
今回、カワイ表参道にてお話を伺ったピアニストのジャン・チャクムル
2018年浜松国際ピアノコンクールで第1位に輝いたトルコ出身のピアニスト、ジャン・チャクムルは、以来世界各地で演奏する多忙なピアニストとなった。録音にも積極的に取り組み、現在は全12巻からなる「シューベルト+」のシリーズ(BIS)が進行中だ。これは2028年のフランツ・シューベルト(1797~1828)没後200年に向けた一大プロジェクトとなっている。2026年9月に来日したチャクムルに、そのプロジェクトのことを中心に、新譜の『シューベルト+ラッヘルマン』に関して、さらに今後の展開などの話を聞くことができた。
ききて・文=伊熊よし子(音楽ジャーナリスト)
通訳=井上裕佳子
取材協力=ナクソス・ジャパン(株)、(公財)ジェスク音楽文化振興会、(株)河合楽器製作所
写真=編集部
気になる最新盤『シューベルト+ラッヘルマン』について
ジャン・チャクムル(以下、CC) シューベルトのシリーズを始めるにあたり、まず全体像をいかに考えるか、どんなボリュームでいかなる作曲家を加え、1枚を85分内で収めるための選曲、よく知られている作品とあまり知られていない作品をどう組み合わせるかなど、さまざまなことを熟慮しました。第1回目は「プロジェクトの顔」になる作品を選び、初期の代表作であるソナタ第4番と最後の年の幻想的で明朗なソナタ第20番を組み合わせ、そこに主観的な表現で共通項を感じるアルノルト・シェーンベルク(1874~1951)を挟み込みました。

シューベルト+ラッヘンマン(「シューベルト+」第7巻)
〔シューベルト:ピアノ・ソナタ第14番 D784,同第16番 D845,ラッヘンマン:シューベルトの主題による5つの変奏〕
ジャン・チャクムル(p:Kawai SK-EX、Shigeru Kawai Concert Grand)
〈録音:2022年9月,23年9月,24年12月〉
[BIS(D)NYCX10629]※SACDハイブリッド
※2026年11月20日発売予定
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1 シューベルト+シェーンベルク(第1巻)[BIS(D)BISSA2650]※海外盤、SACDハイブリッド
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2 シューベルト+ブラームス(第2巻)[BIS(D)BISSA2680]※海外盤、SACDハイブリッド
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3 シューベルト+クルシェネク(第3巻)[BIS(D)BISSA2690]※海外盤、SACDハイブリッド
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4 シューベルト+ヴォジーシェク+ショパン+スクリャービン(第4巻)[BIS(D)BISSA2710]※海外盤、SACDハイブリッド
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5 シューベルト+ベートーヴェン(第5巻)[BIS(D)NYCX10545]※国内仕様盤・日本語解説付、SACDハイブリッド
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6 シューベルト+シューマン(第6巻)[BIS(D)NYCX10580]※国内仕様盤・日本語解説付、SACDハイブリッド
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7巻目となる新譜はシューベルトのイ短調のソナタ第14番、第16番とヘルムート・ラッヘンマン(1935~)の《フランツ・シューベルトの主題による5つの変奏》(1956)のカップリングだ。
CC ラッヘンマンの作品との出会いは本当に偶然で、YouTubeでお薦めとなっている作品だったため聴いてみたのです。そこでイ短調のソナタ2曲と合うと考えました。ラッヘンマンはシュトゥットガルト音楽大学時代(1955~58)に音楽学者でピアノ教授のユルゲン・ウーデに師事しています。ウーデは『シューベルト晩年曲の研究書』を出版しているシューベルトの大家として知られています。ラッヘンマンがこのシューベルトの変奏曲を書いたのは、まさにウーデに師事していた時期なのです。わたしはまだラッヘンマンにお会いしていませんが、作品を収録することはお伝えし、録音が出来上がったら聴いていただく予定です。

