

昨年、ドイツの名バリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(以下DFDと略記)が生誕100年を迎えるに当たって、彼がカール・リヒターについて語ったテープが発見されたんだが……との話が編集部に持ち込まれた。折しも今年、今度はカール・リヒター生誕100年を祝うアニバーサリー記事を組むに際し、あらためてその貴重なインタビューの全貌を公開する。
取材・訳・構成=岡本 和子(通訳・翻訳・文筆家)
昨年、拙宅の引き出しの奥から「DFD」と記された一本の古いマイクロテープが出てきた。ドイツ・グラモフォンの古楽専門レーベル「アルヒーフ」にカール・リヒターが遺したバッハの録音が、1990年代にまとまってCD化されるにあたって、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(以下DFDと略記)からコメントをもらう、という仕事が舞い込み、彼のベルリンの自宅に電話をかけてインタビューを行なうことになったのだ。30年以上も前のことでもあり、その後の経緯は記憶が薄れ気味だが、結果的にCD販促宣伝用に、ほんの一部分が使われただけ、という状態でその後お蔵入りになっていた。
指定された日時にDFDの自宅に電話をかけると、夫人のユリア・ヴァラディが電話口に出て、「すぐに呼んできますね」。憧れの名ソプラノ歌手の声を聞いて、天にも昇る気分になったのを明確に覚えている。昨年DFDが生誕100年、そして今年リヒターが生誕100年を迎えるにあたって、このとき(1996年)の貴重な電話インタビューを、ほぼノーカットでお届けしたい。
「意外にもリヒターは即興性に富んだ人でした」
——今日はカール・リヒターについてお伺いします。彼とは2回《マタイ受難曲》を録音されていますが、1958年にはバス・ソロを歌われています。
DFD 彼とは初共演でした。ドイツ・グラモフォンでの録音現場で初めて会いました。最初の録音では、バス・ソロを、2回目の録音ではイエスを歌いました。
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