特捜プロジェクト・アニバーサリー作曲家 2005年⑥

ショーソン,エルネスト
Chausson,Ernest
(1855~99)

アニバーサリー作曲家レコ芸アーカイブ
この記事は約9分で読めます。

≫特捜プロジェクト・アニバーサリー作曲家の他の記事はこちらから

文・相場ひろ(あいば・ひろ)

1962年生まれ。81年より京都在住。90年から93年までパリ留学、99年より翌年までジュネーブ在住。 現在は大学でフランス語を教えると共に、文学などの講義を担当する。 音楽誌などにディスク・レビューを中心としたクラシック音楽に関する文章やプログラムの曲目解説を寄稿する。著書に『ON BOOKS advance もっときわめる! 1曲1冊シリーズ  ①ベートーヴェン:交響曲第9番』『同 ⑥フォーレ:《レクイエム》』(以上音楽之友社)がある。

***

サイクリング中の
不慮の死


Ernest Chausson
1855~1899

1899年6月10日午後6時過ぎ、セーヌ川畔の小村リメの別荘で仕事に励んでいた44歳のエルネスト・ショーソンは、書きかけの楽譜を放り出して、長女のエチエンヌを連れ、パリからやってくる夫人と子供たちを駅に出迎えがてらサイクリングに出かけた。またがるにも走るにももたもたするのが常だった父親を待たずに、娘は先に家を出る。しかし、いつまでも追いついてこないのを不審に思った彼女は道を引き返し、家の門の前で父が血を流して側れているのを発見した。頭を地面に打ち付け、こめかみを割っての即死だった。 

————–ここまで無料公開————–

緩い下り坂の途中にある現場で何が起こったのかは、正確には不明のままである。仕事の疲れからよろめいたのか、急に暑さの増した天候にあてられたのか、それとも、普段からよく乗ったまま転ぶことがあったというショーソン自身の不器用さのせいだったのか? この謎めいた、ばかげた最期は、後世に多くの事実無根な注釈を生むことになる。その最たるものは、人生に絶望した作曲家が事故に見せかけて自ら死を選んだとする、根も業もない憶測だ。

あまりに無根拠かつ無責任なこの自殺説が現在に至るまで意外に根強い人気を誇るのは、おそらくその甘いイメージに、今日知られる彼の代表作の放つオーラと通じるものがあるからではないだろうか。そこでは霧に煙るようなロマンが、世紀末的な重苦しい雰囲気とは一線を画す個人的な憂いとして湛えられ、精神の気高さを裏切ることなく溢れ出ていく。例えば有名な歌曲《愛と海の詩》での、テクストのもつ星菫派的な弱さを一気に超克する、真摯な感情と高貴な香りの奇跡的な融合を思うとき、聴き手の想像力を自殺説に向けて刺激する何ものかの力の作用を、そこに垣間見ることは不可能ではないだろう。作品がかき立てるイメージを現実に写しこみ、人生に芸術を模倣させようとする、人の心の働きの好個の例というべきかもしれない。

サロンで育くまれた
美術、文学の造詣

エルネスト・ショーソンは1855年1月20日、パリの裕福なブルジョワ家庭に生まれた。生来やや虚弱であり、集団教育にも馴染むことのなかった彼は、幼くして優れた家庭教師に委ねられる。偶然にもこの家庭教師が、当時芸術の擁護者として、オディロン・ルドンを始めとする多くの芸術家たちを巣めたサロンを開いていたド・レイサック夫人と知己であって、エルネスト少年は当時勢いのあった文学者、画家、音楽家たちと交わる機会を得ることができた。ひとり家に籠もって内省や夢想に傾きがちだった彼の性向は、これを機会に美への探求に強い興味を抱くようになり、文筆や絵画を自ら試みた後に、自らに最も近い分野として音楽を選び、15歳にしてピアノを習い始めることになる。

