シューベルト: 交響曲第9番《ザ・グレイト》〔+リハーサル付き〕
レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送so
〈録音:1987年6月(L)〉
[BR Klassik(D)900229(2枚組:海外盤)]
シューマン:交響曲第2番,バーンスタイン:ディヴェルティメント
レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送so
〈録音:1983年11月(L)〉
[BR Klassik(D)NYCX10500]
シューベルトのフィジカリズムの真骨頂
バーンスタインの《ザ・グレイト》はこれまでニューヨーク・フィル(以下、NYP)盤(1967年1月録音)とアムステルダム・コンセルトヘボウ管(以下、ACO)盤(1987年10月)があり、ここに新たにバイエルン放送響(以下、BRSO)盤が加わった。BRSOとACOとの録音のあいだにわずか4か月の差しかないけれどもアプローチの違いは歴然としている。
とはいえ、基本となる骨格に変わりない。他の多くの指揮者がこの気宇壮大な交響曲の全4楽章を四幅画のように並置するのに対し、バーンスタインは第1楽章から終楽章にかけて段階的、有機的、劇的に展開してゆく。彼独自のアイデアながらシューベルトの真意を鋭く洞察したかの説得力がある。
冒頭のホルンののどかな吹奏は暖められた水蒸気を吸って台風の目の生まれる瞬間を活写。ハリケーンで言えばカテゴリー「1」にはじまり、終楽章に向けてしだいに勢力を増し、NYP盤では最後に「5」に達する。クライマックスはすべてを破壊しつくすあのカトリーナの惨状を目の当たりにさせるほどだ。
ACO盤は繊細で色彩的。錦絵風の豪華絢爛たる展開に眼を奪われる。遊び心もあり愉悦的だが、代りに求心力と推進力が削がれるのはやむを得ない。
新譜のBRSO盤はクールで透明。予報士が台風の進路を冷静に刻々と追ってゆくなか、ハリケーンは猛威をふるいながらも最後はカテゴリー「4」にとどまり、台風の目が消え、安堵感が広がって終わる。それとは別に第2楽章には発見がある。よくある快活さとメランコリーの単純な交替に代わって、両者の優美な融け合いの展開にシューベルトのフィジカリズムの真骨頂があると教えられる。
シューマンの病理に対する治癒の試み
シューマンの交響曲第2番はどうか。NYP盤(1960年10月)は、初出当時、オリジナル・オーケストレーション版による希少な録音だった。そのため精神障害に苦しむシューマンの引きゆがんだ素顔はメドゥーサの面貌に近づき、第2楽章は「音楽地獄」さながら。終楽章は理性を保とうと強がりながらも狂気の恐怖と戦慄のなかカタストロフを迎える。
ウィーン・フィル(以下、VPO)盤(1985年11月)はNYP盤の裏返し。第1楽章の不安な出だしは弦の美しい洗練された歌に読み替えられ、第2楽章はささくれ立った神経過敏に代わって頭の回転の速い怜悧さを示し、第3楽章の悲哀はエレガントになだめられ、陶然としたムードに誘いこまれる。終楽章は明るく堂々とした健康美を謳歌。心の病の翳りすら見えない。精神安定剤のばっちり効いたシューマン!?
BRSO盤はNYP盤の心の病の発症からVPO盤の治癒への過渡期をなぞる。デプレッションの苦悶を力ずくで押しのけようとしたりなだめすかしたりと自己治癒の試みを忍耐強くつづけ、最後は快癒したかに見えるなか一抹の不安を残して終わる。
これら3つの録音のうちどれがいちばんシューマンの真実に近いのか。病理の直視か治癒の願望か。はからずも作曲家の心の軌跡の3側面をトリプティックに映し出している。
バーンスタイン自作の《ディヴェルティメント》は童心に返らせてくれるいろどりゆたかな舞曲のたのしいメドレー。演奏はスケールが大きく堂々として品格がありおっとりしているがアメリカのオケならどうなるか。《ザ・グレイト》にはリハーサル風景のおまけがつき、バーンスタインはこの交響曲の行進曲、舞曲風の箇所を「シューベルトのジャズ」と称して口三味線までしているけれども、むしろ《ディヴェルティメント》のリハ風景がほしかった。
喜多尾道冬 (ドイツ文学)
協力:ナクソス・ジャパン