
今年(2025年)訃報が伝えられた音楽人について、編集部員それぞれの “思い” をまとめました。
“ピュアトーン”を引っ提げ、ロマン派以降の作品に革新をもたらす
ロジャー・ノリントン(Sir Roger Norrington 1934.3.16.-2025.7.18)は、膨大なレコーディングを残し、『レコ芸』でもお馴染みの指揮者であった。実演でのレパートリーはさておき、彼のディスコグラフィはきわめて特徴的であった。アーノンクールらと並び、古楽演奏の方法論をロマン派以降の作品へと拡張したパイオニアとして知られる一方で、その出自であるはずのバロック音楽の録音が驚くほど少ないのだ。J.S.バッハに至っては、私の知る限りゲルネとのカンタータ集1枚のみではなかろうか。
もともとノリントンはハインリヒ・シュッツ研究から音楽活動をスタートさせ、シュッツ合唱団を組織し、初期にはargoレーベルに《マタイ受難曲》などいくつかの録音を残している。しかし、録音活動において広く注目を集めるようになったのは、1978年に自ら創設したロンドン・クラシカル・プレーヤーズとの一連の録音においてであろう。モーツァルト、ハイドンといった古典派作品から始まり、画期的なベートーヴェンの交響曲全集を完成させたことは特筆される。
さらにそのレパートリーはワーグナーやブルックナーにまで拡大し、ヴィブラートを排した独自の「ピュアトーン」は、後期ロマン派作品に新鮮な響きをもたらした(もっとも、それ以前からリスト、ベルリオーズ、フォーレなどの録音も残している)。後年はシュトゥットガルト放送響などモダン・オケとの録音にも積極的に取り組み、2度目のベートーヴェン/交響曲全集(《第9》は2003年度のレコード・アカデミー賞受賞盤)をはじめ、マーラーの交響曲や、果てはホルストの《惑星》に至るまで、ピュアトーンの美学を次々と適用していった。その演奏は一聴してノリントンと分かる、唯一無二の個性を誇っていたと言ってよい。
なにより彼は人を楽しませることに長けた音楽家であり、N響への客演で見せた、ユーモアとウィットに富んだ指揮姿が、今もなお鮮明に思い出す。(M.K.)
バティス,汐澤,村川……個性派指揮者3人が逝く
メキシコを代表する指揮者エンリケ・バティス(Enrique Bátiz 1942.5.4~2025.3.30)が82歳で逝去した。1971年創設のメキシコ州響を40年以上にわたって指揮する一方、英国を中心に国際的な活躍を続けた。ディスクも150点以上あり、名曲の個性的な解釈がコレクター魂をそそるが、未聴の方は「ラテンアメリカ・クラシックス」[ナクソス]や「チャベス&レブエルタス作品集」から聴いていこう。
また、日本の重鎮指揮者が2人この世を去った。まず汐澤安彦(しおざわ・やすひこ,本名:飯吉靖彦 1938.9.3~2025.1.7;享年88)。ドイツで学んだ本格派だが、オケや吹奏楽のプロ団体だけでなく、アマチュアの育成にも情熱を傾けた名匠だった。「汐澤安彦の至芸」[東武]や「温故知新Ⅱ」[ブレーン]など晩年のライブで、その「濃い」芸術を味わいたい。
92歳で逝去した山形交響楽団の創設者・村川千秋(むらかわ・ちあき 1933.01.01~2025.06.25)。生涯にわたって情熱を傾けたシベリウスを振った最晩年のライブがMClassicsからリリースされている。地方オケの雄に躍進した山響との熱演に耳を傾けたい。なお、著作「新版 たのしいこどものけんばんわせい」上下は弊社刊で今も現役だ。(T.O.)
