モノラル録音期のベートーヴェン

たまには居心地の悪い椅子に座ってみるものだ:往年の演奏に求めるもの①

モノラル録音期のベートーヴェン特別企画
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 2027年に没後200年を迎える作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1826)。レコード芸術ONLINEではそのカウントダウン企画第1弾として、2025年夏に「2つのベートーヴェン・イヤー」を実施、1970年代の名盤をふりかえりました。

【特別企画・巻頭言】2つのベートーヴェン・イヤーとその時代(無料コンテンツです)

 カウントダウン企画の第2弾「モノラル録音期のベートーヴェン」では、1950年代以前の名盤に注目します。
 今回の記事は、『レコード芸術』1972年8月号からの再掲。諸井誠さんによるモノラル期の演奏家礼讃です。この文章が書かれたのは、第1弾「2つのベートーヴェン・イヤー」で特集したように、指揮者ではカラヤンやバーンスタイン、ベームが華々しく活躍し、録音技術でもさまざまな革新が行なわれていた時代。しかし折しも、すでに「往年」の存在となっていたフルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルターのリヴァイバルが起きていた時期でもありました。
 本論は、ヴィルヘルム・ケンプが演奏したベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を端緒に、音楽演奏と録音技術の関係を検討しながら、フルトヴェングラーが指揮をした《運命》へと展開していきます。2回に分けての掲載です。

※文中の表記・事実関係などはオリジナルのままとしています。
※一部の括弧類は現在のレコード芸術ONLINEの表記にかえてあります。
※今回の再録に際し、オリジナルにはない見出しを編集部で追加しています。

【構成】
・ケンプの魅力は、録音では分からない?
・バックハウスとシュナーベルの場合
・トスカニーニの説得力(ここまで①※無料公開)
・本物の音楽はどこにある?
・フルトヴェングラーの解釈・演奏観
・居心地の悪い録音に刻まれたもの(ここまで②※有料公開)

※各見出しは、再掲にあたりレコード芸術ONLINE編集部が追加したものです

Text=諸井誠

ケンプの魅力は、録音では分からない?

 もうだいぶん昔の話になるが、九州でベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲分析アナリーゼの連続講座を、数年にわたって行なったことがあった。アナリーゼのために仕方なしに弾きはしたものの、私はピアノが下手だから、受講者達の耳が混乱しないように、一曲ごと、話の前後に必ずケンプのレコードをかけてきかせた。もちろんケンプは彼なりに素晴らしいベートーヴェン弾きだと思うが、先に進むにつれて次第にもの足りなくなって、自宅のレコード・ケースから、シュナーベル、バックハウス、グルダ、グレン・グールド、ホロヴィッツ、アシュケナージ、バレンボイム等々のを持ち出しては、楽曲分析のかたわら、演奏比較をやってみたりもした。

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集(モノラル期)

ヴィルヘルム・ケンプ(p)
〈録音:1950年12月~56年5月〉
[グラモフォン(M)POCG9749~56(8枚組+特典盤)]CD ※現在取扱なし
[DG]配信

※ジャケ写とリンクは後者のもの

 シュナーベルのは古いレコーディングで、SPの焼き直しのせいか、音としてはまことに貧弱。他のレコードと比べると、みじめにさえ聞こえることもあった。子供の頃、わが家でシュナーベルといえばベートーヴェン弾きの神様みたいに思われていたので、こうしてLPや、ステレオ録音の名演奏、名盤と並べると、幽霊見たり枯尾花、といった感じすらして、ひどく失望したものだった。それにしてもこれはおかしい、というので、改めて何度もきき返してみて気がついた。当時の状態では、レコードに対する演奏家のフィーリングはなんと言っても特殊なものだったろう。無論レコードへの信頼度も、今と比べればお話にならないくらいに低かったろうし、第一、録音の時にはひどくナーバスになって、必ずしもコンサートでの心を打ち込んだ演奏のようにはいきにくかったのではなかろうか。それに編集という技術がなかった時代の話だから、ミスはミスのまま残されて、状況によっては、おそらく実際以上に強調されてきこえているのではないかしらと思われる節もままあった。こうした条件が一番悪いのが当然最も古いシュナーベルのものであって、バックハウスのになると、それよりは遙かに良い。音質に限って言えば、ケンプのは前二者と同次元での比較が不当といえるほどに良くなっている。だが、そうはいっても、グルダやグールドのと比べると、ケンプのLP録音にしたところで、足元にも及ばない。その上、これらの若いピアニストの桁はずれの名人芸を前にしては、レコードという媒体を通す限りにおいて、ケンプといえども勝目はない。彼の豊かな詩的表現の魅力が、充分には伝達されていないからである。

