや地上を歩く人々が見え、正面は視界が抜けて遠くレインボーブリッジまで見渡せる。夜景を背景にした雰囲気は最高だが、このような非対称構造のホールの音響は果たして……と、これが予想に反してとても良い。適度で品の良い残響があり、少なくともピアノ・ソロの演奏会場としては都内有数のホールのひとつと感じた(もちろん高橋アキが弾くファツィオリという点は大きいが)。プログラム後半の佐藤聰明の新作初演を含む《ピエタ》は、禁欲的な音遣いの瞑想的な作品だが、ピアノから発せられる一音一音が空間に漂いながら減衰する、その生成と消失の過程を追いかけるような聴き方を、いつの間にかしていた。(M.K.)
Text:編集部