
インタビュー・文=西村 祐(フルート奏者・音楽評論)
写真=編集部
取材協力=ナクソス・ジャパン、テレビマンユニオン
パリ在住のフラウト・トラヴェルソ奏者である柴田俊幸がこのほど「バッハとその息子たちによるフルート・ソナタ集」をリリースする。鍵盤楽器のパートナーは2022年にJ.S.バッハのソナタの録音でも共演しているアンソニー・ロマニウク。今回は新しいアルバムについてお話をうかがった。

バッハとその息子たちによるフルート・ソナタ集~J.S.バッハ,C.P.E.バッハ,W.F.バッハ
〔C.P.E.バッハ:フルートと通奏低音のためのソナタ ト長調《ハンブルガー・ソナタ》H.564/WQ.133,W.F.バッハ:フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 FK.52,J.S.バッハ(ケンプ編):フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタ 変ホ長調 BWV.1031~シチリアーノ,フルートと通奏低音のためのソナタ イ長調 BWV.1032(アンソニー・ロマニウク補筆完成),フルートと通奏低音のためのソナタ ハ長調 BWV.1033,ロマニウク:前奏曲,J.S.バッハ:組曲ハ長調 BWV.997〕
柴田俊幸(flトラヴェルソ)アンソニー・ロマニウク(cemb,fp)
※ピッチ:a’=402Hz
〈録音:2024年5月〉
[CHANNEL CLASSICS(D)NYCX10540]
※8月1日発売予定
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その時代のルールを勉強した上で
何も考えずピュアに演奏しました
――新しいアルバムを聴かせていただいたのですが、とても新鮮な演奏でした。部分的に楽譜からかなり離れているようにも思えたのですが、柴田さんは「楽譜」というものをどのように捉えていらっしゃいますか?
柴田 楽譜は「素材」と考えています。バロック時代ごろの楽譜には本当に最小限の情報しか載っていないと思っているのです。その時代は、細かいことを書きたくても書けないという記譜法の問題もありますが、それ以上に演奏家と作曲家の垣根がすごく低い時代でした。現代のわれわれは当時の「暗黙の了解」というか、その時代のルールを理解することが必要で、それを意識的に勉強した上で何も考えずピュアに演奏する、という試みをしたのが今回のアルバムです。
――聴いているととても自由で素晴らしいと思いますが、聴きようによっては勝手きままなことをやっている、と捉えられる場合もあるかもしれません。
柴田 すごく真面目に勉強して、その結果として面白いものができました、という感覚。僕たちはあえて面白いことをしようとしているわけではなくて、オーセンティックにやっていたら自由なものができたというのが正確なところなんです。だから言ってみればマイナスとマイナスを掛けたらプラスになったというところでしょうか。
柴田俊幸 Toshiyuki SHIBATA Profile
パリ在住のフルート奏者。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニス、バッハ・プラス、ル・コンセール・ロランなどヨーロッパの古楽アンサンブルに参加。2019年には、ベルギーのB’Rockオーケストラの日本ツアーにソリストとして抜擢された。2022年には鍵盤の鬼才アンソニー・ロマニウクと『J.S.バッハ:フルート・ソナタ集』(Fuga Libera)をリリース。2018年までアントワープの王立音楽院図書館・フランダース音楽研究所の研究員として勤務。2017年より「たかまつ国際古楽祭」の芸術監督を務める。2025年よりフランスのオーベルヴィリエ・ラ・クルヌーヴ地方音楽院古楽科講師、ベルギーのブルージュ市立音楽院で講師としてフラウト・トラヴェルソを教える。趣味は讃岐うどん作り。
アンソニー・ロマニウク Anthony ROMANIUK Profile
自身のウェブサイトに「ピアノ、フォルテピアノ、チェンバロ、その他の鍵盤楽器たち」と掲げる、幅広い音楽スタイルを常に追求する「ジャンルフリー」の音楽家。青年期に故郷オーストラリアでジャズに傾倒して即興演奏を磨き、ニューヨークのマンハッタン音楽院でモダン・ピアノを学んだ後、オランダのアムステルダム音楽院とハーグ王立音楽院でチェンバロとフォルテピアノを学ぶ。ルネサンスから後期ロマン派音楽を歴史的楽器で演奏し、現代音楽をモダン・ピアノで演奏すると同時に、歴史的楽器でフィリップ・グラスを、現代ピアノで中世音楽を演奏し、その新鮮かつ説得力のあるサウンドで聴衆を魅了。Alpha Classicsからリリースされた2作のソロ・アルバム『Bells 鐘』『Perpetuum~無窮動』 では、複数の鍵盤楽器の音色を用いてレパートリーと即興を融合させ、大きな注目を集めている。
レコーディングのためのリハーサルは
一度もやっていません
――これほど自由にふるまう演奏を作るまでに、リハーサルや録音はどのように進めたのですか?