ジャン・チャクムル Can Çakmur
2017年スコットランド国際ピアノコンクール優勝、2018年第10回浜松国際ピアノコンクール優勝。同時に室内楽賞も受賞。
これまでにロンドンのウィグモア・ホール、グラスゴー・コンサート・ホール、アイントホーフェン・ホール、東京オペラシティ、ミューザ川崎など世界各地の様々なコンサートホールで演奏、祖国トルコでも定期的にリサイタルを開催している。これまでに、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団、ボルサン・イスタンブール・フィルハーモニー管弦楽団、札幌交響楽団、東京交響楽団、読売日本交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、群馬交響楽団など、ヨーロッパ、日本、トルコのオーケストラと多数共演している。
近年はレコーディングにも精力的に取り組んでおり、2020年10月にBISレコードから発売された『シューベルト/リスト:白鳥の歌』は2021年1月にICMA賞(国際クラシック音楽賞)でヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。現在、シューベルトの主要作品と彼の音楽に影響を受けた作曲家の作品を並べることで、それぞれの作品の新たな魅力を伝える「Schubert +」シリーズをリリース中。
『シューベルト+ブラームス』はフランスの音楽誌『ディアパソン』のDiapason d’orを受賞するなど、多方面から評価を得ている。
1997年トルコの首都アンカラ生まれ。
CC 実は、録音は順番に行なっているわけではなく、コンサートなどで弾き込んでいる作品をその時期に収録したり、難しい作品ばかり続いたときは、より心地よい気持ちで演奏できる作品を収録したりと、結構フレキシブルに録音しています。もちろん、リリースの順番は決まっているため、そこに向けて用意することが前提ですが……。昨年は、とりわけ忙しくて、録音に集中することが困難なときもありました。そういうときは、自分のなかで折り合いをつけ、精神的に落ち着いた状態で録音に臨めるよう最善を尽くします。幸いなことにわたしの関わっている録音スタッフは、みなさんがとてもプロフェッショナルで、わたしが少しでも調子が悪かったりうまくいかないときは、正直にいってくれますし、よりよい方向にもっていくよう尽力してくれます。録音というのは短期間における集中力の勝負ですので、わたしはそれに向けて最善の準備をするわけです。
今後はファジル・サイやフランツ・リストとの「+」を計画中!
CC 最初にシューベルトのプロジェクトを始めたころは、正しく弾くということにとらわれすぎて、それで自分を縛ってしまいました。でも、徐々にその呪縛から解き放たれ、いまでは正しく弾くよりも、シューベルトの地平線はもっと広いのだと思うようになり、自由に弾けるようになりました。これが一番の“プラス”ですね(笑)。シューベルトに対して恐れがなくなったのです。当初から演奏や表現力に大きな違いはありませんが、あえていうなら、ちょっとしたアーティキュレーションが変化したというべきでしょうか。今後は2028年までに全12巻の収録を終わらせ、シューベルト《さすらい人幻想曲》やフランツ・リスト(1811~86)の作品、ファジル・サイ(1970~)が書いてくれた《トリプルコンチェルト》などの録音を予定しています。サイは親しい友人ですが、この作品はとてつもなく難しい。これを弾いたあとはリストの《ロ短調ソナタ》が楽に弾けるように思えてしまう(笑)。

2026年に刊行されたばかり、Bernhard Ruchti著の
『フランツ・リストのピアノレッスンにて Bei Franz Liszt in der Klavierstunde』
[Königshausen & Neumann (Würzburg)]
CC わたしにとって、リストは大切な作曲家。ワイマール音楽大学で学んでいたころ、ここにはリストの資料が数多く残され、もっとも興味深かったのはリストが弟子にどのような教え方をしていたかということを記した資料があることでした。リストはシューベルトの《即興曲》を教材として取り上げ、弟子に教えていたという記録が残されています。つい先ごろ、その弟子のひとりでリストのマスタークラスを受けていたピアニスト&ピアノ教師のハインリヒ・ルッター(1858~1937)が、リストの教えを綴った未発表のピアノレッスン帖(ドイツ語)が出版されました。これはとても興味深い内容です。
ブレンデルからの影響、そして教育活動のこと
チャクムルのリスト愛、シューベルト愛の話は留まるところを知らない。彼は以前、アルフレート・ブレンデル(1931~2025)のシューベルトの演奏に強い影響を受けていると語っていた。
CC ブレンデルのシューベルトは、そのヴィジョン、表現力、エネルギー、緊迫感に満ちた演奏に深い感銘を受けています。説得力がすばらしいですよね。ブレンデルのシューベルトは、その時代を象徴している演奏で、歴史的な遺産だと思っています。つい先ごろ、また録音を聴き直してみました。すると不思議なことに気づきました。彼の演奏は広いコンサートホールでの演奏ではなく、ごく親密的でプライヴェートな空間で演奏しているように思えたのです。わたしも最近はそのような演奏スタイルを求めています。

ブレンデルの演奏スタイルは、ごく親密的でプライヴェートなものだと気付きました
チャクムルは2026年9月からロンドンのパーセル音楽院のピアノ科教授として教える仕事にも携わることになった。
CC 実は、わたしは教えることが大好きなのです。教えるというのは一種の哲学で、フィジカル面とメンタル面のバランスが大切。その極意を極めたい。分析と実技、知識とからだの使い方など、多面性が必要です。生徒を教えることにより自分も学びを得て、演奏が深まる。自分自身がどう変わるかにも興味があります。ただ時間が足りないのが悩みですね。
「シューベルト+」以外の
ディスコグラフィ(一部)


A リスト:シューベルトの『白鳥の歌』
〔シューベルト(リスト編+チャクムルの再構成):白鳥の歌,リスト:4つの忘れられたワルツ〕
ジャン・チャクムル(p:Kawai SK-EX、Shigeru Kawai Concert Grand)
〈録音:2020年1月〉
[BIS(D)BISSA2530]※海外盤,SACDハイブリッド
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B 国境なきピアノ曲
〔バルトーク:ピアノ・ソナタ Sz.80,ミトロプーロス:パッサカリア、間奏曲とフーガ,サイグン:ピアノ・ソナタ Op.76,エネスク:ピアノ・ソナタ第3番ニ長調 Op.24-3〕
ジャン・チャクムル(p:Kawai SK-EX、Shigeru Kawai Concert Grand)
〈録音:2021年5月〉
[BIS(D)BISSA2630]※海外盤、SACDハイブリッド