目覚ましい速さでピアノを習得した彼は、やがて音楽家として身を立てたいという強い野心にとらわれる。親の忠告にしぶしぶ従い、法学部を出て弁護士資格を得るものの、77年、ついに彼は本格的な作曲活動を開始した。しかし、家庭教師による指導やサロンでの様々な影響もあって、美術や文学についてはひとかたならぬ素養を積み重ねていたショーソンであったものの、作曲についてはそれまで正規の教育を受けてはいない。彼がバリ音楽院の門を叩いたのは、ようやく79年になってからのことで、まず聴講生として、後に正規学生として、当代の人気作曲家ジュール・マスネの管弦楽法の講義に参加する。そのときに出会ったのが、かのセザール・フランクである。当時交友していたヴァンサン・ダンディが熱烈な信奉者だったこともあり、彼の授業に参加したショーソンは、その後強く影響を受けていく。フランク派の寵児として脚光を浴びるキャリアの始まりだ。

フランクに傾倒

ショーソンはマスネに師事しながらも、なぜフランクに惹かれていったのか。ショーソンについて大部の評伝を刊行したジャン・ガロワによれば、まず篤い信仰の持ち主として、歌劇場寄りで世俗色の強いマスネよりも、教会のオルガン奏者であり、かつ神秘主義的傾向も持ち合わせたフランクに、精神的に近いものを感じていたであろうことがある。また、政治的・宗教的な同質性も高く、ワーグナーの音楽への傾倒を共有したいわゆる「フランク党」の雰囲気が、ショーソンにとって居心地の良かったことも忘れてはなるまい。

しかしながら、ショーソンからみて最も魅力的だったのは、循環主題や厳密な調性プランに基づいて堅牢な形式感の実現を目指す、フランクの作曲技法へのアプローチそのものではなかっただろうか。彼が1879年にド・レイサック夫人に宛てた手紙に、次のような一節がある。

「シューマンのある恐ろしい言葉が、私の耳に審判のラッパのように響いて止みません。それは、『形式を完璧に統御できて初めて、思いを統御できるようになる』というものです。私はこうした考え方の正しさを、日に日に強く感じ、ひとときも休まることがありません。そこまでは到達できないのではないか、できたとしても遅すぎるのではないか? そんな予感のせいか、私は何日も、自分にもよく分からない熱い衝動にかられることがあります」。

ショーソンの音楽では、例えばヴァイオリンと管弦楽のための《詩曲》においては、ロマン派的心情の率直な吐露と火照りを帯びた抒情性によって、不断に即興的な展開へと導かれる音楽の奔放さが、まず聴衆を魅了する。あるいは唯一の交響曲変ロ長調では、繊細で感覚的な和声と華麗な管弦楽法が支える、淡いペシミズムと身の丈を偽らないヒロイズムの交錯が私たちの耳を奪う。けれども、彼が目指したものは、シューマンの言葉にあるごとく、想いを厳しく制する古典的な形式美の世界だったのだ。彼は自分の内向的で夢想がちな本質を生のままに奔出させることに躊躇いがあった。少年期に培われた教養に基づく古典主義的なセンスが彼の心深くに根付いていたからだ。一作毎に長足の進歩をみせたといわれる彼の作品全体を貫くのは、実は生来のロマン派的傾向と古典主義的美感との相克のドラマであったといえはしまいか。

そうした古典派的世界への憧れは、例えば傑作、ヴァイオリンとピアノ、弦楽四重奏のためのコンセール(「協奏曲」と訳すのは誤り)にもみてとれる。情熱と夢想の問を行き来する音楽は、編成やタイトルによってフランス古典派への敬愛を露わにしている。しかし、その到達点として挙げるべきは、早過ぎた晩年の室内楽作品群だろう。ピアノ四重奏曲イ長調や、終楽章の最後数ページのみ未完成のまま残され、ダンディによって完成された絶筆である弦楽四重奏曲ハ短調など、他の有名曲のみによってショーソンをイメージする人々にとっては、甘く煙るような憂愁を欠いて、物足りなく思えることと思う。しかし、ここで展開される晴朗かつ伸びやかな世界こそは、作曲家ショーソンの心をとらえ、日々新たな作曲への衝動を支え続けた、彼の夢見る理想の音楽であった。先の手紙に込められた彼の不安に対して、後世の私たちは答えよう。「そう、君は間に合ったのだ」と。

