
インタビュー・文=飯田 有抄(クラシック音楽ファシリテーター)
写真=かくた みほ
取材協力=ナクソス・ジャパン、ジェスク音楽文化振興会
2024年11月に開催された浜松国際ピアノコンクールにおいて、日本人初の優勝という快挙を成し遂げた鈴木愛美。第1次から第3次予選で演奏し、自身にとっても思い入れの深い作品群が今年2月にレコーディングされ、デビューアルバムが誕生した。収録が行なわれたのは、コンクールの舞台となったアクトシティ浜松の中ホールである。

鈴木愛美ピアノ・リサイタル~バッハ、ハイドン、シューベルト、シマノフスキ
〔J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻~前奏曲とフーガ第22番変ロ短調BWV.891,シマノフスキ:メトープOp.29(セイレーンの島/カリュプソー/ナウシカー),ハイドン:ピアノ・ソナタ第13番卜長調Hob.XVl:6,シューペルト:ピアノ・ソナタ第18番卜長調D.894〕
鈴木愛美(p)
〈録音:2025年2月〉
[Orchid Classics(D)NYCX10543]
※日本語解説付
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「何を録りたい?」と急に聞かれて
「え! わかりません」と答えてしまいました
鈴木は浜松での優勝の前年に、若手の登竜門として知られるピティナ特級と日本音楽コンクールという2つのコンクールでも第1位に輝いており、現在もっとも注目される存在だ。東京音楽大学を首席で卒業後、現在は同大学院の修士課程に「特別特待奨学生」として在学し研鑽を積んでいる。2002年に大阪で生まれ、兄の習い事だったピアノを自分も4歳から始めた。本人いわく「わりと放任主義だった」両親のもとでピアノを続け、大舞台で結果を出してきた鈴木だが、ステージでは極度に緊張するタイプだという。
「人前での演奏はとても緊張します。その意味ではリサイタルもコンクールも私にとっては同じです。とにかく演奏に集中することしか考えていないので、審査結果や順位などはまったく頭にないのです。浜松国際コンクールも緊張しすぎていて、弾き終わった直後には自分がどう弾いたのか、あまり思い出せないくらいでした。まさか自分が優勝し、そしてこのようにアルバムをリリースすることになるとは、思ってもみなかったですね」
ステージ上での落ち着いた振る舞い、そして演奏が始まるやいなや音楽の世界へと没入する姿からは意外な言葉だが、完成したCDを手にする表情は喜びに溢れている。
「審査結果が出た翌日には、レコード会社の方からお話があり、『何を録りたい?』と急に聞かれて『え! わかりません』と答えてしまいました。でもすぐに、シューベルトは必ず入れたいと思いましたね」

