特別企画

ベトナム戦争にまつわるクラシック音楽ディスク10選

ベトナム⑥

ベトナム戦争とクラシック音楽家たち

 2025年は、1945年の第二次世界大戦、太平洋戦争終結から80年の節目です。これらについても記事を企画中ですが、ほかにも風化してはならない、人類の負の歴史があります。
 1975年4月30日、サイゴン陥落。今年はベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)終結から50年の節目でもあるのです。長期にわたり泥沼化し、大国の思惑に翻弄された、悲惨な戦争です。
 世界中の芸術家がプロテストを行った一方で、クラシック音楽とのかかわりは、あまり知られていません。今回、歴史をふりかえる1つの手掛かりとして、10つのディスクをご紹介します。(一部配信限定)

スタッキー:1964年8月4日

スティーヴン・スタッキー(1949~2016)はアメリカ合衆国の作曲家で、ロサンゼルス・フィルの専属作曲家を長く務めた。《管弦楽のための協奏曲》第2番は2005年にピューリッツァー音楽賞を受賞している。タイトルの日付は何を示しているのか。アメリカ海軍の軍艦に北ベトナム軍の魚雷が被弾、トンキン湾事件が発生した、その日だ。この事件を口実として、第36代大統領ジョンソンは北爆を開始、ベトナム戦争を本格化させることになったのだ。《1964年8月4日》(2008)では、KKKに息子を殺された母親たちと、大統領執務室の2つの視点で、1日のできごとが描かれる。ジョンソンへの強烈な風刺である。

スタッキー:1964年8月4日

ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン(指揮) ダラスso. ロッド・ギルフリー(Br) 他
〈録音:2011年5月(L)〉
[DSO Live(D)DSOLIVE004(海外盤)]

武満徹/全合唱曲集

1965年の日本で、ベトナム戦争へのプロテスト集会のために曲を作ろうということになり、谷川俊太郎が詞を、武満徹が曲を書いた。それで生まれたのが歌曲《死んだ男の残したものは》(1965)である。初演はバリトンの友竹正則が歌った。クラシック音楽のフィールドはもちろん、カルメン・マキや高石友也によるカヴァーも有名だ。1980年代になって武満自身が合唱のために編曲しているほか、反戦の活動を続けた作曲家、林光による合唱編曲も存在している。本タイトルには、武満徹が作曲/編曲した合唱曲をすべて演奏したライヴを収めていて、この作品も、もちろん披露された。

武満徹/全合唱曲集
〔武満徹:死んだ男の残したものは(武満編),他〕

山田和樹(指揮) 東京混声cho.
〈録音:2012年11月(L)〉
[オクタヴィア(D)OVCL00488]

エリー・シーグマイスターの音楽

エリー・シーグマイスター(1909~91)は、作曲と音楽教育の両面で、ポピュラー音楽と芸術音楽の融合をめざしていた人物である。そのためか、社会性を帯びた作品が多い。この盤は、はじめはCRI(Composers Recordings Inc.)からリリースされていたもの(SD416とSD532)で、いまは配信あるいはオンデマンドCD-Rにて入手できる。Webサイトで公開されているライナーノートによれば、《マダム・トゥ・ユー Madam to You》(1964)《戦争の顔 The Face of War》(1966)はラングストン・ヒューズの詩による歌曲である。後者は、ベトナム戦争への怒り、そして有色人種差別への告発で、これを読んだシーグマイスターは大きな衝撃を受け、作曲を行ったという。

エリー・シーグマイスターの音楽
〔シーグマイスター:マダム・トゥ・ユー,戦争の顔,他〕

エスター・ハインズ(S) アラン・マンデル(p)他
〈録音:1978年12月~1984年9月〉
[New World Records(M)NWCR814(海外盤)]配信・オンデマンドCD-R

クロノス・カルテット/ブラック・エンジェルズ

ジョージ・クラム(1929~2022)といえば20世紀の合衆国を代表する作曲家。オカルティックな作風、斬新すぎる特殊奏法、巨大な図形楽譜で知られる。彼の代表作の1つ《ブラック・エンジェルズ》(1970)の楽譜には、”1970年4月13日金曜日(戦時下)”という言葉が添えられている。つまりベトナム戦争への皮肉をこめた寓意画というわけだ。特殊奏法がてんこ盛りなことに加え、打楽器や叫び声、アンプを使用するなど難曲である。とはいえ名曲であることに変わりない。今日までいくつかの録音がリリースされている。なかでもこのクロノスQのアルバムは、デヴィッド・ボウイの愛聴盤としても知られる名盤だ。

ブラック・エンジェルズ
〔ジョージ・クラム:ブラック・エンジェルズ,ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番,他〕

クロノス・カルテット
〈録音:1990年〉
[ノンサッチ(D)7559790580(海外盤)]LP

レナード・バーンスタイン:ミサ曲

The Mass is ended; go in peace. (《ミサ曲》の最後のナレーション)

レナード・バーンスタイン(1918~90)は指揮者としてはもちろん、作曲家として、20世紀アメリカの芸術的アクティヴィストとしても参照されるべき重要人物だ。次項の「平和コンサート」がとくにそうだが、この《ミサ曲》(1971)にも、彼の問題意識がまざまざと聴きとれよう。ローマ・カトリックの典礼に基づきつつ、オリジナルのテキストを大胆に盛り込んだ「歌手、演奏者、ダンサーのためのシアター・ピース」。バーンスタインの1つの集大成というべき音楽世界が展開される。作曲はジョン・F・ケネディの未亡人ジャクリーヌの委嘱で、初演は1971年9月8日、ケネディ・センターのこけら落とし公演で行われた。この盤は、初演前後の自作自演録音である。

