インタビュー

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲を
テオルボでレコーディングした今村泰典に聞く

インタビュー・文=布施砂丘彦(コントラバス、ヴィオローネ奏者/音楽批評)
取材協力=ナクソス・ジャパン

ソリストとして、また通奏低音奏者として世界の古楽を牽引してきたリュート奏者の今村泰典氏。新たなアルバムでは、名作、バッハの《無伴奏チェロ組曲》をテオルボによって演奏した。
これまでの演奏家としての経験から生み出された今村氏自らの編曲は、ただのトランスクリプションではなく、この楽曲と楽器の魅力を存分に引き出したものである。
これまでわたしたちが馴染んできたチェロによる演奏が詩の朗読だとしたら、このテオルボによる演奏は、衣装を着た複数の俳優たちが舞台セットのなかで演じている演劇かのような、そんな奥行きと広がりを持っている。
この名編曲と名演奏の所以を探るべく、スイス在住の今村氏に、オンラインでインタビューをした。

J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲集 第1集
〔無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV.1007,第5番ハ短調 BWV.1011,第4番変ホ長調 BWV.1010(いずれも今村泰典によるテオルボ編)〕

今村泰典(テオルボ)
〈録音:2022年7月,2023年7月〉
[ナクソス(D)NYCX10511]

J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲集 第2集
〔無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV.1008,第3番ハ長調 BWV.1009,第6番ニ長調 BWV.1012(いずれも今村泰典によるテオルボ編)〕

今村泰典(テオルボ)
〈録音:2022年7月,2023年7月〉
[ナクソス(D)NYCX10520]
※2025年4月11日発売予定

テオルボでバッハを演奏するまで

───今回の録音では、リュート属のなかでも大きな楽器、拡張されたバス弦を有することで低い音域も演奏することのできるテオルボを用いられました。テオルボを用いた理由と、その編曲のコンセプトを伺っても良いでしょうか。

今村 無伴奏チェロ組曲はとっても素晴らしい作品ですし、チェロとテオルボは音域が近いですから、テオルボによく合うと思いましたので、ぜひテオルボで演奏したいと考えました。

 編曲のコンセプトは、「もしバッハがこのチェロ組曲をテオルボのために編曲していたならば、彼はどのように書いていたのであろうか」ということです。

 たとえばバッハは、ヴィヴァルディの《調和の霊感》に収録されたヴァイオリン協奏曲 RV230をチェンバロ協奏曲 BWV972へと編曲しています。あるいは自らの無伴奏チェロ組曲第5番 BWV1011をリュート組曲 BWV995へと編曲しています。特に興味深いのは、バッハのヴァイオリンとオブリガートチェンバロのための組曲 BWV1025です。これはヴァイスが作曲した独奏リュートのための組曲 SW47をもとに編曲されたもので、このヴァイオリンパートの大部分はバッハが新たに書いたものです。こういったものがわたしにとっての「見本」です。

 チェロの楽譜をそのまま音を足さず省かずにテオルボで演奏するのでは、テオルボの魅力が出ないのです。また、楽器の特性上、低音を弾いたあとにメロディを弾いた際に、響きが残る低音と残らない低音があります。ですから、まったく手を加えないでそのままテオルボで演奏すると、ある音は残ってある音は残らないというように、とてもちぐはぐな演奏になってしまうのです。そうだったとしたら別のバスを追加する必要があるのではないか。そのように考えたので、バロック様式に即したアプローチとして、通奏低音の観点から旋律に対してバスのラインを補完したのです。

今村泰典 いまむら・やすのり
大阪府出身。スイス在住。バーゼルのスコラ・カントルムに学ぶ。在学中よりリュート奏者、通奏低音奏者として幅広く活動している。1997年からは古楽アンサンブル「フォンス・ムジケ」を主宰。録音面では、これまで150枚以上のCD録音に参加。「レコード芸術」誌において「特選」に選ばれた『バッハ・リュート作品全集』『ヴァイス作品集Vol. 2』ほか、国内外で高い評価を受けている。また2025年6月には調布国際音楽祭(外部サイト)に登場。テオルボ編の無伴奏チェロ組曲第2番も実演される。

バッハだったら、どうしたか?

