
アリス・アデールと音楽の旅
〔ショパン:夜想曲第5番,同第8番,ブラームス:3つの間奏曲,グラナドス:ロマンティックな情景,アルベニス:組曲《イベリア》第1巻~第3巻,モンポウ:ひそやかな音楽(全曲),メシアン:幼な児イエスにそそぐ20のまなざし(全曲),フィリップ・エルサン:エフェメール,他多数〕
アリス・アデール(p)他
〈録音:1980年6月~2025年9月(一部L)〉
[ARTALINNA(S/D)ATLC001(34枚組,海外盤)]※初回限定生産盤
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文=平野貴俊 (音楽学)
熱視線をあつめるピアニストの録音遍歴
2026年の2度目、2年ぶりの来日では東京・横浜の両公演が完売になるなど、80歳にして日本の音楽ファンから熱い視線を浴びるアリス・アデール(1945~)。その60年近いキャリアの集大成ともいえる、CD34枚組の録音集成が発売された。入手困難となっていた初期の録音、貴重な同時代作品も収めた本ボックスは、来日以前からの密かなファンも多かった日本において、まさに垂涎ものといってよい。
内容は、約半分がこれまでに発売された録音、もう半分が未発表のライヴでの、あるいはプライヴェートに行われた録音。発売済みの音源の8割方はカヴァーされている。ブックレット(仏英)によれば、選曲にはアデール自身の意向も反映されているとのこと。ラインナップを見てまず驚くのはレパートリーの多彩さ。早くも1984年に、18世紀のベンダ[CD3&4]、19世紀のヴォジーシェク[CD4]、20世紀のヌネス[CD22]を録音していることは、彼女の並々ならぬ好奇心と意欲の表れだろう。
34枚組をつらぬく個性と円熟
聴き進めると、きわめて初期から確立されたアデールの個性が、時代も様式もさまざまな作品群を前にしながら、いささかも揺らいでいないことに驚く。鋭いアタック、和音のバランスよい響き、テンポと弱音の巧みなコントロールが際立ちながらも、聴き手に語りかけるような親密な音楽が紡がれてゆく。鋭い音と温もりある音の対比、瑞々しい抒情が印象的なメシアンの《幼な児イエスにそそぐ20のまなざし》[CD5~6]は、若きメシアンが書いた強烈な愛と信仰の音楽を、ドビュッシー以降のフランス音楽の系譜に位置づけた秀演。「和音のなかのどの音も大きな存在感をもって」鳴らすようにという、メシアンがアデールに行った助言が見事に具現化されている。
アデールと親しい同時代の作曲家が選ばれていることも見逃せない。長年の盟友で、2024年共に初来日した作曲家エルサン(ブックレットに文章を寄せてもいる)が彼女に捧げた作品のほか、アデールの最初のパートナーでかつて日本に滞在した経験もあるドレスティエ[CD22&28]、2番目のパートナーであるイグレシア[CD22]の作品も収められている。この2人の内省的、瞑想的な作風は、本ボックス所収のブラームス[CD17&26]やモンポウ[CD18]にも通じる。
今回が初出となる録音では、グラナドス《ロマンティックな情景》[CD24]の悠揚迫らぬ足取り、アルベニス《イベリア》〈エル・ポロ〉[CD24]の濃厚な表情づけが忘れがたい。最新録音(2025年9月)のショパン《夜想曲》[CD31]での巧みなペダリングによる明晰な音響、ルバートを効かせながらも端正な音楽の運びには若々しさすら宿るが、それはおそらく円熟の結果として逆説的に浮かび上がってきたものにちがいない。
注目のブックレット、そして10年後のこと
34枚の各スリーヴにはさまざまな時代に撮影されたアデール、また彼女と仲間たちの写真があしらわれている。アデールが生まれてから現在までの来歴を振りかえってさまざまな思い出を綴ったブックレットの文章も、ファンにとってこの上なく貴重な資料であるばかりか、近現代フランス音楽に関心をもつ人すべてにとって有益だろう。「10年後に出る次のボックスをお楽しみに!」という彼女の最後の一言を胸に留め、至芸のさらなる深化に期待したい。
協力:東京エムプラス

