インタビュー

R=コルサコフ《シェヘラザード》を
自身の編曲で録音した広瀬悦子に聞く

インタビュー・文=道下京子(音楽評論)
カメラ=武藤 章
取材協力=東京エムプラス、KAJIMOTO

『なぜピアノで弾いているの?』と
言われないような編曲にしたかった

パリ在住のピアニスト、広瀬悦子が、リムスキー=コルサコフの《シェヘラザード》とボルトキエヴィッチの《千夜一夜物語》を収録したアルバムをリリースした。このアルバムを作ったきっかけについて、
「もともと《シェへラザード》が大好きで、10年ほど前から1台4手で他のピアニストと何度も共演してきました。その度に、お客さまの反応がとても良く、何年経っても「あのときの《シェへラザード》に感動した」との声をいただき、ピアノでも《シェへラザード》の魅力が伝わることは実証済みでした。でも、1台4手は、2人のピアニストで演奏しますので、ペダルは1人しか踏めません。それから、《シェへラザード》の4手版は、リムスキー=コルサコフの奥様が編曲しています。うまくできてはいるのですが、2人の手がすごく絡み合い、盛り上がったところではそれが容赦なく……まさに“戦い”です。とても大変なので、1人で落ち着いて弾きたいという夢がありました」

《シェへラザード》のピアノ・ソロ用編曲版は何種類か存在するという。
「でも、私には『こう弾きたい』という明確なビジョンもあり、それと既存の編曲を照らし合わせたとき、満足できませんでした。それならば、自分で編曲しようと思いました」

シェヘラザード
〔リムスキー=コルサコフ:交響組曲 《シェヘラザード》 (広瀬悦子編曲/ピアノ独奏版),ボルトキエヴィッチ:東洋的バレエ組曲 《千夜一夜物語》〕
広瀬悦子(p)
〈録音:2024年9月〉
[Danacord(D)XDACOCD985(国内仕様盤)]
[Danacord(D)DACOCD985(海外盤)]

既存の《シェヘラザード》のピアノ・ソロ版の、どの部分に満足できなかったのか?
「《シェへラザード》は、エキゾチックでとても香り高く、壮大なスケールの音絵巻のような作品です。この曲では、人間の感情のさまざまな動きがひとつのドラマとして凝縮され、それが聴く人を感動させ、虜にしていると思います。そのような繊細な心の動きや、オーケストラのそれぞれの楽器の多彩な表現を、10本の指で表わすとき、いろんなものを削除していかなければいけません。けれども、その失われてしまうものの中に、私の欲しいものもあるのです。この曲は、ダンス的な要素も強いので、アクセントであったりコントラストであったり……そういうものを10本の指にすべて押し込むためには、コツも必要です。私は、編曲ものをたくさん弾いてきましたので、いろんな編曲者の手法をうまく取り入れながら、私の理想とするものに少しでも近づけるように試みました。自分の言いたいことが伝えられる編曲になったと思います」

しかし、広瀬が語るような表現を盛り込むには、アレンジと演奏の高度なテクニックも必要である。
「ピアノは88鍵あり、オーケストラの楽器のすべての音域を網羅し、それぞれの楽器の持ち味を表現することができます。ですから、少ない苦労でとても効果的に編曲できます。編曲によっては、意味もなく難しく書かれているところがあります。でも、例えば、同じ音域でたくさんの音を弾くよりも、音域をずらすだけで、すぐに違うカラーが耳に飛び込んできます。いろいろコツがあり、それを知ることで無意味な難しさを排除できると思います」

Etsuko Hirose 3歳より才能教育研究会にてピアノを始め、6歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第26番《戴冠式》を演奏。1992年モスクワ青少年ショパン国際ピアノコンクール優勝、99 年パリ国立高等音楽院を審査員全員一致の首席で卒業し、併せてダニエル・マーニュ賞受賞。ヴィオッティ、ミュンヘン両国際コンクール入賞後、99年マルタ・アルゲリッチ国際コンクールで優勝。その後、パリ・ショパン・フェスティバル、ラ・ロック・ダンテロン音楽祭、ラ・フォル・ジュルネ、ベルリオーズ音楽祭、ブリュッセル・ピアノ・フェスティバルなどに出演、世界各地で精力的に演奏活動を続ける。スケールの大きな音楽作り、美しい音色、幅広いレパートリーが高い評価を集め、世界に活躍の場を広げている。

