“レコ芸的”クラシック音楽入門

「同じ曲を何度も聴く」から見えてくるもの
――相場ひろさんに聞く、マーラー《第9番》と同曲異演の愉しみ【前編・無料公開】

"レコ芸的"クラシック音楽入門特別企画
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同じ曲の録音を、指揮者やオーケストラを変えて何度も聴く。レコ芸読者にはおなじみの「同曲異演」だが、その面白さはどこにあるのだろう。『もっときわめる! 1曲1冊シリーズ ⑨ マーラー:交響曲第9番』を上梓した音楽評論家の相場ひろさんに、マーラーを入り口として、録音を聴く楽しみを伺った。前編では、演奏によって作品の姿が変わる理由と、初めてこの大曲に向き合う際の心構えを考える。

取材・文=編集部

『もっときわめる! 1曲1冊シリーズ⑨ マーラー:交響曲第9番』相場ひろ 著
音楽之友社/2026年7月発行/B6変型判・96頁/定価1,320円(税込)/ISBN 978-4-276-35709-9

マーラーによる細かな指示が、かえって解釈の幅を生む

――マーラーの交響曲第9番は、演奏家による違いが現れやすい作品でしょうか。

相場 指揮者ごとの違いは、細かなところにも、大きなところにもあると思います。まず、マーラーの曲は楽譜から来る情報量が膨大なんです。オーケストレーション、つまり楽器の組み合わせ方も複雑ですし、形式の面でもいろいろな複雑さがある。それをどう処理するかによって、違いが出てきます。
 それに、マーラーは演奏の指示がとても細かい。「もっと速く」「もっと遅く」と書いてあるけれど、その「もっと」とはどのくらいなのか。そこからして、人によって考え方が違うわけです。
 ブラームスの時代には、阿吽の呼吸で行なわれていたことを、マーラーはあえて文字にした、とよくいわれます。ところが、文字にすると、今度はその指示をどう読むのかという問題が出てくる。マーラー自身は、誰にでもわかるように、演奏できるようにと思って書いたのかもしれません。それが逆に、演奏する側に解釈の自由を与えることにもなったんですね。
 もうひとつ面白いのは、マーラーを直接知っていた世代の人たちも、それぞれまったく違う演奏をしていることです。ブルーノ・ワルターとオットー・クレンペラーでも違いますし、ウィレム・メンゲルベルクにも独自の流儀があった。最初から演奏の伝統がひとつではなく、入り乱れている。それも、同曲異演の面白さを生む理由だと思います。

――第9番では、どんな点に注目すると、その違いがわかりやすいでしょう。

相場 マーラーが完成させた最後の交響曲である、ということをどう受け止めるかですね。「この世への告別」として深くのめり込む人もいれば、そういうこととは切り離して演奏する人もいる。この曲をどう位置づけ、どんなメッセージを伝えるものと考えるか。その楽曲観が、演奏を大きく変えると思います。
 ワルターはマーラーと非常に近い関係にあったので、「直伝の解釈」といわれます。でも、メンゲルベルクも直接交流して、マーラーからいろいろ教わった人です。そうした初期の人たちの間でも、楽曲観は必ずしも共有されていなかった。マーラーの交響曲のなかでも、第9番はとりわけ、その違いが大きい曲ではないでしょうか。

――マーラー自身が初演できず、没後にワルターが初演したことも関係するのでしょうか。

相場 マーラーは、できあがった楽譜に対しても、さらに自分の思いを伝えようと、細かく手を入れていく人でした。メンゲルベルクに渡した別の交響曲のスコアにも、たくさんの書き込みがあって、メンゲルベルクはそれを拾いながら演奏をつくっていたわけです。
 第9番は、マーラー自身の演奏を通してさらに詰めていく、という過程を経ていません。スコア自体は非常に精細に書かれていますが、ほかの曲と比べると、そういう最後の詰めの部分は残されていたのだろうと思います。
 たとえば第4楽章は、弦楽器を中心に、比較的すっきりと書かれています。もしマーラーが生きていたら、さらに手を入れた可能性もあるでしょう。一方で、管楽器を必要最小限にして弦楽器で進めていくことを、晩年の円熟と捉える考え方もある。そこは、ひとつの見方だけでは決められないと思います。

