音楽評論家・舩木篤也氏の連載「プレルーディウム」。
プレルーディウム(Präludium)は、ドイツ語で「前奏曲」の意味。毎回あるディスク(音源)を端緒として、ときに音楽の枠を超えて自由に思索を巡らせる、毎月1日更新の注目連載です。
第10回の舞台は金沢。ヴィトマン&OEKによる《宗教改革》の鑑賞、そしてタリスのモテットを使用したインスタレーション作品への没入から、西田幾多郎『善の研究』に収められた「純粋経験」へと思索が展開していきます。

タリス:40声のモテット《我、汝の他に望みなし》
〔トーマス・タリス:40声のモテット《我、汝の他に望みなし》,《預言者エレミアの哀歌》第1部,同第2部〕
アリステア・ディクソン指揮シャペル・デュ・ロワ
〈制作:2012年〉
[Regis(D)RRC1394(海外盤)]
金沢の音源はソールズベリー大聖堂合唱団による独自のものだが、こちらも優れた演奏であり録音である。
純粋経験
幾すじも川の流れている街が好きだ。金沢も、その一つ。あるのは犀川と浅野川の二つだけで、しかも中心街を挟んで互いにかなり離れているが、川のほかに、古くからの用水路があちこちに走っており、これがまた清々しい。そのうえ魚も旨いし、酒も旨いときている。言うことなしである。
その金沢で、先日、対照的な音楽体験をした。ひとつは、イェルク・ヴィトマンが指揮したオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏会。いまひとつは、トマス・タリスの音楽なのだが、さて、あれは誰が演奏していたのだったか? いずれにしても、両者の間に、金沢ゆかりの哲学者、西田幾多郎がいたのは確かだ。
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OEKの演奏会場は、金沢駅前に聳え立つ石川県立音楽堂である。すでに何度かここに来ているヴィトマンは、今回クラリネットは吹かず、指揮のみをしたが、これが実に素晴らしかった。自作の《フーガの試み》(2015年、ソプラノ、オーボエと室内オーケストラ版)もさることながら、なんといってもメンデルスゾーンのフーガ交響曲、《宗教改革》である。
そもそもあれは「指揮」だったろうか? メロスの線と明暗を全身でもって空に描こうとする様は、まるで巨大キャンバスを前にした画家のよう。各声部の出だしにサッと釘を打ちつけるかのような姿は、大工さながら。足をグイと踏み出し、楽員らに肉薄し、ティンパニを思いっきり強打させる。なのに全体がまったく粗くならない。コントラバス3挺という小編成にして、である。木管楽器にベルアップをさせ──コラール「神は我がやぐら」の旋律!──すべての声部がくっきりと立ったあんな終楽章を、私は初めて聴いた。
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そのまま踵を返して東京に帰るのは、この愛すべき街に対してあまりに失礼である。翌日、兼六園近くの「金沢21世紀美術館」を訪ねてみた。カナダのアーティスト、ジャネット・カーディフによる「40声のモテット」が聴けるというので、これを目あてに向かったのだ。
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