復刻!柴田南雄の名連載レコ芸アーカイブ
柴田南雄『新・レコードつれづれぐさ』 

第九回(1984年3月号)マーラー/交響曲第三番ニ短調

柴田南雄の名連載『新・レコードつれづれぐさ』第9回の話題は、マーラーの交響曲第3番ニ短調。第1楽章の冒頭、8本のホルンが歌う第1主題についての、異例なほど詳細で長大な分析が行われます。その理由とは……?
※文中レコード番号・表記・事実関係などは連載当時のまま再録しています。

余りに興あらんとすることは、かならずあいなきものなり

マーラーの第3交響曲のスコアをわたくしが初めて手にしたのは、1938年(昭和13年)3月のことだった。その月の新交響楽団(今のN響、指揮ヨーゼフ・ローゼンシュトック)の定期演奏会を聴くための準備に、龍吟社で入手したものだ。龍吟社というのは当時あった音楽出版社の一つで、輸入楽譜も少しは置いていたし、頼めば外国版のスコアも取り寄せてくれたが、赤坂の路地の突当りのような所に事務所ふうの店を構えていた。その龍吟社はのちに梁塵社という別名を持つようになって、この響きの上ではよく似た二つの社名を使い分けしていたと思う。どちらの名称も声と関係のある中国の古語に由来しているわけだが、そのことと関係があるのかどうか、その店でY氏という声楽家でレコードの新譜批評なども書いていた人をよく見掛けたのだ。

はじめから余談になったが、もう一つ蛇足を加えるなら、マーラーの第3はそれより3年前の1935年2月16日に東京音楽学校(今の芸大音楽学部)の管弦楽部がクラウス・プリングスハイムの指揮で本邦初演している。音楽学校の演奏会は、なぜかわたくしの父親の所にいつも招待状が送られて来たので、毎回それを貰っては聴きに行っていた。だから、多分「第3」も聴いた筈だが、はっきりした記憶はない。昭和11年度の「音楽年鑑」(東京音楽協会編集)の「楽界記録」によると、その演奏は『児童合唱のみは好評を博したるにも拘わらず、管絃楽は評論家挙って攻撃の的とした』とある。当時の音楽学校付属の児童学園のコーラスを、わたくしも何かの折にきいたことは覚えているが、それがマーラーだったかどうか、確信は持てない。

さて、わたくしはそのスコアを手にした当時、先ず、曲の冒頭でいきなり8本のホルンが第1主題をユニゾンで高らかに吹き上げるのにはびっくり仰天した。確かにこのような思い切った楽想と楽器法で交響曲を始めた例はこれ以前には無い。以来今日まで、この一見民謡ふうだが、しかし意味深い旋律を幾たび実際にきき、また何度思い出して口ずさんでみたことか。

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