柴田 僕たちはレコーディングのためのリハーサルというものは一度もやっていません。テンポ設定とかも何も決めずに始めるので、最初のテイクなんか全く使い物にならない(笑)。そもそもリハーサルするということが18世紀的ではないですしね。でも2人ともきわめて真面目に18世紀のスタイルを追い求めた結果ここにいるわけで、そこでいきなり即興が始まっても驚かない。今回のアルバムの中では《組曲ハ短調》の〈ジグ〉のドゥーブルなんか、たまたま書き残された即興の一部ですよね。ですから、僕たちもひとつ新しいのを作ってもいいじゃないですか。
ただ、本当に真面目にやってはいるけれど、僕たちは21世紀を生きているので、自分たちで書くものや作るものは今日までの音楽を知っているものとして、とは考えます。バッハにだって同時代の作曲家の作品を挿入したパロディ作品とかがあるのだから、われわれもやってみようか、という部分もありますね。当然トラヴェルソとチェンバロやフォルテピアノでの演奏ですから、当時の楽器でできないことはやっていません。そうしながらある程度長いスパンで何度か録って、その中からたとえば前半はこれで後半はこのテイクを、というふうに選んでいくことが多かったですね。
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――ピッチはa’=402ですが、これにはどのような理由があるのですか?
柴田 今回使用した3本のトラヴェルソすべてで演奏が可能なピッチだったことが理由のひとつです。また現在ではa’=415が一般的ですが、2人ともそれは選びたくないという点では共通していました。バッハの時代の楽器はそこまで高くなかったので、本当は当時のピッチだった398から405くらいにしたかった。でもそこまで低くすると、音の母音の発音に時間がかかりアーティキュレーションのスピードが落ちるので、全体にゆっくりな演奏を強いられてしまう。それは避けたかったし、できない言い訳にはしたくなかったので、415でも吹けないくらいの猛烈な速さで吹きました。402でもこれだけやりたいことが具現化できると言うために、技術面での特訓は必要でした。


【柴田俊幸&アンソニー・ロマニウクのファースト・アルバム】
J.S.バッハ:フルート・ソナタ集/バッハによるファンタジアとインプロヴィゼーション
〔J.S.バッハ:フルート・ソナタ ホ長調 BWV.1035,同ホ短調 BWV.1034,同ロ短調 BWV.1030 他〕
柴田俊幸(flトラヴェルソ)アンソニー・ロマニウク(cemb,fp)
ピッチ:a’=402Hz
〈録音:2021年5月〉
[Fuga Libera(D) NYCX10272]
【輸入代理店ページはこちら】
C.P.E.バッハはあえて過激に大げさに
「バッハのシチリアーノ」もいい曲だから収録
――特に素晴らしいと思ったのはカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの《ハンブルガー・ソナタ》でした。テンポの緩急も大きくてドラマティックです。
柴田 エマヌエルがハンブルクに行ってすぐに書いた作品で、解放感に満ちています。僕はクヴァンツのレプリカ、ロマニウクはジルバーマンのフォルテピアノのレプリカをそれぞれ使っているのですが、エマヌエルはベルリンのサンスーシ宮殿でこれらの楽器の音をほぼ毎日聴いていたと思います。
僕がこの曲でやってみたかったのは、ダイナミクスと和声感の変化の強調です。曲のムードやダイナミクスの違いが音楽のテンポにも影響するべきなのですが、実際にやっている人はあまり多くない。昔の教則本にも書いてあるのに! だからあえて少し過激に大げさにやってみました。そうじゃないとエマヌエルの様式でよく言われる「多感様式」になりませんからね。
――有名な「バッハのシチリアーノ」も入っていますが、ケンプの編曲を使っていらっしゃいます。そもそも誰の作品か定かじゃないですね。
柴田 単にいい編曲だからやってみるか、と。僕は純粋に音楽を通して芸術をやりたいだけなので、これが真作か偽作かなどに(もちろん気にはなりますが)あまり情熱を使いたくない。どういう風にしたらこの曲をみなさんに最上級の状態で伝えられるかしか考えていないんです。もちろんセバスティアンの作品であったらいいな、とは思いますが、でもこうやってロマンティックな思想を持った20世紀の作曲家兼ピアニストが編曲したくなってしまう、そういうところがバッハの魅力でしょう? ラフマニノフもバッハを編曲して弾いていますしね。バッハとは違うな、と思った時期もありますけど、それでも演奏したかったので収録しました。
――8月にはリサイタルツアーも開かれます。
柴田 僕は聴く人も音楽に対して能動的であってほしいと思っています。その一番の近道は「体験する」ことで、その機会が少しでも増えていくことが大事です。演奏家ももっと出て行かなければならないし、いつまでも貴族のためにやってます、みたいになるのは良くないと思うんです。ですからぜひコンサートに来て音楽を体験してほしいです。
Concert
柴田俊幸&アンソニー・ロマニウク
日本ツアー2025【東京公演】
日時 8月26日(火)19時 サントリーホール ブルーローズ
演奏 柴田俊幸(フラウト・トラヴェルソ)アンソニー・ロマニウク(フォルテピアノ,チェンバロ,クラヴィコード他)
オール・バッハ・リサイタル バッハを読み解く
〔J.S.バッハ:フルート・ソナタ ロ短調 BWV.1030,イ長調 BWV.1032,ホ短調 BWV.1034,ホ長調 BWV.1035,組曲ハ短調 BWV.997,柴田俊幸&ロマニウク:サラバンドによるファンタジア(無伴奏フルートのためのパルティータBWV.1013による),最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ BWV.992〕
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※公演によって出演者・曲目が異なります