TOPICS

《アルチュス王》

ショーソン畢生の大作《アルチュス王》は、アーサー王と円卓の騎士をめぐる伝説に基づいている。「アルチュス」はフランス語での「アーサー」の古形である。題材的な連関から、この作品はワーグナーの、特に《トリスタンとイゾルデ》の影響を言われることが多い。しかし、中世の物語作品に依拠すること、騎士と王妃の悲恋をテーマとすること以外には、2つの作品には決定的な相似点はないといっていい。例えば登場人物全てが作者自身の顔をして延々とモノローグを語り出す、いかにもドイツ・ロマン派的な色合いに満たされたワーグナーの台本に対し、やはり作曲者自身の手になる《アルチュス王》の台本は、緊密なストーリー展開と明快な性格描出をこととして、ラシーヌ以来のフランス古典演劇の伝統に深く根ざしている。また音楽自体も、劇的な振り幅には事欠かないものの、ワーグナーの楽劇のうねるようなエモーションの満ち干とは無縁なきびきびした場面展開を主眼としており、ワーグナー流のライトモチーフ手法からも距離が置かれている。なお、台本は9年にわたる推敲の果てにオリジナルなストーリーとなったけれど.元来はフランス中世文学の研究者、ポーラン・バリスの翻案になる『円卓物語』に由来するとされる。典拠となった箇所は、13世紀にフランス語で書かれた作者不詳の『アーサー王の死』に基づいていて、これは現在邦訳で読むことが可能である(白水社刊『フランス中世文学集4』所収)。

おすすめディスク

ショーソン:弦楽四重奏曲ハ短調Op.35
〔+ルーセル,マニャール:弦楽四重奏曲〕
ヴィア・ノヴァSQ
〈録音:1985年10月〉
[Warner Classics(D)2564 61368-2(2枚組,海外盤)]

《愛と海の詩》、《詩曲》、交響曲など、有名曲のディスク紹介は省略する。本文にあるとおり、ショーソンの絶筆となった弦楽四重奏曲は、おそらくは意図的に甘さを抑えて峻厳さと簡明さを前面に出し、ロマン派よりはべートーヴェンに近い世界を切り開くことに成功している。LP時代以来名盤として評判の高かったヴィア・ノヴァ四重奏団の演奏は、この音楽のきりりとした佇まいを過不足なく描き出すパランス感覚がすばらしい。

ショーソン:《聖チェチーリアの伝説》Op.22,《テンぺスト》Op.18
ジャン=ジャック・カントロフ指揮アンサンブル・オルケストラル・ド・パリ,イザベル・ヴェルネ(S)フランソワ・ル・ルー(Br)他
〈録音:1994年9月〉
[EMI(D)5 55323 2(海外盤)]

前者は《愛と海の詩》の詩人ブーショールの、後者はシェークスピアの舞台のために書かれた劇音楽で、当盤が初の本格的な紹介となった。限られた楽器編成による小品の積み重ねながら、ショーソン特有の柔かな芳香を放つ夢想が節度をもって提示されて、至福のひとときを与えてくれる。さらにはその一見レトロな雰囲気の下に、意外に大胆な和声の組み合わせや不協和音の使用があるという、一筋縄ではいかない懐の深さも魅力だ。

ショーソン:アルチュス王
アルミン・ジョルダン指揮フランス国立po,ラジオ・フランスcho,テレサ・ジリス=ガラ(S)ジノ・キリコ(Br)ゲスタ・ヴィンベルク(T),他
〈録音:1985年12月〉
[Erato(D)2292-45407-2(3枚組,海外盤)]

アーサー王の妃であるジュニエーヴルとその宮廷最高の騎士ランスロとの不倫の愛、甥モルドレのアーサーに対する裏切りに端を発するアーサー王宮廷の終焉をテーマとしたこの歌劇は、従来ワーグナーのエピゴーネンとして語られることが多いものだった。世界初の、そして唯一の全曲録音は、そうした悪評を払拭し、緻密ながら風通しのよさを失わない美しい管弦楽と劇的緊張に満ちた歌からなる壮麗な音絵巻の真の姿を開陳した名盤だ。

タイトルとURLをコピーしました