名演奏家再批評 File07

とある2つの「ロシア・ピアニズム」
ソフロニツキーとユージナ①

連載名演奏家再批評
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名演奏家再批評_File07_ver.3

 金曜連載「名演奏家再批評」。このコーナーは、新世代の書き手がクラシック音楽の名演奏家を各4回のリレー形式で論じるものです。
 第7弾では音楽学者・山本明尚さんが、「ロシア・ピアニズム」のピアニストとして並び称されるヴラジーミル・ソフロニツキーとマリヤ・ユージナを、それぞれの録音観に着目して再批評していきます。全4回のうち、1回目は無料公開、2回目以降は有料公開です。

■Editor’s Note
ヴラジーミル・ソフロニツキー Vladimir Sofronitsky(1901〜61)は20世紀ロシアのピアニスト。「ロシア・ピアニズム」の真髄とされるその演奏は、リヒテルやギレリスなど、多くの熱烈な信奉者を生んだ。とりわけ作曲家の娘婿となったスクリャービン演奏で知られる。
マリヤ・ユージナ Maria Yudina(1899〜1970)もまた20世紀ロシアのピアニスト。ソフロニツキーと同じく「ロシア・ピアニズム」の体現者と評される演奏、そしてソ連体制下の刺激的な逸話でカルト的人気を誇る存在。J.S.バッハやモーツァルト、同時代音楽の演奏で知られる。

Text=山本明尚

正統とされたスクリャービン弾き

————–ここまで無料公開————–

 本棚に2冊の本が並んでいる。『ソフロニツキーを偲んで』と『ユージナを偲んで』——いずれも2008年、モスクワのクラシカ-XXI社から刊行された回想録だ。確か私が2015年に初めてモスクワを訪れた折に手に入れたものと記憶している。今月の連載ではまさしくこの2人——生誕125周年という記念年を迎えるヴラジーミル・ソフロニツキー(1901~61)と、彼の同門でありソ連を代表するピアニストの一人であったマリヤ・ユージナ(1899~1970)——を取り上げたい。

 ロシアのピアニストについて語るのなら、やはり「ロシア・ピアニズム」という言葉を避けて通るわけにはいかないだろう。数年をロシアで過ごし、さまざまな演奏家の実演に接し、レッスン通訳や聴講を通じて何人もの教師の考え方や手法に触れてきた者としての実感だが、しばしばまとめて語られる「ロシア奏法」は、「ロシアではこれこれこういう技法が主流だ」と十把一絡げに語れるほど単純なものではないように思われる。19世紀初頭の西欧からのピアノ伝来と御雇外国人による貴族への音楽教育は徐々に発展し、1860年代にペテルブルクとモスクワの二大都市での西欧式の音楽院へと本格化し、専門的ピアニストを養成していった流れ、そしてソ連の国威発揚のコンクール参加と主宰……こうした流れを緻密に追って、その中で何が行われていたのかを考える必要がある。ともあれ今回取り上げるソフロニツキーとユージナの2人は、この錯綜した流れの只中へ、しかも大戦と革命とで混乱した時期に、ペトログラード音楽院のレオニード・ニコラーエフ門下として足を踏み入れることになる。

1 ロシア・ピアノ楽派~ヴラジーミル・ソフロニツキー
〔スクリャービン:ピアノ・ソナタ第4番Op.30,悲劇的な詩 Op.34,ワルツ Op.38,練習曲第11番Op.8-11,他〕

ヴラジーミル・ソフロニツキー(p)
〈録音:1960年5月(L),他〉
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 1901年、サンクト・ペテルブルク生まれのソフロニツキーは、1903年にワルシャワへ移住し、そこで少年期を過ごす。7歳頃から本格的に音楽を習い始め、将来を嘱望されるほどの才能をさっそく発揮した。大戦勃発後の1916年にペトログラード音楽院に入学し、名教師ニコラーエフ門下でユージナやショスタコーヴィチと同世代の同門としてしのぎを削った。1921年の卒業演奏会ではリストのロ短調ソナタを弾いて絶賛されたが、奇しくも同じ卒業演奏会に出演したユージナも同じ曲を演奏し、2人は名誉あるアントン・ルビンシテイン賞を分け合ったのだった。その後彼は主に演奏家としてキャリアを積み、1939年には母校レニングラード音楽院(都市名の変更により名前が変わっている)の、1942年にはモスクワ音楽院の教授職に就き、1943年にスターリン賞第一席を受賞、その後レーニン勲章も受勲するなど、ピアニスト・教育者として華々しいキャリアを歩んだ。

 ソフロニツキーといえばやはり、スクリャービンの解釈者・伝道者としてのイメージが強い。しかし、実は彼は生前のスクリャービンの演奏を、ただの一度も聴いたことがなかった。1915年、スクリャービンのコンサートに赴く予定だった少年ソフロニツキーは、折悪く風邪を引いてしまい見送ったが、その直後に作曲家は急死してしまったのだ。後年、彼は「もし彼の生演奏を聴いていたら、私の弾き方は全く違っていたかもしれない」と深い後悔とともに語っている。それでも運命は、彼をスクリャービンの世界へと深く引き寄せた。1920年に娘エレーナと結婚したということもあり、彼はスクリャービン弾きとして特別な存在になる。生前の演奏を知らないにもかかわらず、遺族や関係者は、彼の演奏に亡き作曲家の魂そのものを見出し、驚嘆した。彼は、ついに一度も面会が叶わなかった作曲家の、最も正統な代弁者として認められるようになったのである。

とある2つの「ロシア・ピアニズム」 ソフロニツキーとユージナ②に続きます。2026年7月17日更新予定です)

山本明尚|Akihisa Yamamoto

音楽学者、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員。専門は19世紀後半〜20世紀初頭のロシア・ソ連の音楽。東京藝術大学大学院博士後期課程、ロシア国立芸術学研究所修了(博士(音楽学))。現在は、知識人音楽家による民衆に対する音楽教育の実践と美学、スクリャービンをはじめとする作曲家の受容と神話形成、ロシア音楽における定型句的音楽的特徴(トピック)に関心を持つ。
訳書に『実践的和声学習の手引』(チャイコフスキー 著、森垣桂一 解説)、解説を担当した楽譜に『標準版ピアノ楽譜 スクリャービン エチュード集』(朴久玲 運指)[以上、音楽之友社]がある。

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