原曲のオーケストラ版では、ライトモティーフをヴァイオリンが演奏し、他のテーマもさまざまなソロ楽器が担う。彼女の演奏を聴き、音の色彩を研究し尽くした印象を受けた。
「私は、編曲ものをたくさん弾いてきました。また、室内楽で共演するときにテクニックや弾き方、それから音圧など、各楽器の特徴を観察していました。それを通して、それぞれの楽器の特徴を捉えることができるように訓練を積んできたつもりです。ヴァイオリンでしたら、声のようなビブラートや歌い方を真似して取り入れています。それから、この曲には、オーボエなどにも有名なメロディがありますけれど、オーボエは、簡単に音が出る楽器ではなく、各音にすごく圧をかけています。その部分を、気軽な気持ちで弾いてはいけないと思います。
この原曲はとても色彩豊かなので、『なぜピアノで弾いているの?』と言われないように、ピアノの魅力を全開にできるような編曲であったり、演奏であったりすればいいなと思っていました」

同じ物語から着想を得た
《千夜一夜物語》も感動的

このアルバムにおいて、《シェヘラザード》とカップリングされているのが、ボルトキエヴィッチ(1877~1952)の《千夜一夜物語》である。
「『千夜一夜物語』という同じ物語からインスピレーションを受けて作曲されていることで、もってこいの曲だと思いました。私は、以前からボルトキエヴィッチの作品をいろいろ弾いています」

ラフマニノフやショパンのような、ロマンティックな音楽である。
「彼の人生は悲劇的でした。そのせいか、彼の音楽にも影があると言いますか、悲劇を少し引きずったような音楽で、その部分にも深く感動します」

ボルトキエヴィッチの《千夜一夜物語》を聴いていると、ときどき《シェへラザード》のような表現も感じられる。
「《シェヘラザード》を意識しないではいられないでしょうね。ボルトキエヴィッチは、サンクトペテルブルク音楽院に学び、リムスキー=コルサコフは同じ音楽院で教授を務めていた時期ですので、《シェエラザード》を聴いていたかもしれません」

この録音で使用された楽器は、ベヒシュタイン社のピアノである。カツァリスとデュオでレコーディングした際、彼から勧められたそうだ。
「ベヒシュタインの音色がとても好きで、そのピアノからインスピレーションを得ることができました。楽器を通して教えられることが多く、ベヒシュタインと出会ったことは大きな喜びです」

ところで、広瀬がピアノ・ソロ用に編曲した《シェへラザード》の楽譜は出版されないのだろうか?
「考えていません。というのも、私が見ても、自分の書いた楽譜はよくわからないのです。ですから、暗譜して弾くしかないのです(笑)」

デビュー当時のアルバムが
まとめて復刻されることに

そして、このアルバムとほぼ同時期に、過去に日本コロムビアからリリースされた4枚のCDが、デンマークのダナコード(Danacord)からボックスで復刻されることになった。
「私の日本コロムビアで録音されたCDは、なぜかヨーロッパのサイトでは高値で取引されているそうなのです。その私の録音を聴いたダナコードのディレクターに、『すごく気に入ったから、復刻版を出したい』と4年前に言われました。そのとき、日本コロムビアと条件が折り合わなくて、流れてしまいました。そして、《シェヘラザード》の録音の際、またその話になり、日本コロムビアの当時のプロデューサーにお伝えしたところ、話し合いをもってくださり、復刻が実現しました」

直近の日本での演奏は、来年1月13日に大阪でサンドアートとピアノで綴るシリーズ、そして、1月17日には東京で《シェヘラザード》の発売記念コンサートが行なわれる。
「サンドアートの伊藤花りんさんと『星の王子さま』のシリーズを日本各地で行なっています。そのサンドアートの第2弾として、来年1月に枚方市で《シェへラザード》を演奏させていただきます」

DENON録音全集 2003-2007
〔CD1「シャコンヌ」,CD2「ラ・ヴァルス」,CD3「ファンタジー~幻想曲集」,CD4「風」〕
広瀬悦子(p)
〈録音:2003年8月,04年9月,06年1月,07年4月〉
[Danacord(D) JDACOCD992995(4枚組,国内仕様盤)]
[Danacord(D) DACOCD992995(4枚組,海外盤)]

モシュコフスキー:ピアノ作品集
〔ワルツ op.34-1,ホフマンの舟歌(オッフェンバックの《ホフマン物語》より),イゾルデの愛の死(ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》より)他〕
広瀬悦子(p)
〈録音:2019年10月~11月〉
[Danacord(D) PDACOCD866(国内仕様盤)]
[Danacord(D) DACOCD866(海外盤)]

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