インタビュー・文=片桐卓也(音楽ライター)
通訳=井上裕佳子
取材協力=ナクソス・ジャパン
パシフィック・コンサート・マネジメント
1985年に結成され、数多くの録音、特にヴィヴァルディの《四季》などで古楽演奏の世界に新たなエネルギーを与えたイル・ジャルディーノ・アルモニコとジョヴァンニ・アントニーニ。2032年のヨーゼフ・ハイドン生誕300周年に向けて、スイスのバーゼルに拠点を置くヨーゼフ・ハイドン協会とフランスのレーベル、アルファとの共同プロジェクトとして、彼らはいま、バーゼル室内管弦楽団とも協力しながら、ハイドンの交響曲全曲録音を進めている。
2024年末、イザベル・ファウストとの共演(モーツァルト)、及びトッパンホールでのハイドンを中心とするプログラムのコンサートのために来日したジョヴァンニ・アントニーニに、そのハイドン・プロジェクトの現在を聞いた。
全体の約3分の2を録音し終えたところです
——ハイドンの交響曲全曲録音はどのようにして始まったのですか?
ジョヴァンニ・アントニーニ(以下アントニーニと略) バーゼルのヨーゼフ・ハイドン協会から直接、私に録音の依頼があったのですが、その時は「え? 私たちに?」とちょっと驚きましたね。確かにバロック時代の録音では成果をあげていたし、私自身の指揮活動も広がってはいたのですが。2014年にその話が来て、それに応じて録音も含め、演奏会も幅広く行なうことになりました。
——現在のところ、録音としては半分ぐらい進んだ感じでしょうか?
アントニーニ リリースされたのは確かCDで15枚分だと思います。今回リリースされたハイドンの交響曲第94番《驚愕》を含む「驚き」が16枚目ですが、実は多くの録音において、ハイドン以外の作曲家の作品も取り入れていますので、普通のハイドン全集とはちょっと違った趣となっています。録音も定期的に行なっており、現在は3分の2ぐらいが終わったところではないでしょうか? 次のリリースは5月頃を予定しています。
——今回リリースされた「驚き」では、ようやくロンドン時代のハイドン、傑作揃いとされる作曲家円熟の時期に入ってきましたね。
アントニーニ ただ、そもそものプロジェクトの考え方として、クロノロジックな選曲で進めているわけではないので、第1番から始めて、ようやく最後のロンドン・セットへ、という意識は全くないのですね。それぞれのアルバムによって、ひとつのコンセプトがあり、それがアルバムのタイトルとされています。交響曲の組み合わせもまったく独自のアイディアです。
「ハイドン2032」NO.16「驚き」
〔ハイドン:交響曲第98番変ロ長調,同第94番ト長調《驚愕》,交響曲第90番ハ長調,ロッシーニ:歌劇《絹のはしご》序曲〕
ジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ&バーゼル室内管弦楽団(古楽器使用)
〈録音:2021年10月〉
[ALPHA(D)NYCX10495]
他の作曲家の作品を入れるのは私なりのアイディアです
——例えば今回の「驚き」では、ハイドンの他にロッシーニのオペラ《絹のはしご》の序曲が一緒に収録されていますね。
アントニーニ それ以外のアルバムでも、ラインナップをご覧になっていただければ、さまざまな他の作曲家の作品が一緒に録音されていることを分かっていただけます。
そこには私なりのアイディアが隠されています。ハイドンのひとつの交響曲を巡って、さまざまなことを考えているうちに、あ、こんな選曲はどうだろう、という考えがフッと浮かびます。忘れないうちに、それを逃さす、ひょいとキャッチして、まとめる。それが次の録音に反映されるというような形です。
——今回、ロッシーニを入れたのは?
アントニーニ ハイドンと同時代を生きた作曲家というだけでなく、ハイドンとロッシーニとの共通性に想いが至ったからです。日本ではそう理解されているとは思いませんが、イタリアではロッシーニは「tedesco」と呼ばれることが多いのです。つまり「ドイツ的」な作曲家と思われているのですが、そうした側面をよりはっきりと示す作品として《絹のはしご》序曲を一緒に録音することにしました。
——それは初耳でした。しかし、確かにハイドンとロッシーニの音楽には通じるものがあると、録音で感じました。
アントニーニ それ以外にも、第8集の「ラ・ロクソラーナ」というアルバムでは、ハイドンの交響曲第63、43番などと一緒にバルトークの《ルーマニア民族舞曲》を録音していますが、時代を超えて伝えられる共通性、同じ感情などをテーマに、それぞれのアルバムを組み立てています。
ハイドンの広大な世界が多様な選曲を生みだします
——今回の来日公演の中でも、トッパンホールでのコンサートではハイドンの交響曲第52番と第44番《悲しみ》に挟み込むように、アルヴォ・ペルト(1935生)の《主よ、平和を与えたまえ》とシャイト(1587〜1653)の《音楽の戯れ》の第4曲〈4声の悲しみのパヴァーヌ〉が演奏されましたね。
アントニーニ これも同じような発想から生まれたプログラミングで、ハイドンの世界がいかに広大であるか、を示すひとつの証拠にもなっていると思います。ハイドンは実はどのように音楽修業をしたのかが、よく分かっていない作曲家でもあります。おそらく、若い時代はかなり幅広い音楽を聴き、そこから影響を受けた部分を消化して、自分の音楽の中で活かしたのでしょう。だからこそ、多様な選曲が可能になります。そういう点では、ハイドンは本当にいまだに過小評価されていると思えますね。
もうひとつ、ハイドンの創作にとって欠かせなかった要素は、エステルハージ家の楽長を長く務めたことですが、それを実態に即して考えると、常に同じような聴衆を前に、次から次へと交響曲などを書かなければいけなかったことを意味します。だからこそ、新奇なアイディアを交響曲の中に次々と取り入れたことが想像されます。
——時にはホルン4本を使う交響曲もあったり、とか。
アントニーニ たまたまそういうホルンのグループがあり、彼らが訪問した時に一緒に演奏できるように考えたのですね。そういうことも面白い点です。
——イル・ジャルディーノ・アルモニコとバーゼル室内管弦楽団の共演は上手く機能していますか?
アントニーニ それぞれのコンサートにメンバーを呼び、共演することも多いので、お互いの音楽性はよく理解しあっていると思います。
——2032年に向けて、まだまだ旅は続きますが、ぜひ、日本でもまたハイドンの魅力を紹介してください。ありがとうございました。