
特別企画シリーズ「カール・リヒターとアーノンクール」の完結編は、音楽評論家の舩木篤也さんと矢澤孝樹さんによる対談です。同時代に生きながら、まったく異なるアプローチでバッハ演奏の地平を切り開いた二人――その違いはどこにあり、どのように受け継がれてきたのでしょうか。戦後ドイツとオーストリアという歴史的背景の差異から、演奏における「精神」と「方法」の問題、さらには現代のHIP(歴史的演奏)に至るまで、議論は多角的に展開します。リヒターとアーノンクール、それぞれの到達点と限界、そして現在における意味をあらためて問い直します。前編はこちら
“バッハ以前”への視座
アーノンクールが挑んだ「表現の回復」
――前編でのリヒター論を踏まえて、後編ではアーノンクールの仕事に話を移したいと思います。
矢澤 バッハを中心にリヒターと対比させると、アーノンクールもまた伝統への意識は強いですが、参照点が違います。
リヒターが19世紀以降の伝統でバッハを内側から鍛え上げたのに対して、アーノンクールはバッハ以前に遡った。コンツェントゥス・ムジクスの初期レパートリーがパーセルやネーデルラント楽派だったことからも明らかです。
バッハへの取り組みも段階的で、《ブランデンブルク》から始めて、《ヨハネ》《ロ短調ミサ》、そして最後に《マタイ》へ進む。慎重に射程を伸ばしてゆく。
初期の録音を聴くと、《マタイ》初回録音がある70年代前半くらいまでは、実はリヒターと決定的に断絶しているわけではないとも感じます。
舩木 ええ、思われているほど単純な対立ではないですね。ただ方向がまったく違う。
矢澤 当時の批評は「歴史的再現は興味深いが響きが弱い」といった表面的な部分に集中しがちでしたが、彼が本当に目指していたのは単なる「歴史的再現」ではなかったと思います。
むしろ批判を受けながら時間をかけて、自分の表現を鍛えていった。その結果として、70年代後半から80年代にかけて、単なるピリオド演奏ではなく、完全に彼自身の音楽になっていく。
言い換えれば、演奏が持つ「表現」としての力を、リヒターとはまったく別の形で回復しようとしていたのではないでしょうか。
舩木 もともとウィーン交響楽団のチェリストだったわけですから、その内部で感じていた違和感が出発点にあったのでしょうね。ただ、それが最初から明確な思想としてあったというよりは、実践の中で徐々に形になっていったのではないかと思います。
50年代はまず楽器を集めるところから始めなければならなかった。ですから、後年のような「アンチテーゼ」としての強い表現は、もう少し後に形成されたものではないでしょうか。
それに当時の反応も、ある意味では自然だったと思います。進歩史観が前提としてある時代に、わざわざ古い楽器を持ち出して演奏すること自体が理解されにくい。
大きなホールで近代オーケストラの響きに慣れた耳にとって、フラウト・トラヴェルソやオーボエ・ダモーレの音は、どうしても「弱い」と感じられる。そういう違和感を人々が抱く中で、彼は根気強く続けていったわけです。
矢澤 かなり教育的な姿勢が強い人ですよね。著作も多いですし、常に「本来その音楽が持つ力はどうだったのか」「私たちは慣習に縛られていないか」と問い続けている。
舩木 その背景には、やはりバッハ以前の音楽への視野があったことが大きいと思います。古い時代の音楽を実際に演奏しながら、その延長線上でバッハを捉えることができた。これはリヒターにはなかった視点かもしれません。音楽の読み方や実践の仕方が、バッハ以前と無関係であるはずがない――そういう感覚を、具体的な経験として持っていたわけですよね。その蓄積が、最終的にあのような表現につながっていったのだと思います。
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