インタビュー

パーヴォ・ヤルヴィの《アルプス交響曲》観
NHK交響楽団とのアルバムに込めたものと、その周辺

インタビュー・文=山野雄大(ライター/音楽・舞踊)
通訳=貫名由花 カメラ=友澤綾乃
取材協力=ソニーミュージック・レーベルズ

 高峰に挑み続ける、その歩みはとまらない。——つねに並行して複数のオーケストラと強力なタッグを組んできた名匠パーヴォ・ヤルヴィは、首席指揮者や芸術監督を務めるオーケストラとはそれぞれ、信頼を寄せるその楽団のカラーに合わせた録音シリーズを展開してきた。
 そのひとつ、首席指揮者として堂々たる功績を残したNHK交響楽団とは、バルトークやストラヴィンスキー、武満徹など20世紀傑作選をはじめ、ワーグナーやマーラーなど重量感のあるレパートリーを数々録音。さらに、2015年録音の《英雄の生涯》にはじまるリヒャルト・シュトラウスの管弦楽作品チクルス3点は、楽団の高度な錬磨と覇気を深めたシリーズとして高く評価されている。
 そのリヒャルト・シュトラウス作品集の第4弾……目下のところ完結編となるアルバム『アルプス交響曲、《ヨゼフ伝説》交響的断章』が登場した。
 2023年4月の定期公演で収録されたライヴ・レコーディングは、コロナ禍での延期を越えてようやく実現した輝かしい山嶺からの眺望……あらためてアルバムとして残された意義も深呼吸せずにいられない名演だと感じる。
 マエストロは2025年4月のN響定期を指揮するために来日。リハーサルの合間をぬって、この新盤をはじめ最近の録音について、お話を伺うことができた。

リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲,《ヨゼフ伝説》交響的断章

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団
〈録音:2023年4月(L)〉
[RCA Red Seal(D)SICC19085]SACDハイブリッド

標題交響曲の傑作を、文学的・哲学的に解釈する

<strong><mark style="background-color:rgba(0, 0, 0, 0)" class="has-inline-color has-blue-color">パーヴォ</mark></strong>
パーヴォ

《アルプス交響曲》はメタファー——人生の旅の隠喩だと思います。

とパーヴォ・ヤルヴィはいつもの低く渋い声で(しかし柔らかい口調で)語る。

パーヴォ・ヤルヴィ Paavo Järvi
エストニア出身。現代最高の指揮者の1人。さまざまオーケストラで主要ポストを務めるほか、客演も数多い。そのレパートリーは膨大で、アルヴォ・ペルトやエドゥアルド・トゥビン、エリッキ=スヴェン・トゥール、ユリ・レインヴェレなど、母国の作曲家作品も盛んに取り上げている。2010年には、エストニアでペルヌ音楽祭を創設。また父の指揮者ネーメがそうであるように、キャリアの初期から、その演奏を録音に残してきた。RCA Red Sealはもちろんのこと、アルファ、エラートヴァージン)などからも重要タイトルをリリースしている。
公式サイト(英語)

<strong><mark style="background-color:rgba(0, 0, 0, 0)" class="has-inline-color has-blue-color">パーヴォ</mark></strong>
パーヴォ

世の偉大な傑作群と同じく、この作品も文学的・哲学的に解釈し得るものだと思います。私にとって《アルプス交響曲》は単なる山登りの音楽ではない。人生の挑戦、登攀とうはん、はたまた達成の象徴でもありますし、その過程で我々が遭遇する激動の数々、あるいは美しい瞬間の塑像でもあります。そしてそのエンディングでは、来し方の紆余曲折を振り返りながら、新しい生が始まる……。すべてが「人生の旅」のメタファーというわけです。

冒頭、ゆっくりと静かな下降音型から始まる〈夜〉の音楽から、輝かしい〈夜明け〉へ、さらに〈登り道〉〈森へ〉〈滝にて〉〈まぼろし〉〈花咲く草原にて〉……と、楽譜の各所にはアルプス登山の具体的なイメージを描くような標題が記されているけれど、それらはあくまで暗喩なのだ、とパーヴォは言う。

<strong><mark style="background-color:rgba(0, 0, 0, 0)" class="has-inline-color has-blue-color">パーヴォ</mark></strong>
パーヴォ

私はこの作品を単純に「アルプス」を描いたものだとは考えませんから、私とNHK交響楽団が取り組んだ今回のアルバムでも、我々にとってのアルプス——その象徴である富士山をジャケットにしてもらいました。

パーヴォ自身も解説書の巻頭言に記しているように、今回のアルバムにはよく見られるようなスイス・マッターホルンのイメージではなく、敢えて葛飾北斎の版画集『富嶽三十六景』から、特にパーヴォの印象に強く残ったという『山下白雨』(通称「黒富士」)がどんと据えられている。有名な『凱風快晴』(通称「赤富士」)と対になるような、稲妻が走る富士を見事に描いた本作がジャケットに掲げられたことで、この音楽が日本発であること、通常の「アルプス」イメージを覆す解釈であること、を表象しているわけだ。

