音楽評論家・城所孝吉氏の連載、第20回は前号(第19回)のR.シュトラウス《英雄の生涯》に続いて《ドン・キホーテ》を取り上げます。両者の対比からは「自己アイロニー」が浮かび上がり、そして最後《家庭交響曲》や《インテルメッツォ》などの露悪的作品にまで行き着く過程を追っていきます。
自画像としての対の交響詩
前回は、リヒャルト・シュトラウスが《英雄の生涯》において、ソナタ形式を使って物語を語った、そして同じことは《ドン・キホーテ》でも変奏曲形式で行なわれ、両者は対を成している、という話をした。前者では、英雄と批評家(第1および第2主題)の闘争が、英雄の勝利によって結ばれるが、後者では、英雄(テーマ)は同じ失敗を何度も繰り返し、前進しない。それは、形式美を追求する絶対音楽が、標題音楽でもあり得ることを示している。
しかしより本質的なのは、シュトラウスがこの2作を自己の肖像画として描いたことだろう。そして両者は、まったく反対のキャラクターを示している。《英雄の生涯》は英雄としての自分を真面目に扱っているが、《ドン・キホーテ》は、それをカリカチュア化しているのである。
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