音楽評論家・城所孝吉氏の新連載がスタートします。楽譜=音楽ではない。楽譜は演奏されなければ音楽にはならない。ゆえに演奏家の主観の入らいない音楽は存在し得ない、という見地からスタートし、様々な演奏(録音)を通じて“音符の向こう側”にある、真の作品像について考えていきます。
マーラーの交響曲第6番。結末の行方
マーラーの交響曲第6番の結末は、「敗北」だろうか、それとも「勝負なし」だろうか。私は同作品を聴くと、常にこの問題に思いをめぐらさずにはいられない。悲壮なマーチで始まる曲が、英雄の苛烈な戦いをテーマとしていることは、以前から言われてきた(アルマの回想録を持ち出すまでもなく)。第1楽章では、敵との戦闘と伴侶(アルマ)への愛が主題となり、英雄は一時的に勝利を得る。続くアンダンテ(※国際マーラー協会の見解に依拠する場合)では、自然のなかでの伴侶との愛の夜が表現される。やがてスケルツォで戦いが再開するが、英雄は終楽章の最終戦で数度にわたる打撃を受ける。その際我々が注視するのは、2回ないし3回打たれるハンマーの問題だろう。3回目(あるいはそれに該当する個所)の後、英雄は敗れ、死んだのか。それとも戦いは、勝者なしに終わったのか。指揮者が「物語」の顛末をどうとらえるかで、作品の内容は大きく変わってくる。
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