グールドとグルダの「ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ集」

1 ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ集
〔ピアノ・ソナタ第1番~同第3番,同第5番~同第10番,同第12番《葬送》~同第18番,同第23番《熱情》,同第30番~同第32番〕

グレン・グールド(p)
〈録音:1956年6月~81年8月〉
[ソニー・クラシカル(M/S)SRCR9565/68(分売)]CD ※現在取扱なし
[Sony Classical(M/S)88725412862(6枚組,海外盤)]CD

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2 ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集(ステレオ期)

フリードリヒ・グルダ(p)
〈録音:1967年7月~8月〉
[アマデオ(S)PHCP9754~62(9枚組)]CD ※現在取扱なし
[デッカ(S)UCGD9116/19(分売)]SACDシングルレイヤー

※ジャケ写とリンクは後者「Vol.1」のもの

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 レコーディングの達人ということでは、ナマ演奏を一切拒否して、レコードにすべてを賭けているグールドはもちろんのこと、グルダにしても大変なものである。このレベルになると、ミスとか、それをカバーするための編集とかいったことは問題にならない。グールドなどにおいては、編集という技術は、芸術的なより高い決元で、積極的に把えられているのである。録音技術が発達し、一般化して来てから、演奏は正確ということにおいて、著しく進歩し、ミス・タッチ(正確にいえばミスド・タッチ)などは論外、といった風潮さえ、若きヴィルテュオーゾ達の間では生まれつつある。そういった風潮のメッカであるニューヨークが、愛すべき巨匠ウィルへルム・ケンプを受け容れなかったというのはよく理解できる。だが、ミスがなくて、ただバリバリ弾けるから良い演奏とはいえないところが音楽というものの面白さ、芸術たる証拠なのではなかろうか? 今日この頃、ニューヨークに掃いて捨てるほどたむろしているもの凄いテクニシャンたちがなかなか食べてゆけないのも、実はそのせいなのだ。ケンプなど、彼ら若き名手たちに比べれば、テクニックの点では作曲家の兼業程度のお素人芸に見えてしまうわけだが、逆にいうと、この程度の技術で、ヨーロッパや日本であれほどの名声と人気を保っていられるのは、ケンプというピアニストが、余程秀れた音楽家﹅﹅﹅であるからに相違あるまい。そしてこの大芸術家を受け容れないニューヨークという大都会、アメリカという国の文化のあり方はどこか狂っているように思える。

バックハウスとシュナーベルの場合

 ところで、ピアノの詩人ケンプの魅力が、レコードによってでは充分に伝わらないのだとすると、レコードというものは、まだまだ不完全な記録装置だといえはしまいか。ところが面白いことにバックハウスとなると大分事情が違ってきて、レコードによっても充分真価をうかがい知ることができるのである。特に、ベームとの協演によるブラームスの第二協奏曲など、私には片時も手離し難いレコードなのだ。このバックハウスという巨匠を私はとても高く評価しているが、ケンプのような詩的洗練、偶発的な、気まぐれな面白味は少ないにしても、この上なく堅牢で、内的充実と技術的熱練が誠にうまくバランスしていて、ドイツ音楽のレコーディング・ピアニストとして考えた場合、初めてその分野に最高峰を確立した人のように思われる。この巨匠に比べると、ケンプの気まぐれは、「定着」をメリットとするレコードの機構とは水と油。おまけにケンプは編集嫌いなのだそうだ。随所にきかれるミスド・タッチ等は事前に除けばどうにでもなったものを……と思うのは凡夫の浅はかというところか。演奏の一貫性を重んずれば、これもまたケンプの魅力の一つという人もいよう。

バックハウスとシュナーベルの「ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集」

3 ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集(モノラル期)
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
〈録音:1950年7月~54年11月〉
[ロンドン(M)POCL3471~8(8枚組)]CD ※現在取扱なし
[Decca]配信

※ジャケ写とリンクは後者のもの

4 ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集(2016年リマスター)

