柴田南雄の名連載『新・レコードつれづれぐさ』第15回。最終回となる今回の話題は、マーラーの交響曲第9番。カラヤンの1982年ベルリン音楽祭のライヴ録音、1979年~80年のセッション録音、そしてバーンスタインの1979年ライヴ録音を比較していきます。
※文中レコード番号・表記・事実関係などは連載当時のまま再録しています。

埋もれぬ名を長き世に残さんこそ
あらまほしかるべきに
シェーンベルクは《6つのピアノ曲》(作品19)の第1曲から第5曲までを1911年の2月19日に一気に書き上げた。彼ははじめ、この5曲でセットにする積りだったにちがいない。《5つの管弦楽曲》(作品16)や、ヴェーベルンの弦楽四重奏の《5つの断章》(作品5)など、近い過去に5曲でセットの前例もあることだ。というのは、第6曲だけ、飛び離れて同年の6月17日の日付になっている上に、自筆譜には曲の番号が付されていない。だいいち、曲想も5曲目までとはまったく違う。その第6番では右手と左手が交互に2種類の和音を鳴らすが、その和音が最後まで不変なのは、葬式の鐘の音を模しているからだ。
誰の葬式かというと、ほぼ1ヶ月前の5月18日にヴィーンで死んだマーラーの葬式であり、一方の鐘の音、つまり右手の、下からa・d・hの和音は、マーラーの《第九》の開曲のハープのモチーフの引用だと言われている。もちろん展開部の末尾の「ある陰鬱な葬礼のように」の個所の引用と見てもよい。《第九》の初演は翌1912年にブルーノ・ワルターがヴィーンで行なっているが、シェーンベルクはマーラーの家で、その生前にか、死後にか、スコアを見る機会はあったろう。
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