ブラームス 4つの交響曲

【作品解説】ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 Op.73

ブラームス 4つの交響曲特別企画
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特別企画「ブラームス 4つの交響曲」の第2回は、交響曲第2番。まずは作品解説から。

※旧『レコード芸術』2019年3月号からの再掲です

Text=相場 ひろ(フランス文学)

★作品データ

交響曲第2番 ニ長調 Op.73

作曲:1877年夏、ヴェルター湖畔のペルチャッハ。1877年9~10月にバーデン=バーデン近郊のリヒテンタールにて完成
初演:ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により1877年12月30日ウィーン楽友協会大ホールにて
出版:1878 年、ジムロック社
編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、バス・テューバ1、ティンパニ1、弦5 部

演奏時間:約43分

古典派的交響曲観のもと伸びやかな美しい旋律で率直な心情を綴る

風光明媚な小村の空気感

 1855年に最初の構想を得たとすると20年あまり、62年に書き始められた具体的な草稿から数えても約15年の歳月をかけて完成した交響曲第1番ハ短調Op.68は、好評をもって聴衆に受け容れられた。これに大きな自信を得たブラームスは、その初演後わずか半年ほどの1877年6月に、オーストリアのヴェルター湖畔にある小村ペルチャッハで交響曲第2番ニ長調Op.73の作曲に着手する。彼がペルチャッハを訪れたのはこのときが初めてであったが、たんに世間の俗事から離れられたことだけでなく、アルプスの山々に囲まれたこの村の風情がおおいに気に入ったという(その後2シーズンにわたって、彼は夏の避暑地にペルチャッハを選んでいる)。彼は集中して作曲に取り組み、交響曲の大半をこの地で書き上げた。夏の休暇が明けてまもなく、おそらく同年10月ごろには全曲が完成に至ったようである。初演は同年12月30日、ウィーンで、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって行なわれた。これは第1番同様に大成功に終わり、アンコールとして第3楽章が繰り返し演奏された。その後翌年にはブラームス自身の指揮でライプツィヒで演奏されたほか、アムステルダムやドレスデンを始め各地で採り上げられ、彼の名声を高めるのにおおいに貢献した。

 余談ではあるが、クリスチャン・メルランの『ウィーン・フィルハーモニー、あるオーケストラの伝記』[ビュシェ=シャステル社、2017年]によれば、当時のウィーン・フィルのトロンボーン・セクションは、すでに多くのオーケストラが採用していた新型のスライド式楽器をまだ導入しておらず、旧来のピストン式楽器を使っていた。ブラームス自身もトロンボーンのパートはピストン式で演奏することを想定していたので、後にマイニンゲンの宮廷楽団でトロンボーン奏者がスライド式楽器を用いているのを見、その演奏を聴いて不満を抱いたという。しかしながら周知の通り、世界的には管径の大きく、鳴りの豊かなスライド式トロンボーンが一般化し、ウィーン・フィルも時代の趨勢には勝てずに1883年にはスライド式楽器の導入に踏み切ることになる。なお、ウィーン・フィルの用いる個性的な楽器として有名な通称ウィンナ・オーボエが、ドイツ人奏者リヒャルト・バウムゲルテルによってドレスデンからもたらされたのは、交響曲第2番の初演後、1880年のことである。

さて、あれほどの呻吟とともに草稿を積み上げては破棄し、推敲を重ねた末に交響曲第1番を書き上げたことと比べると、交響曲第2番の着手から脱稿までは拙速にすら思えるかもしれない。しかし、ブラームス持ち前の慎重さと創作意欲の旺盛さはけっして矛盾するものではなく、むしろ表裏一体のものとして存在していたのだろう。あふれるほどの霊感があるからこそ、思う存分自己を追い込んで理想を追求することができたし、自己を開放して感興のままに筆を走らせることもできた。第1番と第2番で作曲のプロセスが大きく異なるのは、ブラームスの中にあったふたつのキャラクターのバランスの問題に過ぎなかったとみなすことも可能なはずである。

