ミヒャエル・ハイドンの音楽に寄せて

特別寄稿
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来る8月10日でミヒャエル・ハイドン(1737~1806)が没して220年。「ハイドンの弟」「モーツァルトの友人」という具合に、大作曲家の関係者として語られることの多い彼の交響曲を営々と録音してきたcpoレーベルが、ついに全集ボックスをリリースした。ミヒャエル・ハイドン自身の音楽の魅力の一端をミヒャエル・ハイドン・プロジェクトを主宰する布施砂丘彦氏からの寄稿を掲載する。

ミヒャエル・ハイドン/交響曲全集,管楽のための協奏曲集

ボフダン・ヴァルハル指揮スロヴァキア室内管弦楽団,ヴォルフガング・ブルンナー指揮ザルツブルク・ホーフムジーク,他
〈録音:1991~2015年〉
[CPO(D)555673(16枚組,海外盤)]

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Text: 布施砂丘彦(音楽批評家、コントラバス奏者)

 ひとはどのようなときに音楽をおもしろいと感じるのだろう。わたしは心の底からミヒャエル・ハイドンの音楽を愛していて、多くの方々とこの喜びを分かち合いたい。しかしこれはあまり簡単なことではないようだ。
 情報からいくと、知識としての興味は持たれても音楽を味わうというところまではいかないのかもしれない。

ミヒャエル・ハイドンの肖像画(作者不詳。Gesellschaft der Musikfreunde, Vienna蔵)

 ミヒャエル・ハイドンはヨーゼフ・ハイドンの5歳年下の弟で、同じ両親のもと同じくローラウという小さな村で生まれ、兄と同じく歌が上手で、兄と同じくウィーンの聖シュテファン大聖堂の少年聖歌隊員になって少年時代を寄宿舎で過ごした。変声期を迎えてここを去ったあとは兄と同じくいわばフリーランスのかたちで音楽家として暮らしていった。そして兄と同じように苦労をしながらも宮廷へ就職。
 また、ミヒャエルはモーツァルトとザルツブルクの宮廷で同僚であり、そして友人関係でもあった。モーツァルトの交響曲第37番として知られていた楽曲は実はミヒャエルの交響曲第25番にモーツァルトが序奏を付け足しただけのものである。また、モーツァルトはミヒャエルの楽曲をいくつも書き写して勉強したり、ふたりは刺激を与え合って同じ編成の曲を書いたりした。モーツァルトのレクイエムも、交響曲第41番のフーガも、ミヒャエルの楽曲から大きな影響を受けている。
 このようにしてミヒャエルに関する有益な情報はいくらでも並べることができるが、これらは残念ながら多くの場合ヨーゼフ・ハイドンやモーツァルトをより深く知るための手がかりにすぎず、ミヒャエルの音楽それ自体を味わうことには繋がらないかもしれない。

写真2 ボブダン・ヴァルハル-Bohdan-Warchal-1995-BW1
CD6枚分を指揮しているボブダン・ヴァルハル ©The Slovak Philharmonic

 ミヒャエルの音楽はヨーゼフ・ハイドンやモーツァルトと関係があるから凄いのではない。彼らに影響を与えたから価値があるのではない。もっと純粋に、ミヒャエルの音楽にはいろんな魅力がいっぱい詰まっているのだ。でもその魅力はマニアック過ぎたり、繊細過ぎたりするから、多くのひとが見落としてしまう、あるいは忘れてしまう、ということ。

 わたしはここに登場したミヒャエルのBOXはじっくりと味わえるシロモノだと大声で言いたい。
 まずは14枚目のディヴェルティメント集から聴くことを勧めてみたい。ハ長調の1曲目、MH27という若かりし頃の作品。わたしがこの世で最も愛している楽曲だ。なんと愛おしいことか。まずは構造。4つの楽章から成りメヌエットを除くすべての楽章がソナタ形式で作られており、いずれも再現部の比重が大きいことが特徴的だ。ふつう古典派の楽曲は、提示部で登場した音楽は展開部を経由して再現部に戻れば、あとは落ち着くだけ。モーツァルトも再現部は本当に単なる「再現」だけというのが多い。出発したときのおうちにただ帰宅するだけ。しかしここでは違う。メヌエットの主部(その中身も3部形式)を含めたすべての楽章で、何かが起こる。再現部になっておうちに帰ったと思ったら、そのおうちから知らないひとが出てくるみたいな不気味さだったり、あるいは家族がサプライズをしかけていましたというような温かいハプニングがあったりと驚きに満ちているのだ。言ってしまえば第2の展開部というような感じなのだけれども、繰り返し聴くたびに何故か「次は何が起きるんだ」というワクワクがどんどん増長されていくという不思議。この構造のためにはやっぱり和声が欠かせない。複雑なことはしていないのに、予想外の和音が多発する。「え、そっちに行くの?」と何度も驚かされるのだ。

試聴リンク:ディヴェルティメント ハ長調 MH27 第1楽章
写真3 ヴォルフガング・ブルンナー_wolfgang-brunner-c-gerhard-wolkersdorfer-hb-_1080x1080
ディヴェルティメントを指揮しているヴォルフガング・ブルンナー©Gerhard Wolkersdorfer

 ミヒャエル・ハイドンのことを知っているひとにとって、ミヒャエルといえば教会音楽の作曲家である。彼は本当に優れた合唱曲などを何曲も残している。しかし彼は器楽作品も素晴らしい。聴き心地が良いのではなく、がちゃがちゃしていて愉しいもの。しかし交響曲なんかを聴いていると、彼のそういった愉しい音楽の裏に、時折すうっと、あまりに清廉なメロディが見える瞬間がある。それは本当にメロディのこともあれば、あるいはオーボエやホルンが持っているただのシロタマ(全音符など長い音符)のハーモニーなんだけれども、それがどこか聖歌のようだったりするのだ。注意深く聴いていると突然、陽の光が降り注ぐ。このギャップにたまに気が付くとミヒャエルの音楽の広がりにいたく感動するのだ。
 ネタバラシはここには書かないので、ぜひ何度でも繰り返し聴いてほしい。自らがそれに出会ったり感じたりするのが愉しいのだから。ミヒャエルの音楽を味わうひとが増えたら、そんなに嬉しいことはない。

ミヒャエル・ハイドン/交響曲全集,管楽のための協奏曲集

ボフダン・ヴァルハル指揮スロヴァキア室内管弦楽団,ヴォルフガング・ブルンナー指揮ザルツブルク・ホーフムジーク,他
〈録音:1991~2015年〉
[CPO(D)555673(16枚組,海外盤)]

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企画・制作:ナクソス・ジャパン

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