レナード・バーンスタイン:ミサ曲

レナード・バーンスタイン(指揮) 管弦楽団 他
〈録音:1971年8月~9月〉
[ソニークラシカル(S)19439890562(海外盤)]

バーンスタインの平和コンサート

1973年1月19日、バーンスタインはニクソンの大統領就任式(連続して2期目)前夜祭の裏側で、臨時のオーケストラをつくり、ハイドン《戦時のミサ》を演奏する無料コンサートを開いた。彼と楽団員有志には、ニクソンのベトナム政策に対するプロテストの意図があった。冷たい雨がふるなか、会場のワシントン大聖堂には2万人近くの聴衆がおしかけ、あふれた人のために、会場外へむけてスピーカーが設置された。この盤には、その翌日行われた4チャンネルによるセッション録音が収められている。

レコ芸の新譜月評から、畑中良輔氏の一節を引用しよう。「バーンスタインはハイドンの音楽に、現代のリアリティを求めて体当たりした」(1973年10月号より)。

バーンスタインの平和コンサート
〔ハイドン:戦時のミサ,交響曲第96番《奇跡》〕

レナード・バーンスタイン(指揮) 管弦楽団 他
〈録音:1973年1月,2月〉
[CBSソニー(S)SOCO46]LP
[DUTTON(S)CDLX7346(海外リイシュー盤)]SACDハイブリッド

日本の合唱名曲セレクション20

「クラシック音楽」の本流からは離れるかもしれないが、重要な作品、合唱曲《IN TERRA PAX》(1985)をご紹介したい。クラス合唱でも親しまれている名作だから、歌ったことのある方も多いのではないだろうか。この作品は、鶴見正夫の反戦詩『太郎は知った』を読んだ荻久保和明が、新作合唱曲を構想、新たに書きおろされた詩をふくめて曲がつけられ*1、雑誌『教育音楽』で発表されたものだ*2。もとの詩はベトナム戦争について書かれたが、いまでは普遍的な平和の祈りとして昇華されている。このアルバムは、いまから10年前の名曲ライヴを収録している。

日本の合唱名曲セレクション20
〔荻久保和明:IN TERRA PAX -地に平和を-,他〕

大谷研二(指揮) 東京混声cho. 斎木ユリ(p)
〈録音:2015年2月(L)〉
[フォンテック(D)FOCD9687]

*1 有名なのは表題作だが、追加された作品も名曲ぞろい。詳しくは楽譜『混声合唱組曲 IN TERRA PAX』(音楽之友社の商品ページ)をご参照。
*2 この顛末は、『ONTOMO MOOK クラス合唱名曲秘話』(音楽之友社の商品ページ)に詳しい。

「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」オリジナル・サウンドトラック

レコ芸ONLINEはクラシック音楽をメインとする媒体だが、ベトナム戦争と音楽を語るうえで、やはり《風に吹かれて》などの楽曲によって、反戦運動のアイコンとなったボブ・ディランにふれないわけにはいかないし、「クラシック音楽」と無関係なわけでもない。伝記映画名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN外部サイト)にも注目だ。1965年のニューポート・フェスティバルまでを描いたもので、日本では2025年2月28日から封切られる。こちらのアルバムは、その映画のサントラ盤である。

「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」オリジナル・サウンドトラック
〔ボブ・ディラン:ミスター・タンブリン・マン,見張塔からずっと,朝日のあたる家,風に吹かれて,他〕

〈録音:1967年10月,11月)
[ソニーミュージック(S)SICP6558]
※2025年2月28日より発売開始

映画『A COMPLETE UNKNOWN』予告編映像(SearchlightPictures公式YouTube)

コリリアーノ:ミスター・タンブリンマン 他

ディランの伏線を回収する。《風に吹かれて》《見張塔からずっと》といった楽曲を、現代のアメリカ芸術音楽シーンを代表する作曲家、ジョン・コリリアーノ(1938~)が再構築した《ミスター・タンブリンマン》(2003)がそれだ。ディラン本人公認のクラシック音楽カヴァーであり、重要作品として長く記憶されるに相違ない。この盤は2009年のグラミー賞を3部門受賞した。

コリリアーノ:ミスター・タンブリンマン 他
〔ジョン・コリリアーノ:ミスター・タンブリンマン,3つの幻覚〕

ジョアン・ファレッタ(指揮) バッファローpo. ヒラ・プリトマン(S)
〈録音:2007年3月,2008年6月〉
[NAXOS(D)8559331(海外盤)]

ハノイ・コンサート「兵士の歌」

最後は配信限定、音楽監督を本名徹次が務めていることでも知られる、ベトナム国立響のコンサートの記録に注目したい。7月27日はベトナムの戦争傷病者・烈士記念日で、2023年のこの日、祖国のために戦った兵士に関するいくつかの楽曲が演奏され、リアルタイムで全世界へネット中継された。「ベトナム戦争」の前後にもベトナムは数多の戦争を経験してきた。さらに現在進行形で領土問題を抱えているし、中国やトランプ新政権アメリカとの今後も気になる。いま、当地の人びとは「兵士」に何を想うのか?

ハノイ・コンサート「兵士の歌」
〔グエン・ヴァン・カオ:ベトナム兵,チャイコフスキー:序曲《1812年》,他〕

本名徹次(指揮) ベトナム国立so.
〈録音:2023年7月(L)〉
[Hanoi Radio and Television]配信

Text:編集部(H.H.)

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