───今回の録音を聴いていると、想定している通りのバスの音もあれば、わたしにとっては「ここはその和音だったのか/この選択肢もあったのか」と驚かされる箇所もありました。必ずしもいちばん簡単に考えられるバスを選択しているわけではない、ということですよね。その場合どのように考えているのでしょうか。

今村 和声学と対位法の知識に基づく理論的な根拠が必要です。たとえば原曲でチェロがバスと旋律のどちらも弾いているところが続いたあとに、ある小節だけバスを弾いていない場合、その小節においてバスの音が存在しないのかというと、そういうわけではありません。そうするとバスの音を補完することが必要になります。

今村氏はその後、自ら編曲した楽譜を見せながら、それぞれのバスがどのように考えられているかを丁寧に教えてくれた。なだらかなラインとして描かれたそのバスラインはとても美しく、そしてまさに(テレマンでもヘンデルでもなく)バッハが書いたかのようなバスだった。その根拠として、バッハが無伴奏ヴァイオリンのために書いたパルティータをバッハ自らがリュートのために編曲した楽譜などを用いて、バッハ自身によって後から追加されたバスの実例を紹介してくれた。

───このような作業は大変なことと思います。時間のかかる作業なのではないでしょうか。

今村 そうですね。和音をすぐに見つけられても、果たしてそれが「活きたバス」になるのかどうかというのは別の問題です。また、テオルボでもリュートでも楽器の制限というものがありますから、その制限のなかで演奏可能なバスを考える必要があります。

 それから、同じ和音が続くときには、たとえば同じ音を繰り返し続けることもありえますが、果たしてほんとうにそれで良いのだろうか、と考えるわけです。通奏低音のバスによって対位法的な緊張感を与えることも大事だと思って、これらのラインを作りました。

───横の流れとしての美しさもまた念頭に置かれてこのラインを書かれている、ということでしょうか?

今村 当然そうですね。バッハのリュート組曲のバスを見ると、そのように書かれているわけです。そういったものが参考になります。

───当時は簡素な通奏低音のラインを書く作曲家も多くいたわけですから、やはりこれらの作業というのは「当時だったら」という視点ではなく「バッハ自身が編曲したら」という視点なわけですよね。

今村 もちろんそうだと考えています。わたしの目的は、もしバッハだったらどうしていたのだろう、というところなのです。

絵画的で空間的な名組曲を描き分ける

───今回の編曲には、ほんとうに窺い知れぬほどの膨大な世界を感じました。ここまでのお仕事をされるほどのバッハのこのチェロ組曲の魅力とはなんでしょうか。

今村 単旋律によってさまざまな和声が表現されていて、そこから生まれる色と表情、緊張と弛緩によって、受け取る人にとって絵画的なイメージを起こさせる作品だと思います。そして空間的な広がりがあり、永遠の奥行きがある美しさを持っています。音の数は(オーケストラやチェンバロ作品と比べて)少ないわけですが、音の世界にはものすごく広いものがあります。

───編曲ではなく演奏についても伺いたいと思います。複雑なバッハの音楽を精緻に描き分けていることに感銘を受けました。バッハを演奏するということについて教えてください。

今村 それぞれの音がどこに繋がるのか、どのように次の音へと解決するか、これらを考えることが大事です。撥弦楽器は弦を弾いたら減衰するだけですので、どのようなアタックで演奏するかということはもちろん大事ですが、それだけではありません。たとえばリュートは音を4つ演奏することがありますが、次の和音もまた4つだとは限りません。(それらの4つの音のなかには)次の音に解決する音もあれば、ない音もある。解決する音が1つしかない場合は、その音が最も大事になります。音によって扱い方は異なるのです。

「バッハを理解する」とは

その後、今村氏はバッハについての多くのことを教えてくれた。この1時間のインタビューはヴィオローネ奏者でもある筆者にとって、まさに貴重な時間となった。最後に、氏がバッハへの理解について語っていたことを紹介しよう。

今村 バッハを理解するというのはどういうことか。それは、バッハのスタイルで楽曲を書くことができるということなのです。例えばフーガのテーマを与えられて、バッハのように書いてみろというお題を受けるとします。和声学や対位法の知識があればある程度は書き進められるはずですが、あるところでは行き詰まることがあるわけでしょう。そしてどう書いても堂々巡りになってしまう。そのときバッハの譜面を見ると、あっと思うわけです。自分が行き詰まるという経験をして、バッハだったらこうしたのかという発見をする。こういったことを経たうえでバッハを演奏することと、ただバッハは素晴らしいと言って演奏するのでは、楽曲への理解力がまるで異なるはずです。

今村泰典 関連ディスク

J.S.バッハ/リュート作品全集
今村泰典(リュート)
〈録音:2015年7月,2016年7月〉[Naxos(D)8573936(海外盤・2枚組)]

タイトルとURLをコピーしました