
夏の風物詩、ホラーコンテンツのお時間です! クラシック音楽には、これまでさまざまな「幽霊」が登場してきました。恐怖の対象にかぎらない「幽霊」の世界。今回はそんな幽霊関連ディスクを、編集部員が10点ご紹介します。
幽霊の気配?
シューベルト:冬の旅
幽霊といってもいろいろだ。はっきりと人のかたちをしているものもあれば、火の玉も一つのあらわれといえるだろう。《冬の旅》では、失恋直後の若者があてもなく出かける。そして第9曲〈鬼火〉で奇妙な火があらわれ、彼は人界に本格的に背を向け始めるのだ。鬼火とは墓地などに出現する、怪奇な青白い炎のこと。若者がみたものは何だったのか? ここに紹介するシェーファー盤はピリオド楽器伴奏による異形の《冬の旅》で、シューベルトが描いたであろう狂気をデモーニッシュに表現している。

シューベルト:連作歌曲集《冬の旅》(1827)
マルクス・シェーファー(T),トビアス・コッホ(fp)
〈録音:2018年2月〉
[CAvi Music(D)8553103(海外盤)]
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幽霊屋敷へようこそ
モニューシュコ:幽霊屋敷
いかにもオバケが出そうな題を持つ《幽霊屋敷》だが、幽霊は登場しない。主な登場人物は若い軍人の兄弟と、「幽霊屋敷」と称される邸宅に住む姉妹である。彼らは家族や恋敵の邪魔を受けながら、最終的に結婚する。そしてこの屋敷が「幽霊屋敷」とよばれるわけが、周囲の住人からの嫉妬であることも判明するのである。ロマンティックなポーランド愛国喜劇として知られる本作であるが、ある意味、オバケが出ることよりも怖いことが起きている! 人間の悪意おそるべしである。本盤はポーランド国立ショパン研究所が行っているモニューシュコ・オペラ全曲プロジェクトの一環で、ピリオド演奏による。

モニューシュコ:オペラ《幽霊屋敷》(1861~64)
グジェゴシュ・ノヴァク指揮18世紀o,ポドラシェ・オペラ&フィルハーモニックcho.,他
〈録音:2018年8月,2019年8月〉
[NIFC(D)NIFCCD084(2枚組,海外盤)]
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ブリテン:ねじの回転
《ねじの回転》には、幽霊がちゃんと登場する。それも最悪なかたちで。主人公は若い家庭教師で、異様に好待遇な求人に応募して(すごく嫌な予感がする)、小さな子どもが2人いるお屋敷への住み込みを始める。はじめ新生活を楽しむ主人公だったが、次第に、さまざまな怪異を目の当たりにするようになる。塔の上にいる謎の男、自殺した前任の家庭教師の亡霊、何かがおかしい……しかし、いちど回りだしたねじは止まらない。ここに紹介する盤では、この小編成オペラの最高傑作といっても過言ではない作品を、グラスバーグをはじめとする出演陣がエッジを効かせてドライブさせている。

ブリテン:室内オペラ《ねじの回転》(1955)
ベン・グラスバーグ指揮モネ劇場室内o. サリー・マシューズ(S:家庭教師),他
〈録音:2021年4月,5月〉
[Alpha(D)ALPHA828(2枚組,海外盤)]
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モラヴェック:シャイニング
スタンリー・キューブリックによる映画化で爆発的に知られるようになった、スティーヴン・キングの同名小説をベースとするオペラである。アルコール中毒で元教師のジャック・トランスが、冬季に閉鎖される巨大ホテルの「管理人 The Caretaker」としてやってくる。妻子も一緒だ。しかしこのホテルには惨劇の歴史があり、次第に亡霊たちが牙をむきはじめ、ジャックは狂気の世界に取り込まれていく。有名な映画版は、人間のいない閉ざされた空間そのものが悪意を持っているような演出が中心である(この「無人の巨大空間に対する恐怖」概念は、2020年頃から大流行したインターネット・ミーム、リミナル・スペース Liminal Spaceにも大きな影響を与えたと思われる)など、はっきりと亡霊を登場させる原作から大きな改変があったことでも知られるが、モラヴェックのオペラ版は、原作に忠実であろうと努めている。本盤はその世界初録音である。

