
文=本田裕暉 (音楽学・音楽評論)
来年2027年はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の没後200年の節目の年であり、国内外の多くの音楽団体や音楽家たちがアニヴァーサリー・イヤーへ向けた多彩な企画をスタートしている。そのようななか、新たに2つのヴァイオリン・ソナタ全集プロジェクトがスタートしたのでご紹介しよう。
名デュオがひらく、古楽器の可能性

ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第1集
〔第1番~第3番,第5番《春》〕
アリーナ・イブラギモヴァ(vn:アンドレア・アマティ1570年製)セドリック・ティベルギアン(fp:アントン・ヴァルター1794年製作の楽器に基づくポール・マクナルティ製)
〈録音:2025年7月〉
[BIS(D)NYCX10601]CD
※2026年6月下旬発売予定
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1つ目は、ロシア出身のヴァイオリニスト、アリーナ・イブラギモヴァとフランスのピアニスト、セドリック・ティベルギアンによる1枚【Disc 1】。デュオとして長年活躍を続け、これまでにもモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全集[Hyperion]をはじめとする数々の名盤を送り出してきた2人が満を持してベートーヴェンのソナタに挑んだ記念すべき第1巻であり、Op.12の3曲(第1~3番)と第5番《春》が収められている。
今回2人が奏でるのは、ガット弦が張られたアンドレア・アマティによる1570年製のヴァイオリンと、アントン・ヴァルターによる1794年製作の楽器をポール・マクナルティが複製したウィーン式アクションのフォルテピアノ。つまり、作曲者が当時耳にしていたものと近い響きをもつ楽器による録音ということになる。だが、両者の紡ぐ音楽は、もちろん単なる「古楽器による当時の再現」という域を超え、モダン楽器による演奏に勝るとも劣らない音色・表現の幅広さを備えている。有名な第5番冒頭主題や第4楽章の抒情的な主題などで聴かれる繊細きわまる歌い回しの魅力もさることながら、このデュオらしい熱気あふれるデモーニッシュな響きが要所要所で聞こえてくるところも愉しい。限られた紙幅のなかで、ヴァイオリン・ソナタの歴史から各楽曲の聴きどころまで分かりやすく論じられている越懸澤麻衣氏による日本語解説文も充実。ぜひ国内流通仕様でお楽しみいただきたい1枚だ。
【公演情報】
キアロスクーロ・カルテット ベートーヴェン弦楽四重奏曲 全曲演奏会 Vol.1&2(全6回)
日程:
7/7(火)19:00 東京・王子ホール ※Sold out
7/9(木)19:00 東京・王子ホール ※Sold out
出演:
アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
シャルロット・サルスト=ブリドゥ(ヴァイオリン)
エミリエ・ヘーンルント(ヴィオラ)
クレール・ティリオン(チェロ)
詳細はこちら(王子ホールのページ)
200年前の矛盾した事実を引き受ける

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番《春》,同第9番《クロイツェル》,第3番
アリョーナ・バーエワ(vn)ヴァディム・ホロデンコ(p)
〈録音:2024年12月〉
[アルファ(D)NYCX10572]CD
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もう1点は、キルギス出身のヴァイオリニスト、アリョーナ・バーエワとウクライナ出身のピアニスト、ヴァディム・ホロデンコによる録音【Disc 2】。「幻想」をテーマにシューベルト、シューマン、ストラヴィンスキー、そしてメシアンの作品を取り上げた前作『ファンタジー』(ALPHA1021)に続く、アルファ・レーベルでの第2弾であり、こちらには第5番《春》、第9番《クロイツェル》、第3番が収められている。
2020年に出されたベーレンライター新校訂版に基づき熟考を重ね、作曲当時の資料もつぶさに研究したうえでたどり着いたアプローチとのことだが、200年前を真摯にまなざすことによって逆に清新きわまる瑞々しい演奏が実現されている点は興味深い。ライナーノーツで八木宏之氏も言及しているように、バーエワとホロデンコは、ベートーヴェンの活躍した時代に一般的だった「即興的要素を含む演奏」と「ベートーヴェンは演奏者による恣意的な即興や楽譜の改変を嫌っていた」という相反する事実の両方をじつにバランスよく取り入れ、新鮮でありながらも説得力あふれる演奏を繰り広げている。
例えば《クロイツェル》の第1楽章冒頭部分。イ長調の序奏が終わり、プレストにテンポが上がると、まずはヴァイオリンが第1主題を提示し、フェルマータを挟んでピアノが同じフレーズを繰り返す。そして再び置かれたフェルマータで、音楽はもう一度停止する。この1度目のフェルマータの箇所で、バーエワはさっそく鮮やかな即興を披露する。もちろんこのフレーズは楽譜には記されていないものだが、その後の部分を聴くと納得させられる。というのも、2度目のフェルマータにはピアノの華麗なパッセージが当初から書かれており、このヴァイオリンの即興が加わることによって、両パート間のバランスがとれるのである。ヴァイオリンとピアノが対等に渡り合う本作の性格を考えても、この工夫はじつに効果的だろう。
こうした即興的部分に限らず、2人の演奏はどの部分——どの主題部、どのフレーズ、どの1音——にどのくらい時間を使うのか、という判断が細部まで突き詰められており、聴いていてじつに愉しい。まさに、時間芸術である「音楽」ならではの愉しさに満ちた名演だと言ってよいだろう。残りの7曲のリリースにも大いに期待しつつ、まずは本盤を隅々までじっくりと、存分に味わいたい。
協力:ナクソス・ジャパン