わずか半年ほどの期間で一気に書き上げられた第2番は、ブラームスが率直な心情を綴ったもので、美しい旋律にあふれ、楽天的かつ伸びやかであると評されることが多い。明るい色調と牧歌的なのどやかさをたたえたその雰囲気には、休暇を過ごした風光明媚な小村ペルチャッハの空気が反映しているともいわれる。その曲調が気に入ったのか、作曲中にブラームス自身のピアノで草稿を聴いたクララ・シューマンは、「第1番よりも圧倒的な成功を収めることでしょう」と述べた。また第1番の初演を指揮したオットー・デッソフも第2番について「君がこれほど美しい音楽を書いたことはなかった」とブラームスに言ったといわれる。

クララ・シューマン。作曲中の草稿を聴かされ第1番を上回る成功を予言した
ウィーンで行なわれた初演で指揮をしたハンス・リヒター

第1楽章

 しかし、その明るさ、伸びやかさが、「一音たりとも無駄な音がない」と言われたブラームスの緻密な作曲書法を少しも損なうことなく実現されていることには注目せねばなるまい。第1楽章冒頭で低弦によって提示される、「ニ – 嬰ハ – ニ」という3つの音からなる基本動機、そこにこめられた、隣の音にいったん移ってただちに元の音に戻るという動きは全曲を支配し、登場する多くの主題を生み出す種子となる。第1楽章でこの動機の提示後ただちにホルンと木管にあらわれる第1主題では、3小節目にこの動機の転回形というべき「ホ – 嬰へ – ホ」があらわれるし、続いてヴァイオリンが奏でる旋律の出だしは「イ – 嬰ト – イ」の動きを含む。また第2主題が提示されて後の小結尾部は、基本動機に基づくリズミカルな音形が活用される。例を挙げていくと切りがないけれども、第1楽章はほぼこの基本動機の派生形によってのみ構成されているといってもいいくらいである。

第2楽章~第4楽章

第2楽章は長調ながらメランコリックな気分の勝った、荘重かつ優美な音楽となっているけれども、ソナタ形式の展開部の役割を果たす中間部に、基本動機の動きがあらわれて、前後の楽章とのつながりを強く意識させる。第3楽章も、一見素朴な田舎風の舞曲を連ねているだけのような装いをとりながら、冒頭にオーボエによって提示される最初の主題は基本動機の転回形を含み、かつ同楽章の他の旋律がそこから派生していて、やはり強固な構成をとる。さらに終楽章でも、冒頭の第1主題が基本動機をそのまま引用して始まり、壮麗な第2主題にもその動きが包含されるなど、あえて言えば基本動機にがんじがらめにされている。それでいながら全曲が湧き出るようなロマンをたたえ、大きく高揚しつつ輝かしい結尾に向かって突進していく。形式的な堅牢さ、緻密さと自然な感興とが高度な次元でひとつに綯い合わされているのが、交響曲第2番の魅力である。

古典派的交響曲観への回帰

フランスの作曲家・音楽評論家であるミシェル・シオンは『ロマン派時代の交響曲、ベートーヴェンからマーラーまで』と題した著書[ファイヤール社、1994年]の中でブラームスの交響曲に触れて、次のように論じている。すなわち、交響曲第1番の楽章構成において、ベートーヴェン風の「闘争を通じて勝利へ」というドラマを盛り込み、終楽章に「歓喜の歌」風の素朴な主題を持ってきたブラームスは、すぐにその単純さに飽きてしまい、その展開部では彼らしい陰影豊かな明暗の交替を織り成す方向へと
進んでいった。終楽章の結尾においては、讃歌風の主題の輝かしい勝利と、ブラームスらしい複雑な含みを持つ音楽との和解が試みられているが、全面的な成功とは言い難いものだった。以後彼は交響曲
にドラマティックな構成を持ち込むことを放棄し、古典的な多楽章形式の枠組みが全曲の統一性を保証するという古典派的な交響曲観に回帰する。その第1作が交響曲第2番であり、以後の2曲も同様の美学によって作曲・構成されることになる。

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