モラヴェック:オペラ《シャイニング》(2016)
ジェラード・シュワルツ指揮 カンザス・シティso,カンザス・シティchoのメンバー,エドワード・パークス(Br:ジャック・トランス),他
〈録音:2023年3月(L)〉
[PentaTone Classics(D)PTC5187036(2枚組,海外盤)]
現世をさまよう幽霊
ワーグナー:さまよえるオランダ人
地縛霊のように屋敷にとどまる幽霊もいれば、動く幽霊もいる。とはいえ《さまよえるオランダ人》で幽霊船に乗るこのオランダ人船長は、「動けない」方ではあると思う。神罰を受けて、永遠に航海する呪いをかけられているのだ。この無間地獄から抜け出す唯一のすべは、永遠の貞節を誓う乙女から愛を受けることだった。はたして、運命の人ゼンダがあらわれる。しかし彼女へ想いを寄せる、別の青年がいた……。最近ではバイロイトのチェルニャコフ演出版など大胆な「読み替え」もある本作だが、ここでは後味の悪い「初稿版」の現代的演出を紹介したい。

ワーグナー:オペラ《さまよえるオランダ人》(1843)(初稿版)
マルク・ミンコフスキ指揮 グルノーブル・ルーヴル宮音楽隊,アルノルト・シェーンベルクcho.,サミュエル・ユン(B:船長),インゲラ・ブリンベリ(S:ゼンタ),オリヴィエ・ピイ(演出)他
〈録音:2015年11月(L)〉
[ナクソス(D)NYDX50040]Blu-ray
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ノルドグレン:小泉八雲の怪談によるバラード
ノルドグレンは舘野泉が「親友」と呼んだ作曲家だ。そのピアノ曲のすべてが舘野に献呈されている。彼は1970年から73年にかけて暮らした日本で、小泉八雲の『怪談』と出会い感銘を受けて、まずは〈耳なし芳一〉が書かれた。これが彼の生み出したピアノ曲第一作となり、やがてこの《バラード》を形作っていった。たとえば八雲の「芳一」は、盲目の琵琶法師のところへ謎の武者がやってきて《平家》の〈壇ノ浦の段〉の演奏を求める……という筋書きだが、ノルドグレンはこれを含む全曲で、物語そのものを活写したというよりも、そこに漂う雰囲気や揺れる感情を音楽化している。本盤はいちばんの理解者である舘野による録音。その不気味さが繊細かつ蠱惑的に光っている。

ノルドグレン:小泉八雲の怪談によるバラード(1972~77)
舘野泉(p)
〈録音:1990年5月〉
[フィンランディア(D)WPCS4988]※廃盤
※現在は再発を含め廃盤だが、iTunesやQobuzから配信音源を入手できる

【音楽之友社の関連書籍】
ハイクポホヤの光と風
舘野泉 著
ISBN:9784276211568〈発行:2023年6月〉
「ハイクポホヤ」とは、舘野の別荘があるフィンランドの湖畔の一角。そこに降り注ぐ光や吹き抜ける風のように、音楽と共に移ろいゆく人生の機微を独自の感性でとらえた文章は、作品解説でも自伝でもない、唯一無二の語りである。本書には、ノルドグレンとの交流についても登場する。
愛する人が幽霊になったら
ドヴォルザーク:幽霊の花嫁
幽霊になるのは赤の他人ばかりではない。大切な人の場合だってある。《幽霊の花嫁》では乙女のもとへ、数年ぶりに婚約者が帰ってくる。喜ぶ乙女。さあ出かけるぞと誘われた彼女は結婚式のための衣装や道具を持って、婚約者の後を追いかける。途中で十字架や聖書などを取られてしまうが、ようやく近づいた幸せを前に、彼女は無我夢中になっている。やがて行き着いた先はなんと墓地! ここでおかしいと気付いた乙女は小屋にたてこもる。はたして婚約者の正体は……。超ホラー展開である。現代的ホラーではないから、音楽そのものはあまり怖くない。とはいえあっという間に80分が過ぎる。ドヴォルザークはやはりすごい。

