最新盤レビュー

エリック・サティ没後100年
3人のピアニストによる3点のリイシュー盤を聴く

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サティ/きみがほしい
〔ジュ・トゥ・ヴ,ジムノペディ第1番~第3番,グノシエンヌ第1番~第3番,他(+ボーナストラック*:バレエ組曲《パラード》,ジムノペディ第1番,同第3番(ドビュッシー編曲)〕

フィリップ・アントルモン(p/指揮*),ロイヤルpo*
〈録音:1970年5月*,1979年11月〉
[ソニー・クラシカル(S)SICC30920]

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ジムノペディ~サティ/ピアノ名曲集
〔3つのジムノペディ,3つのグノシェンヌ,いやな気取りやの3つのワルツ,3つの夜想曲,ジュ・トゥ・ヴ,犬のためのぶよぶよした前奏曲,ひからびた胎児,他〕

神谷郁代(p)
〈録音:1985年〉
[RCA Red Seal(D)SICC39138]

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サティ・ファンタジー全集
〔星たちの息子,グノシエンヌ第1番~第6番,バラ十字教団の鐘,ジムノペディ第1番~第3番,オジーヴ第1番~第4番,ソクラテス,パラード,家具の音楽,ヴェクサシオン,他〕

島田璃里,徳岡紀子(p)
〈録音:1987年5月~7月〉
[ソニー・クラシカル(D)SICC39134]

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近づきがたい作曲家に、いかにして接近したか

パリのモンマルトルのコルトー通り6番地には、エリック・サティが住んだ家が残されている。ゆるい傾斜地の石垣の階段の上に建てられた家は両隣の家とともに壁面が白く塗り替えられているものの、サティの時代の面影を色濃く残している。現在は人が住んでいるため内部に入ることはできないが、通りの先は「クロ・モンマルトル」と名付けられた小さなブドウ畑に続き、斜め前にはシャンソン酒場「ラパン・アジル」が古きよき時代を伝えるようにひっそりとたたずむ。ここはサティやドビュッシー、ピカソやヴラマンクがたむろし、アポリネールやマックス・ジャコブが常連だった。その小さな味わいのある酒場をユトリロは独特のタッチによる絵に残している。

2025年はサティの没後100周年のメモリアルイヤーにあたり、1980年代のサティ・ブームの一翼を担ったフランスの名手、フィリップ・アントルモンの『サティ/きみがほしい』ほか2点がリイシューとして登場した。アントルモンのサティはいわゆるフレンチ・ピアニズムのウイット、ユーモア、エスプリに富んだ演奏。余分なことをせず自然体で、サティの神髄に近づく。アルバムではバレエ音楽《パラード》などでロイヤル・フィルを指揮し、ピアニストと指揮者の両面での活躍を披露している。

もう1枚、神谷郁代の『ジムノペディ~サティ/ピアノ名曲集』は、特質である柔軟性に満ちた響きと作品に寄り添う気持ちが込められた演奏。神谷郁代は私が雑誌『ショパン』で仕事をしていた時代によくご一緒した。彼女はお料理好きで、自宅でよくごちそうになりながら音楽談義に花を咲かせたものだ。神谷郁代はライナーノーツにサティの足跡をたどってその後改めて楽譜を見直したと綴っているが、まさに作曲家ゆかりの場所を訪ねるとそれまで見えなかったものが見えてくることがある。

サティは自身の音楽を聴く人々に「注意を払わないでほしい」とか「音楽が聴こえないようにふるまってほしい」などと要求した。それがかえって人々の好奇心や集中力を促した。シンプルな旋律線は弾き手によっていかようにも変化しうる。だからこそピアニストは容易にサティに近づけない。神谷郁代は試行錯誤を繰り返し、サティの心に近づいた。

島田璃里の『サティ・ファンタジー全集』は、ご本人のことば通り「私の旅は途中からサティの影と二人連れで歩んできた」という演奏。彼女のピアノには豊かな色彩感がただよい、その色合いはフランス絵画特有の繊細な色使い、淡い光、さまざまな色の微妙な融合からなるが、もやもやした曖昧さや濁りはなく、響きは常に明晰で透明感にあふれている。演奏はかぐわしい香りに満ち、どこからか美しく繊細で上質な詩が聴こえてくる。そして不思議な感覚を聴き手にもたらす。「生きるとは何か」「どう生きるべきか」という問いを音楽が投げかけてくるのである。島田璃里のサティは平常心では聴けない。自分と真摯に向き合うことを要求するからである。

伊熊よし子 (音楽ジャーナリスト)

協力:ソニーミュージック

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