連載

トーキョー・モデュレーション 第3回/沼野雄司


一周まわった地点でふたりが出会う

たぶん生き乍ら鼠や蛇に噛まれ、食われ、じわじわと死んだのだろう。
それなのに――。
侍の顔は――。
伊右衛門様とお岩様です――と男は言った。
伊右衛門は。
嗤っていた。
余茂七は手を合わせ、意味もなく、ただはらはらと泣いた。

(京極夏彦『嗤う伊右衛門』)

 はじめて人を好きになったのがいつかはよく覚えている。
 小学校に入ってすぐ、同級生のひとりを良いなと思ったのだ。ある時、男子数人が彼女の家に呼ばれることになった。喜んだわれわれは、皆で近所の善福寺公園の花を摘んで持っていくことにした。小1にしてはなかなかジェントルマンな発想である。
 他の男子は花をビニール袋に放りこんだだけだったが、わたしはランドセルを置きに家に帰った際、母に「結婚式の時みたいにして」と頼んだ(その情景とセリフをよく覚えている)。花束にしたかったのだ。これはもう、なかなかどころか「相当に」ジェントルマンな発想である――もしかすると祖先にイギリス人がいるのかもしれない。大の花好きの母は、適当な紙をうまく使って、すぐにブーケみたいなものを作ってくれた。
 彼女の家に行く途中、この即席ブーケを見た友人たちはどうにも鼻白んだようで、もういいや、とビニール袋を道端に捨ててしまった。かくしてわたしだけが、得意げに彼女に花をプレゼントしたのだった。
 いったい、彼女はどうしているだろう。名前も顔も忘れてしまったのだが、おぼろげなイメージだけは今も残っている。

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