ドイツ・オペラの名手たちの訃報が相次ぐ
2025年は、ワーグナーやR.シュトラウス、モーツァルトのオペラで重要な役を担ってきた名歌手たちの訃報が相次いだ。
ヘルデンテノールではペーター・ザイフェルト Peter Seiffert(1954.1.4~2025.4.14;享年71)、またブーレーズ指揮バイロイト祝祭の《ニーベルングの指環》でヴォータンを歌ったドナルド・マッキンタイア Donald McIntyre(1934.10.22~2025.11.13;享年91)は、《指環》ツィクルス日本初演(1987)でも同役を歌ったお馴染みのバス=バリトン。《パルジファル》アンフォルタスを日本で何度も歌っているフランツ・グルントヘーバー Franz Grundheber(1937.9.27~2025.9.27:享年88)は、何といってもアバド指揮《ヴォツェック》のタイトルロールが金看板だった(1989年日本公演でも歌った)。
ワーグナー・バリトンでは他に、ヤノフスキ指揮ドレスデン・シュターツカペレによる《ニーベルングの指環》でのアルベリヒ役ほか、ショルティ(《ローエングリン》テルラムント)カラヤン(《パルジファル》クリングゾール)にも重用されたジークムント・ニムスゲルン Siegmund Nimsgern(1940.1.14~2025.9.14;享年85)、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》ベックメッサー役DVD(日本公演もあった)で笑いを取ったアイケ・ヴィルム・シュルテ Eike Wilm Schulte(1939.10.13~2025.10.31;享年86)は、ブリュッヘン指揮のハイドン《天地創造》等の録音にも参加している。
モーツァルトのオペラ(ベーム指揮《フィガロの結婚》スザンナやカラヤン指揮《魔笛》パミーナ)で、スタイリッシュかつチャーミングな歌唱を聴かせてくれたエディト・マティス Edith Mathis(1938.2.11~2025.2.9;享年86)は、ドイツ・リートの名手でもあり、夫君で指揮者のベルンハルト・クレー Bernhard Klee(1936.4.19~2025.10.10;享年89)との共演によるモーツァルト歌曲集は定番中の定番。 モーツァルト・テノールでは、ショルティ盤《魔笛》タミーノ、同《ドン・ジョヴァンニ》オッターヴィオ役などを歌った英国のステュアート・バロウズ Stuart Burrows(1933.2.7~2025.6.29:享年92)、そしてロッシーニ歌手としても定評を得たルイジ・アルヴァ Luigi Alva(1927.4.10~2025.5.15;享年98)もジュリーニ指揮《ドン・ジョヴァンニ》などモーツァルトでも美声を聴かせた。最後にMETの名バイプレーヤーとして数々のオペラ公演を支えたポール・プリシュカ Paul Plishka(1941.8.28~2025.2.3;享年83)、レヴァイン指揮METの《ファルスタッフ》タイトルロールでは名演技でも魅せた。
追記:本稿〆切直前、バリトン歌手トーマス・ヨハネス・マイヤー Thomas Johannes Mayer(1969.10.30~2025.12.15;享年56)の急逝が伝えられた。11月に東京の新国立劇場《ヴォツェック》に出演したばかりで、突然の訃報に驚きと悲しみの声がはしった。ワーグナー《パルジファル》やシェーンベルク《モーゼとアロン》などのDVDに名演・名唱が遺されている。 (Y.F.)



「間違った道」を歩んだ作曲家の帰天
2025年の3月、ソフィア・グバイドゥーリナ(Sofia Gubaidulina 1931.10.24~2025.3.13)が亡くなった。ソ連・ロシアで活躍した作曲家。作風は多様だけれど、広い解釈では「前衛」に分類できるだろうか。書法では新しい音楽の時間観を提示し、楽器法ではアジアとヨーロッパを往還して、即興演奏も盛んに行った。モスクワ音楽院でショスタコーヴィチに師事したひとで、卒業のときに「(ソ連当局が定義する)間違った道を歩むことを望む」といわれる。実際に1979年には作品演奏が禁じられている。
ペレストロイカの頃から、彼女の存在は西側で広く知られるようになる。その立役者の1人がギドン・クレーメルだった。主な仕事に《オッフェルトリウム》を収録したDG盤がある。ドイツへ拠点を移した彼女はその後、色々な演奏家に作品を献呈した。そのなかには日本の箏奏者、沢井一恵もいる。commmonsから2011年にリリースされた『点と面』に、《アジアの箏とオーケストラのための「樹影にて」》の沢井本人による演奏が収録されている。
25年の秋には、追悼盤としてNaxosから『作品集』が出た。演奏機会は増えている。今後、録音のリリースが相次ぐだろう。「間違った道」の終わりに、彼女は何を想ったのか。(H.H.)
ロバータ・フラックとオジー・オズボーンに捧ぐ
2025年は、いわゆるクラシック音楽で有名なひとではないけれど、クラシック・リスナーとして記憶に留めておきたい、そんな音楽人2人が亡くなった1年でもあった。
ロバータ・フラック(Roberta Flack, 1937.2.10~2025.2.24)が亡くなったのは今年の2月のこと。ニュー・ソウルの名盤『やさしく歌って』[Atlantic Records]で知られる分類不能のヴォーカリスト&ピアニスト。早熟の天才で、はじめクラシック畑を進むことを希望したけれど、当時の合衆国の人種差別はそれを許さなかった。似た境遇のアフリカ系アーティストにニーナ・シモンなどがいる。デビュー盤『ファースト・テイク』[同]にすでに聴かれる彼女の謙虚で骨太な声、ピアニズムは、ヘヴィなバックストーリーを跳ねのけるくらい、オリジナルなものだと私は思う。
7月にはオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne, 1948.12.3~2025.7.22)が亡くなる。言わずと知れたヘヴィメタルの帝王。その活動の初期、彼の傍らにはランディ・ローズがいた。クラシック音楽の素養を持っていた夭折のギタリストで、オジーの音楽性に深く影響を与えている。『ブリザード・オブ・オズ』[EPIC]や『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』[同]にその共演を聴くことができる。今頃はランディと楽しくやっているだろうか。オジーの死が発表されてすぐ、彼の故郷の楽団バーミンガム市響は、オジーに捧げる追悼演奏を行った。その模様は市響のFacebookに動画としてアップロード(バーミンガム市響のFacebookページ)されている。
2人について言えそうな共通点は、個性的で温かみのある声を持っていたこと。その声は人びとの心に残り続けるだろう。録音芸術がある限り。(H.H.)
Text:編集部