1枚のディスクを繰り返し聴くことが「同曲異演」の入口

――同じ曲を何種類も聴くというのは、一般的には少し特殊な楽しみ方かもしれません。

相場 特殊は特殊ですよね。なんでそんなことをするんだ、と自分でも思います(笑)。ただ、その前に、一枚の録音を何度も聴くという体験があるんです。
 私がチャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》を初めて聴いたのは、ロヴロ・フォン・マタチッチの演奏でした。中学生の頃に、レコードからダビングしてもらったテープをずっと聴いていて、高校ぐらいまではそれで親しんでいた。その後は長いこと聴いていなかったのですが、最近、久しぶりにCDで聴いたら、覚えているんですよ。細かいところまで。
 理想という言い方とは少し違うんですが、自分のなかにある《悲愴》の基本的なイメージが、かなり細部まで、そのマタチッチの演奏どおりにできていたんです。一枚のレコードでひとつの曲をひたすら聴くことは、それだけ強烈な体験を生むんですね。
 初めて聴いた演奏でなくてもいい。ひとつの録音を延々と、何度も聴く。それだけでもいいのかもしれません。でも、そうやって「この曲はこういう曲なんだ」というイメージができたあとで、別の演奏を聴くと、「ここがこう違うんだ」「この人はここをこんなふうにつくるんだ」と気づくわけです。
 それまでひとつだったイメージに、「こういうこともできるんだ」という可能性が加わる。曲に対する理解や楽しみが、そこで深まっていく。それが、同曲異演を聴くいちばんの楽しみではないかと思います。

――聴き比べることは、必ずしも優劣を決めることではないのですね。

相場 昔の『レコード芸術』にも、ベスト3を選ぶような人気企画がありました。そうやって優劣を決めるのは、いわばお遊びの部分です。それよりも、いろいろな演奏を聴くことで、自分がその曲に持っているイメージを広げたり、深めたりできれば、それがいちばんいいと思います。

――録音なら、離れた場所にいる人とも、同じ演奏について語り合えます。

相場 演奏会は、ホールまで出かけて、コーヒーを飲んだり、終わったあとで友達と話したりするところまで含めた出来事ですよね。そういうなかで音楽を楽しむことは、とても大切です。
 ただ、家でもそれを再現しようとするより、家には家の楽しみ方がある、と考えたほうがいいと思うんです。世界のあちこちに、自宅で同じ録音を楽しんでいる人がいて、その音楽について語り合える。ディスクで音楽を聴く楽しみには、そういうこともあるのだと思います。

“この世への告別”と急いで決めつけない

――初めて第9番を聴く人には、どのような入り方を勧めますか。

相場 「情報を全部遮断して、虚心坦懐に聴いてください」といっても、まず無理ですよね。いろいろなことが語られている曲ですし、「完成した最後の交響曲」ということくらいは知ったうえで聴くでしょう。
 ですから、まっさらな状態で聴くことを勧めるわけではありません。「死を前にした遺言だ」という見方もあれば、「生き生きとした生への欲求に満ちている」という見方もある。正反対の意見がある曲なんだ、ということを頭に入れて聴いてみるのは、ひとつの方法だと思います。
 一度や二度では、「よくわからないな」で終わるかもしれません。私だって、最初は細かいところを少し覚えている程度でした。でも、「よくわからないけれど、何かすごいことをやっているかもしれない」という、もやもやした感じは大切なんです。
 それを「この世への告別」といった、きれいな言葉で急いでまとめない。自分のなかに生まれた、まだ言葉にならないイメージを抱えたまま、何度も聴いてみる。そういう聴き方が、いちばんいいのではないでしょうか。
 途中で、自分にぴったり合う録音に出会うかもしれませんし、最初に聴いたものがやっぱりよかった、と思うかもしれない。すぐに答えを出すよりも、立ち止まったり、繰り返したりしながら味わっていただけたらと思います。

――新著は、そうした聴き方を支える一冊でもあるのですね。

相場 このシリーズのお話をいただいたとき、なぜ音楽学者ではなく、CDレビューを中心に書いてきた私に依頼が来たのか、と考えました。やはり、自分の強みである演奏や録音の話に重きを置くことに、書く意味があるのだろうと。
 今回も、手に入る録音をできるだけ集めたうえで書いています。もちろん、全部を本に載せることはできないので、かなり絞っていますが、同曲異演の聴き方や、その楽しみを見つけるための一冊になっているのではないかと思います。

(後編につづく)

『もっときわめる! 1曲1冊シリーズ⑨ マーラー:交響曲第9番』相場ひろ 著
音楽之友社/2026年7月発行/B6変型判・96頁/定価1,320円(税込)/ISBN 978-4-276-35709-9

相場ひろ|Hiro Aiba

音楽評論家。1962年生まれ。1981年より京都在住。1990~93年にパリ留学、1999~2000年にジュネーヴ在住。大学でフランス語を教えるとともに文学などの講義を担当する。『レコード芸術ONLINE』『音楽の友』などにディスク・レビューを中心としたクラシック音楽に関する文章を寄稿。京都市交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団などの演奏会プログラムの曲目解説や、CDのライナーノーツも多数執筆する。著書に『もっときわめる! 1曲1冊シリーズ① ベートーヴェン:交響曲第9番』、同⑥『フォーレ:《レクイエム》』など。

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