鈴木愛美 Manami SUZUKI Profile
2002年大阪府生まれ。大阪府立夕陽丘高等学校音楽科を経て、東京音楽大学器楽専攻(ピアノ演奏家コース)を首席で卒業。現在、東京音楽大学大学院修士課程に特別特待奨学生として在学中。2020年度より毎年「東京音楽大学ピアノ演奏会~ピアノ演奏家コース成績優秀者による~」に出演。浜松国際ピアノアカデミー2023、2024に参加。2024年、第45回霧島国際音楽祭にてエリソ・ヴィルサラーゼクラスを受講。これまでに、稲垣千賀子、佐藤美秋、石井理恵、仲田みずほ、橘高昌男、高田匡隆、石井克典の各氏に師事。2023年8月、第47回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリおよび聴衆賞、あわせて、文部科学大臣賞、スタインウェイ賞受賞。同年10月、第92回日本音楽コンクールピアノ部門 第1位および岩谷賞(聴衆賞)、野村賞、井口賞、河合賞、三宅四、アルゲリッチ芸術振興財団賞、INPEX賞受賞。2024年11月、第12回浜松国際ピアノコンクールにて日本人初となる第1位、および室内楽賞、聴衆賞、札幌市長賞、ワルシャワ市長賞を受賞。
同じ空気感や流れを生かしたかったので
最低でも楽章単位で通して弾きました
結果、4つの作品が収められた。J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻第22番変ロ短調、シマノフスキの《メトープ》、ハイドンのソナタ第13番ト長調、そしてシューベルトのソナタ第18番である。
「レコーディングは初めてでしたから、何がどう進んでいくのか何もわからず、録音には録音の緊張がありました。でも、録音のエンジニアさんに私の要望もお伝えして、楽しく進めることができました。要望というのは、シンプルに『もう1回弾かせてください』と伝えたこともありましたが、一番大事にさせてもらったのは『通して弾く』ということでした。細切れに弾き直したりするのではなく、最低でも楽章単位で通して弾きました。最初に収録したハイドンは、リサイタルで弾くのと同じように、3つの楽章を一気に弾きました。そのあとで、楽章単位でも弾きましたが。ただやはり、同じ空気感というか、流れの中で音楽を作りたいと思ったのです」
シマノフスキの《メトープ》は、第1曲〈セイレーンの島〉、第3曲〈ナウシカー〉のみをコンクールで弾いた。第2曲〈カリュプソー〉も含めて全曲に取り組んだのはこの録音が初めてとのこと。
「アルバムにするのなら、せっかくなので全部入れたいな、と。コンクールでも1次予選で〈ナウシカー〉を、3次予選で〈セイレーンの島〉と分けて弾いていましたが、やはり通して弾くと違いますね。今後の演奏会では、全曲をプログラミングしたいと思っています。
シマノフスキのこの曲を弾き始めたのは、師事している石井克典先生から勧められたのがきっかけです。レッスンで、これからどんな作品を弾いていこうかとお話ししていて、その時はブラームスなどが挙がっていたのですが、数日後、唐突に先生から『〈メトープ〉をやってみたらどうかな』と短いLINEの連絡が来たのです。『え! シマノフスキ?』とびっくりしましたし、当初は譜読みに苦労したのですが、慣れてくるとだんだんフィットしてくる感覚があり、すごく好きになりました。とくに〈セイレーンの島〉には惹かれましたね。対位法的な魅力があるのです」

ちなみにCDプレーヤーは持っているとのこと。
シューベルトはずっとレパートリーの
中心にあり続けると思います
アルバムのメインとも言えるのが、シューべルトの長大な第18番のソナタだ。
「コンクールが終わってからも、たびたびコンサートでも弾き続けていて、私にとって本当に大切な作品です。とても感覚的な話ですが、ステージで本番を重ねるうちに、自分の感じ方や作品との距離が自然と変わってきた気がしています。でも、弾くたびに毎回感動するのです。奇跡みたいに、いい曲だなって。シューベルトの音楽は、人間がだれしも持つ普遍的な心理みたいなものに寄り添ってくれるところが魅力的です。間違いなく、ずっと私のレパートリーの中心にあり続けると思います」
今後のアルバム作りを考えるなら、どんな作品や作曲家に取り組みたいかを尋ねると、“次のアルバム”という発想そのものがなかったというように、驚きの表情を見せた。
「でも弾きたい曲はたくさんあります。一番はやはりシューベルト。来年のリサイタルではイ短調のソナタ第16番や、《即興曲集》D.899を取り上げたいと思っています。でも、ベートーヴェンのソナタはもっと弾きたいですね。とくに、第30、31、32番の後期ソナタはぜったいに弾きたい」
今年はポーランドやアメリカでのコンサート、来年1月にはロンドンでのデビューリサイタルも控えている。「大好きなピアニスト」はラドゥ・ルプーと、先般94歳で他界したアルフレート・ブレンデル。これからも鈴木愛美らしく、深く、抒情的で、瑞々しい音楽を紡いでいってほしい。

照れながら一生懸命楷書で書いてくれた
Concert
鈴木愛美ピアノ・リサイタル
10月31日(金) 19時/東京オペラシティ コンサートホール
プログラム
シューベルト:高雅なワルツ集D.969
フォーレ:主題と変奏Op.73,ノクターン第6番Op.63,ワルツ・カプリス第2番Op.38
シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番D.894《幻想》
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