管弦楽の魔術師と呼ばれるモーリス・ラヴェル。その管弦楽法の粋を凝らした作品などをア・カペラで演奏したアルバムが出ました。生誕150年の昨年、パリのフィラルモニーで行われたコンサートのライヴ録音で、《ボレロ》はカット無しの全曲版。演奏に参加した一色香織さんから、フランス合唱界やこのアルバムに関して文章を寄せてもらいました。2回に分けて掲載します。

シンギング・ラヴェル
〔ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ/『マ・メール・ロワ』より眠れる森の美女のパヴァーヌ、妖精の園/無伴奏合唱のための3つの歌/ロンサールの己が魂に/⦅子供と魔法⦆より薔薇の芯よ、さらば羊飼いの娘たちよ/『鏡』より鐘の谷/『シェエラザード』より魔法の笛、つれない人/ボレロ〕
レオ・ヴァリンスキ指揮レ・メタボール
〈録音:2025年3月10日(L)〉
[B Records(D)NYCX10585(日本語解説と訳詞付きの国内仕様盤]
[B Records(D)LBM091(輸入盤)]
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好評発売中
文・写真提供:一色香織(ソプラノ)
ソプラノ歌手の卵としてフランスに渡り早30年。これまで、ヴォーカル・アンサンブルや室内合唱団のメンバーとして、時にはソリストとして、20枚以上のCDやDVDの録音・録画に参加してきました。その中でも『シンギング・ラヴェル Singing Ravel』は、主に2つの理由で私にとってお気に入りの1枚になりそうです。ひとつは、合唱としてのクオリティの高さ。もうひとつは、全曲ラヴェルの楽曲で、しかもボレロに代表される器楽曲のア・カペラ合唱への編曲を中心にしたラインナップ。録音に参加した歌い手の一人として、その魅力を語ってみたいと思います。
レ・メタボールは、指揮者のレオ・ヴァリンスキの主導で2010年に数人の歌手で発足し、2018年からは指揮者の出身地であるアルザス地方の街コルマールを本拠地に活動している、比較的新しい合唱団です。メタボールという名前は、フランス20世紀の作曲家デュティユーの作品名から来ており、変身・変容という意味のメタモルフォーズという言葉から取ったもので、演奏する曲の時代背景やスタイルにより自由自在に変化できる合唱団、という意味を持っています。

私自身は、子供の頃からピアノと平行して合唱をやってきました。高校時代は千葉県立幕張西高校(現在の幕張総合高校)合唱団で、故・伊藤博先生の指揮のもと、ウィリアム・バードやアンドレ・カプレ、ヴィヴァルディなどのポリフォニー曲と、三善晃を中心とする合唱曲を数多く歌い、合唱コンクール関東大会で入賞しました。そして東京芸大の声楽科に入ってからは、学部と院の6年間、バッハカンタータクラブに在籍し、小林道夫先生の薫陶を受けバッハのカンタータやモテットなどを数多く演奏しました。
1996年にフランスに渡り、エコール・ノルマル音楽院に留学するとほぼ同時に、室内合唱団アクサンチュスのオーディションに合格し、1997年の初頭からメンバーの一人として歌い始めました。その後、マルセイユのヴォーカルアンサンブル・ミュジカトレーズや、オランダ室内合唱団などに所属するかたわら、現代曲やオラトリオのソロ、日仏歌曲のリサイタルなどを続けて現在に至ります。

オルガン(リューク・アントニーニ)、アコーデオン(パスカル・コンテ)と共に
レ・メタボールで歌い始めたのは2022年のことで、急に出られなくなった歌手の代役を頼まれ、それが上手くいってその後も続けて色々なコンサートに出るようになりました。
私が思うに、イギリスとドイツ、そしてフランスの合唱は明らかに違います。まず音色。私が大好きなイギリスのVOCES8というグループがありますが、例えば彼らは完全ノン・ヴィブラートで、音程もリズムもぴっちりと合い一糸乱れず、時に硬質なまでのピュアな響きを聞かせてくれます。それに対して、私が経験したフランスの合唱団は、音色が緩く、声に多少のヴィブラートも掛かり、なんというか色気があるのです。イギリスの音色があくまで透明なクリスタルだとしたら、こちらは色とりどりのお花畑かステンドグラス、というところでしょうか。
さらにフレージングというか、音律の作り方・もって行き方。バッハはもちろん、シューベルトやブラームス、マーラーにシェーンベルクまで、ドイツ音楽はフレーズの頂に向かって一歩一歩進んでいくような感じですが、フランスのそれはあっちに寄り道したりこっちに行ったり、時には立ち止まって休憩したり……。小林道夫先生がバッハのフレージングを説明する際に、目標に向かって一直線に歩む様子を実際に歩きながら見せてくれましたが、フランス音楽はまるで蝶々が花から花へひらひらと飛び移るようです。
私が渡仏した1996年には、フランスにプロの合唱団はまだまだ少なく、前述の室内合唱団アクサンチュスとフランス国立放送合唱団、あとレザール・フロリサンのように古楽をやるアンサンブルに付随した合唱団がいくつかあるのみでした。
レザール・フロリサンと指揮者のウィリアム・クリスティの功績は誰もが知っていると思いますが、アクサンチュスも当時はまだ珍しかったプーランクの合唱曲(特に《人間の顔》は素晴らしい大作です)や、フランス物にとどまらずメンデルスゾーンや北欧のア・カペラ合唱曲を紹介・録音し(エリック・エリクソンと共演したアルバム『North』[Naïve]はお勧め)、またパスカル・デュサパンやフィリップ・マヌリなどフランスの気鋭の作曲家にア・カペラ合唱曲を委嘱・初演する事で、フランス合唱界の裾野を広げる重要な役割を果たしていました。
しかし残念なことに、指揮者のロランス・エキルベイはその後オケやオペラを中心に振るようになってア・カペラ合唱からは遠ざかってしまい、私個人も一人一声のヴォーカル・アンサンブルを活動の中心に据えたこともあって、2000年のアメリカ大陸横断ツアーを最後にアクサンチュスを去りました。
そして20年が過ぎ、縁あってレ・メタボールで仕事するようになると、アクサンチュスで歌っていた当時の事が蘇ってきました。
【後編に続く】
企画・制作:ナクソス・ジャパン