ドヴォルザーク:劇的カンタータ《幽霊の花嫁》(1883)
コルネリウス・マイスター指揮 ウィーン放送so.,ウィーン・ジングアカデミー,他
〈録音:2016年6月(L)〉
[Capriccio(D)C5315(海外盤)]
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R=コルサコフ:見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語
《見えざる町キーテジ》は、ファンタジックで胸アツな展開を見せる幽霊譚である。森に住むフェヴローニャはキーテジの王子と出会い結婚の運びとなる。しかしその婚礼の行列がタタール人の襲撃に遭い、フェヴローニャは捕らえられてしまう。彼女は神にキーテジの町を見えなくするように祈るが、その最中に王子は戦死を遂げる。脱走したフェヴローニャは、王子の幽霊と再会する。2人は、神の計らいで湖底に沈められたキーテジに逃れ、そして……。ゲルギエフによる本録音はすでに30年の前のものだが、彼の、そして《見えざるキーテジ》の名演の1つであることに変わりない。

リムスキー=コルサコフ:オペラ《見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語》(1907)
ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー(キーロフ)劇場o.,同cho.,ユーリ・マルーシン(T:王子),ガリーナ・ゴルチャコーヴァ(S:フェヴローニャ),他
〈録音:1994年2月(L)〉
[フィリップス(D)UCCP1004~6(3枚組)]※廃盤
※現在はCD-BOX「Rimsky-Korsakov: 5 Operas」[Decca]に収録されている
私も幽霊になるかもしれない
遠藤郁子/ショパン序破急幻
能楽には、しばしば彼岸的な存在が登場する。たとえば『巴』では巴御前の亡霊が、主君と最期を共にできなかった無念を抱え、女武者のすがたとなって僧の前にあらわれるように。ピアニストの遠藤郁子は、癌に侵され闘病していたとき、夢に、ショパンの音楽を背景に巴御前が舞う幻覚をみる。死の淵から生還した彼女はその印象から、能になぞらえた独特のショパン・アルバムを作成したのだった。それぞれに『葵上』など、能の演目の題が添えられている。ここで『巴』はノクターンの13番に重ねられた。突飛なアイディアのバラエティ・アルバムだと思われるだろうか? 編集子は、このショパンの衝撃を超えるものに、いまだ出会えていない。

ショパン序破急幻
〔ショパン:夜想曲第5番嬰ヘ長調,同第13番ハ短調,同第17番ロ長調,バラード第1番ト短調~第4番ヘ短調〕
遠藤郁子(p)
〈録音:1995年3月〉
[ビクター(D)VICC168]※廃盤
※現在は再発を含め廃盤だが、iTunesやQobuzから配信音源を入手できる
幽霊はレコードに針を落とすか
ザ・ケアテイカー/Patience(After Sebald)
最後に紹介するのは《冬の旅》をサンプリングした不思議なアルバムだ。ザ・ケアテイカーとは、イギリスの電子音響家ジェームズ・レイランド・カービーが1999年から2019年にかけて使用した名義で、映画版『シャイニング』の幽霊舞踏会シーンを発想源として、SP音源を幽玄に再構築するアルバム群をリリースしていた。どれも幽霊の視点に立っているような質感を帯びていて、不気味だが強烈なノスタルジーが感じられる(ホーントロジー Hauntologyという音楽ジャンルに括られることも多い。またオペラ《シャイニング》でふれた、リミナル・スペースのBGMとしてもよく登場する)。《冬の旅》を使用した本アルバムの音楽は、もともと作家W. G. ゼーバルトのドキュメンタリー映画のためのサウンドトラックで、その著作の世界観ともリンクしている。ファンサイトによれば、サンプリング元はヒュッシュとミュラーによる1933年録音と推定されている。幽霊だって《冬の旅》が聴きたいのだ。

ザ・ケアテイカー/Patience(After Sebald)
〈制作:2012年〉
[History Always Favours the Winners(D)HAFTW013]LP
Text:編集部(H.H.)