深化される山景と、純化された大管弦楽

とはいえ今回の演奏、決して奇を衒っているわけでない。精妙にコントロールされた巨大編成を清々しいほどクリアに(そして豊かに)響かせる、現代的な正攻法を貫き通すことでむしろ、音楽を「風景描写」の先へ——パーヴォの言う「人生の旅、のメタファー」の領域へ昇華しきったような快演ではないか、と思う。

<strong><mark style="background-color:rgba(0, 0, 0, 0)" class="has-inline-color has-blue-color">パーヴォ</mark></strong>
パーヴォ

リヒャルト・シュトラウスの交響詩には、大きく2つのタイプがあります。ひとつは《ドン・ファン》や《ティル・オイレンシュピーゲル》のように、そのタイトルにもキャラクターが明確に表されているもの。《ドン・キホーテ》になると内容もかなり哲学的になってきますが……そしてもうひとつのタイプは、存在の彼方への問いかけを真っ向から描いた《ツァラトゥストラ》や、世俗的な人間の日々の成長過程を描くような《英雄の生涯》といった、文学的・哲学的な内容をもったもの。《アルプス交響曲》は後者に属するもので、哲学的な格闘をはらんでいるのです。

カップリングは、リヒャルト・シュトラウスが、自身のバレエ音楽《ヨゼフ伝説》から演奏会用に編んだ〈交響的断章〉だ。

<strong><mark style="background-color:rgba(0, 0, 0, 0)" class="has-inline-color has-blue-color">パーヴォ</mark></strong>
パーヴォ

全曲版も指揮したことはありますが、長すぎるんですよね。こちらはドラマ上の要請から組み込まれている音楽などを取り除いたもので、純粋に音楽的な観点から編まれたという点では、[ラヴェルの]《ダフニスとクロエ》の組曲版のようなものです。

全曲版の巨大な4管編成から、〈交響的断章〉版では3管編成に編み直されているが、「サウンド面では原曲とさほど変わりません」とパーヴォも言い切るように、旧約聖書の物語を基に繰り広げられる豪華絢爛な音楽、その魅力を的確に濃縮した本作は、《アルプス交響曲》の壮大なスケール感とも絶妙な対比をみせて良い。巨大な音楽を視界も深く描き切った強靱な秀演だ。

広瀬大介氏による懇切丁寧な曲目解説をはじめ、パーヴォ&N響のシュトラウス録音の経緯、N響によるシュトラウス作品演奏記録など掲載されたブックレットも、演奏にふさわしく充実。シリーズ完結を飾る手応えを感じつつ、パーヴォが録音を望みつつタイミング的に実現しなかったという《死と変容》や《4つの最後の歌》も、いつか……と願わずにいられない。

もうひとつの話題盤——トーンハレ管のこと

また、パーヴォがいま首席指揮者を務めているチューリヒ・トーンハレ管弦楽団とのレコーディングも快調だ。最新盤、マーラーの交響曲第5番でも、とりわけ最終楽章の迫力——熱狂で塗り潰されがちな終盤でも、昂揚を駆り立てながら各声部の明晰なバランスを崩さない、ぎりぎりで制御の取れた知情の爆発が凄い。

<strong><mark style="background-color:rgba(0, 0, 0, 0)" class="has-inline-color has-blue-color">パーヴォ</mark></strong>
パーヴォ

チューリヒ・トーンハレ管弦楽団は、以前にもジンマンと非常に優れたマーラー交響曲全集録音を残しています。ドイツのロマン的な伝統と深い繋がりを持った典型的なオーケストラで、ヨーロッパ屈指のアコースティックを誇るホールも、とても温かく、とても豊かで、とても色彩感のある、そして非常にデリケートなサウンドを実現していますから、マーラーの音楽にも正に適しているのです。我々も交響曲全集録音を進めていますが、《嘆きの歌》や《大地の歌》といった素晴らしいマーラー声楽作品も別のサイクルとして取り組みたいですね。——トーンハレ管とはこれまで、チャイコフスキーやメンデルスゾーンの交響曲全集、ブルックナーをいくつか録音してきて、ロマンティックなレパートリー、いわば伝統的な食事に少々スパイスを加えてきたのですが、今後3年かけてマーラーを録音して……ベートーヴェン《フィデリオ》を既に録音していますし、他にもリムスキー=コルサコフ《シェヘラザード》をお届けします

他にもさまざまな計画をお伺いしたので、驀進ばくしんのとまらぬマエストロ、次なる実りも愉しみにお待ちしたい。

パーヴォ・ヤルヴィ 関連ディスク

① R.シュトラウス:英雄の生涯,ドン・ファン ※交響詩チクルス第1弾
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団
〈録音:2015年2月(L)〉[RCA Red Seal(D)SICC19003]SACDハイブリッド

② R.シュトラウス:ドン・キホーテ,ティル・オイレンシュピーゲル,他 ※交響詩チクルス第2弾
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団
〈録音:2015年10月(L)〉[RCA Red Seal(D)SICC19020]SACDハイブリッド

③ R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく語りき,他 ※交響詩チクルス第3弾
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団
〈録音:2016年2月(L)〉[RCA Red Seal(D)SICC10219]SACDハイブリッド

マーラー:交響曲第5番
パーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団,イヴォ・ガス(hrソロ)
〈録音:2024年1~2月〉[アルファ(D)NYCX10516]

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