バッティストーニ&東京フィルの注目録音
リヒャルト・シュトラウス《アルプス交響曲》を聴く

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COCQ85655

文=内藤眞帆 (音楽学)

相性抜群! 野心の一枚

晴れた日にはアルプスを望むミュンヘンで生まれ、後半生はドイツ最高峰ツークシュピッツェの麓町ガルミッシュ=パルテンキルヒェンの山荘で作曲に勤しんだリヒャルト・シュトラウス。そんな彼が山の一日を題材にした作品を書いたことは、いわば必然であった。

《アルプス交響曲》の着想は15歳の夏、バイエルン・アルプスの前山ハイムガルテンでの山歩きに遡る。下山の途中で道に迷い、雷雨に見舞われた一夜の記憶が、20年後にこの壮大な登攀(とうはん)の構想を芽吹かせ、さらに15年を経て1915年に単一楽章の交響曲として結実した。

バッティストーニ指揮・東京フィルによる本盤は、この一作品のみによる勝負作である。両者はすでにベートーヴェンやマーラーの交響曲といったドイツものの録音を重ねてきたが、シュトラウスは今回が初となった。イタリア・オペラ畑に育ったバッティストーニと、新国立劇場を中心に数多の舞台作品を支えてきた東京フィル。劇場で鍛えられた彼らの情景描写の雄弁さと劇的構成力が、ひとつの山行の物語を描くこの標題音楽と響き合わないはずはない。

明晰な演奏があらわす山容

その美質は随所に表れる。〈頂上にて〉では、オーボエの牧歌的な旋律が過ぎ去ると、金管を軸とした響きの厚みで頂点が堂々と築かれる。テンポはいま少し腰を据えて広げてもよいと思わせるが、頂を踏んだ達成の手応えは十分だ。

山の天気は変わりやすい。晴れわたっていた山頂から一転、空は荒れる。〈雷雨と嵐、下山〉の前後では、激烈な場面で各主題が混濁せず明晰に鳴り渡るのは美点だが、その明晰さゆえに複数のモティーフが同時に押し寄せる対位法的な混沌の凄みは、やや後退する。整いすぎ、型にはまった印象が残るのだ。

しかし本盤の真価は、激情よりむしろ内省の領域にある。〈哀歌〉と〈終末〉という、作品内で物質世界への明確な言及がないこの二部分において、オルガンを擁する響きが他の楽器と精緻に彫琢され、オルガンが沈黙する箇所までもが透徹している。重厚さや官能ではなく、透明な彫琢と構造の明晰さによって、この曲の隠れた相──シュトラウスがこの登攀に託した形而上的な探究──を照らし出す。両者の到達した境地が、ここに刻まれている。

冒頭と末尾に置かれた二つの〈夜〉は、その達成を静かに縁取る。物質の世界と形而上の世界を繋ぐ円環として、全曲は閉じられる。内省の彫琢も、嵐の場面の透徹した造形も、ともにこの演奏を貫く明晰さの現れにほかならない。その一貫した美学の輪郭を、両端の静けさが指し示している。

ディスク情報

R.シュトラウス:アルプス交響曲

アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルハーモニー交響楽団
〈録音:2025年9月(L)〉
[デンオン(D)COCQ85655]

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協力:日本コロムビア

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