ブリテン:戦争レクイエム,ベルク:ヴァイオリン協奏曲,ハルトマン:ヴァイオリンと管弦楽のための《葬送協奏曲》
ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデンpo,ドレスデン少年cho,ライプツィヒ放送cho,カーリ・レヴァース(S)アントニー・ローデン(T)テオ・アダム(Br)ハンス=ユルゲン・ショルツェ(org)マンフレート・シェルツァー(vn)
〈録音:1989年(ブリテン)1980年3月(ベルク)1981年1月〉
[Tower Records-Berlin Classics(S)0303588BC(海外盤)]SACDハイブリッド
ヒンデミット:交響曲《画家マティス》,バレエ音楽《気高い幻想》組曲,ウェーバーの主題による交響的変容
ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデンpo,オトマール・スウィトナー指揮ドレスデン国立o(交響的変容のみ)
〈録音:1980年3月(交響曲)1月(気高い幻想)1967年3月(交響的変容)〉
[Tower Records-Berlin Classics(S)0303587BC(海外盤)]SACDハイブリッド
ヒューマンにして純音楽的
燦然たる孤高の名演奏
旧東独の名指揮者ヘルベルト・ケーゲル(1920~90)のベルリン・クラシックス原盤のディスク4組が、タワーレコードからSACD化され高音質で復刻。そのレビューを書くに当たって、筆者の個人的な思い出から始めさせていただきたい。ケーゲルの初来日は1979年、民音の招きで年末の《第九》を東京都響と東京フィルで指揮するためだった。その《第九》に、合唱の一員として当時東京藝術大学大学院1年生であった筆者も加わっていた。当時の楽員でケーゲルを知る人は少なかったが、“レコオタ” の筆者は、現代音楽や合唱作品の名匠ケーゲルの指揮で歌えるのをとても期待していた。そして、ケーゲルの作る音楽は期待以上に素晴らしかった。同年秋に来日したクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の《第九》の合唱にも加わっていた筆者にとって、この2つの《第九》のヒューマンな解釈はカルチャーショックであり、強くドイツを考えるきっかけとなった。
今回初めてケーゲルの録音でブリテンの《戦争レクイエム》を聴き、当時の感動が甦ってきた。当時の東独で何故こんなにもヒューマニズム溢れる音楽が演奏できたのだろう? 一緒に収録されている、ベルクとハルトマンのヴァイオリン協奏曲も名演。ひたすらにその音楽の精神に切り込むアプローチは感動的で、ヴァイオリンのマンフレート・シェルツァーも真摯な演奏。ハルトマンは特に感銘深い。
ヒンデミットの《画家マティス》《気高い幻想》《ウェーバーの主題による交響的変容》を収めた1枚も見事(前2曲がケーゲル、3曲目はスウィトナー指揮)。屈指の名演で、特にケーゲルの2曲は燦然たる演奏だ。
そして望外の発見は、ビゼーとストラヴィンスキー、ヴィヴァルディとバルトークを収録した2枚。得意の20世紀作品は当然として、いわゆる「本場物」ではないが、極めて純音楽的なビゼーとヴィヴァルディに、ケーゲルの音楽家としての矜持を見る思いがした。
國土潤一 (音楽評論・合唱指揮)
協力:タワーレコード