アルトゥール・シュナーベル(p)
〈録音:1932年1月~35年11月〉
[Warner Classics(M)9029597505(8枚組,海外盤)]CD

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 シュナーベルにしてもそうである。ただ、ケンプの場合とは違って、彼は編集でカバーするテクニックのない時代の巨匠であるから、好むと好まざるとにかかわらず演奏の一貫性に賭けざるを得なかったわけだ。それにしても、シュナーベル版のベートーヴェン・ソナタ全集の楽譜をくわしく調べ、彼のレコードをきき、シュナーベルのベートーヴェンというものをあらためて見直した時、彼がむしろ極めて個性的な、特異なペートーヴェン弾きであったことに気付く。なぜそれが、わが家で、日本の音楽家の間で、かつて最もオーソドックスな解釈と思い込まれていたのか、私には不可解だが、それこそ正に全集レコードのもたらした重大な影響と言えるものなのかもしれない。それにつけても、エドウィン・フィッシャーのベートーヴェンをこそ聴いてみたくなるのである。しかし、私のところにはレコードがないので、昔話として、フィッシャーのベートーヴェンの素晴らしさを人の口つたえにきき、彼の著書を通じて空想できる範囲で満足するほか、今のところ術はない。そんな場合、シュナーベルの程度でもよいから、レコードがありさえすれば……ともどかしく思うのである。こうしたところに骨董的録音、古レコード、SP再製盤などの一大メリットが生じてくるわけだが、それにしても最近耳にした噂話、トスカニーニの100枚一組の全集レコード、一組10万円もするのが、何と予約で2,000組もはけたという話となると、なにしろこれだけで2億円のビジネスなのだから、一体どうなっているの……と、ただただ驚き入るばかりである。

トスカニーニの説得力

 トスカニーニといえば、NBCの録音で、大戦後の一時期を風靡した、イタリアの生んだ世紀の巨匠である。驚くほどきびしい足取りで、正確、明晰をモットーとしながらも、人の心を把えて離さないそのモダーンな演奏スタイルは、ひと頃世界的に演奏様式の理想像と称場されたものだった。今、私の手許に来ている何枚かのレコードによって、戦後、WVTRというコール・サインで日本人にも親しまれていた進駐軍の英語放送の午後のシンフォニー・アワーでの数年間にわたるトスカニーニ・オン・パレードを思い出さされるのである。ホロヴィッツとの共演のブラームスの第二協奏曲をその中からまずかけてみて、これは私の好きなドイツ風の、あるいはウィーン風のブラームスとはとても違うな、と、その違和感にとまどう。前述したバックハウス=ベームのとは正しく正反対の音楽なのだから。しかし、それはそれなり、聴く者をなんとしてでも納得させずにおかない強力な説得力が、トスカニーニの音楽には明らかにある。トスカニーニ・スタイルとでもいおうか。

ホロヴィッツ=トスカニーニとバックハウス=ベームの
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番

5 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
〔+ヴァイオリン・ソナタ第3番*〕

ウラディミール・ホロヴィッツ(p)アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBCso,ナタン・ミルシテイン(vn)*
〈録音:1940年5月,50年6月*〉
[RCA Red Seal(M)SICC30817]CD

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6 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番*(モノラル期)
〔+バラード集~第1番〈エドワード〉,同第2番,ワルツ集,ハンガリー舞曲集~第6番,同第7番〕

ヴィルヘルム・バックハウス(p)カール・ベーム指揮ザクセン州立o*
〈録音:1939年6月,32年12月~36年1月〉
[Naxos Historical(M)8110766(海外盤)]CD

トスカニーニとフルトヴェングラーの《ティル》

7 R. シュトラウス:交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》
〔+同《ドン・ファン》,同《死と変容》〕

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBCso
〈録音:1951年1月~52年11月〉
[RCA Red Seal(M)SICC30872]CD

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8 R.シュトラウス:交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》
〔+シベリウス:交響詩《伝説(エン・サガ)》,ラヴェル:《ダフニスとクロエ》第2組曲〕

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリンpo
〈録音:1943年2月~44年3月(以上L)〉
[グラモフォン(M)UCCG41184]CD

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 それは、R. シュトラウスとなると一層強力になってくる。《死と変容》はまるでベルリーニかなにかのオペラのように開始し、ヴェルディのようなイタリア・ワグネリアンのスタイルに溶解して行く。
 R. シュトラウスがシュトラウスとしての響と情感を主張し得るのは中頃から後半しばらくの間で、硬質のアクセントと正確すぎるリズム感がしばしば私をとまどわせる《ティル》においてその傾向は一層はっきりしてくる。これは……と思ってレコード・ケースの中を探しまわり、フルトヴェングラー=ベルリン・フィルのレコードをひっぱり出してかけて見る。これこそR. シュトラウス! シュナーベル盤とよい勝負のかさかさなノイズの中から、かそけくも湧き上ってくるフルトヴェングラーの音楽には、トスカニーニとは違って、いかにもナイーヴな、イズムにしばられない、国民性や民族気質による違和感にわずらわされない本物のR. シュトラウスの存在がありありとうかがえるのである。

たまには居心地の悪い椅子に座ってみるものだ:往年の演奏に求めるもの②(有料公開)に続く。

諸井誠(もろい・まこと)

1930年生。東京音楽学校本科で池内友次郎に学び、作曲家として黛敏郎、入野義朗、柴田南雄等と20世紀音楽研究所を結成。80年代以降は評論家としても活躍。日本アルバン・ベルク協会の設立者で、彩の国さいたま芸術劇場初代館長も務めている。雑誌『レコード芸術』では交響曲月評を担当していた。2013年没。

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