
西洋芸術音楽と伊福部昭をむすぶもの
特別企画シリーズ「伊福部昭と芥川也寸志」! 2026年に没後20年を迎える伊福部と、2025年に生誕100年が話題となった芥川。アニヴァーサリー・イヤーが交錯するいま、日本を代表する2人の音楽家を深めます。
今回の記事では、小室敬幸さんのガイドで、3つのポイントを通して伊福部芸術のルーツをたどっていきます。伊福部は、いかにして西洋芸術音楽を参照しながら、《日本狂詩曲》《日本組曲》《シンフォニア・タプカーラ》などにみられる独自の作風を築いていったのでしょうか。
Text=小室敬幸(音楽ライター)
伊福部昭(1914〜2006)が亡くなって今年2月で丸20年が経った。熱心なファン——信者、信奉者と呼ぶべきか?——が多く、個人的な体験と共に語られがちな作曲家である。弟子たちからも長く慕われ、伊福部が30代の頃に東京芸術大学で教えた門下生を中心とする「古弟子会」、60代以降に東京音楽大学で教えた門下生を中心とする「新弟子会」がつくられたほどだ。
筆者は2003年に東京音楽大学付属高校、2006年に東京音楽大学へ入学したので、伊福部本人から教えを請う機会はなかった(余談だが、湯浅譲二の授業はかろうじて1回だけ受けられた)。けれども「古弟子会」の弟子が作曲の教授陣に名を連ね、「新弟子会」のメンバーが授業を行ったり、何なら職員として働いたりしている時代だったので、「伊福部先生の思い出」を度々耳にした記憶がある。私にとって伊福部は好きな作曲家のひとりではあるが、決して特別な思い入れがあるわけではない。そのぐらいの少し離れた距離感から、彼の音楽を理解する上で重要なポイントを語ってみたい。
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