音楽評論家・城所孝吉氏の連載、第8回は映画『マーラー 君に捧げるアダージョ』を取り上げます。映画はマーラーの妻アルマの不倫と、それに懊悩するグスタフの姿を描いていますが、本論考は、そこから「音楽における説得力ある解釈とは何か?」という深いテーマにもつながっていきます。
「マーラーのミューズ」アルマの逡巡
読者諸氏は『マーラー 君に捧げるアダージョ』という映画をご存じだろうか。これは、『バグダッド・カフェ』で世界的成功を収めたパーシー・アドロン監督(1935〜2024)の作品で、マーラーの生誕150年に当たる2010年に公開された。アドロンは、1920年代のワーグナー・テノール、ルドルフ・ラウベンタールと、ベルリンの有名ホテル経営者一族の女性との庶子にあたり、本名をパウル・ルドルフ・パルジファル・アドロンという。オペラ・ファンの母を持つだけに、音楽的な素養と知識は高く、息子フェリックスと制作したこの映画は、パーシー(パルジファルの短縮形)のマーラーに対する愛に満たされている。
アドロンは本作で、マーラーのミューズであり支えだった妻アルマが、彼を裏切って不倫するに至ったのはなぜか、という問題を扱っている。彼女は1910年の夏、グラーツ近郊の療養地でヴァルター・グロピウス(後にバウハウスの創始者となる建築家)と出会い、関係を結ぶ。マーラーはその後、彼女と南チロルのトープラッハで休暇を過ごすが、そこでグロピウスが書いたアルマへの恋文を受け取り不倫の事実を知る。映画は、苦悩するマーラーが晩夏にライデンでフロイトの診断を受け、不倫の根が実は彼自身にあったことを理解する、という仕立てである。原題は『Mahler auf der Couch』(寝椅子の上のマーラー)というが、これはフロイトが彼を診察したことを仄めかしている。
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