【受賞記念インタビュー】
舩木篤也氏、第38回(2025年度)「ミュージック・ペンクラブ音楽賞」を受賞!

インタビュー
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舩木さん
2026年3月、東京・西荻窪にて

ききて・写真=編集部

 レコード芸術ONLINEの新譜月評や連載「プレルーディウム」でもお馴染みの音楽評論家、舩木篤也さん。その初の単著『三月一一日のシューベルト──音楽批評の試み』が、第38回(2025年度)「ミュージック・ペンクラブ音楽賞」を受賞しました。
 そこでこの度、受賞を記念してのインタビューを敢行。言葉選びから書体に至るまで、フィジカルの書籍ならではの「視覚」や「触覚」にもこだわり抜いたという、もっと多くの方に知られてほしい本書の魅力や、執筆の裏側について伺いました。

★ミュージック・ペンクラブ・ジャパンがオンラインで頒布しているPDF「2025年度 第38ミュージック・ペンクラブ音楽賞決定!!」へのリンクはこちら

【書籍情報】
三月一一日のシューベルト
音楽批評の試み

舩木篤也 著
ISBN:9784276210141〈発行:2024年12月〉

「対旋律が揺さぶる——」。月刊誌『レコード芸術』に2020年1月号から23年7月号(休刊号)まで、22回にわたって連載され圧倒的な支持を得た連載「コントラプンクテ 音楽の日月」に大幅に加筆、書名を変更しての単行本化。「音楽」からの視点と、「音楽とは異なる世界」からの視点を交差させることで、あたかも対旋律が主旋律を引き立てるが如く、音楽の新たな魅力や人生の味わい、世界への問題意識が浮かびあがります。表題タイトルの章の他、「マーラー×緊急事態宣言」、「バッハ×させていただく」、「ワーグナー×川上未映子」等、意外性と刺激に満ちた音楽批評が展開。

「ゆっくり読んで欲しい」

『レコード芸術』で隔月連載(2020年1月号~23年7月号)されていた舩木さんの連載「コントラプンクテ──音楽の日月」が、2024年の年末に『三月一一日のシューベルト──音楽批評の試み』という名の単行本として出版され、このたび、2025年度・第38回の「ミュージック・ペンクラブ音楽賞クラシック部門、研究評論・出版部門」を受賞しました。おめでとうございます。

舩木 ありがとうございます。ミュージック・ペンクラブの皆さんは、「音楽について書く」ことの意味と難しさを、みずから身をもってよくご存知でいらっしゃいます。そのような方々に評価を頂いたわけで、これはとりわけ嬉しく、また光栄なことだと思っております。

発売から1年と2か月ほどが経ちましたが、これまでの反響はいかがですか?

舩木 私の初めての単著ということもあってか、いくつか書評も頂き、友人や知人からも多く声を頂きました。「少しずつ読んでいます」とか、「じっくり味わいながら読んでいます」というものが多く、もともと早く読み飛ばせるようには書いていないので、ちゃんと読んでくれているんだなと感じます。一度読んで、二回目は文中で扱われている音楽を聴きながら読んだといった声もあり、嬉しいですね。

舩木さん

舩木篤也 Atsuya Funaki

1967年生まれ。広島大学、東京大学大学院、独ブレーメン大学に学ぶ。19世紀ドイツ音楽を中心に、「読売新聞」で演奏評、NHK-FMで音楽番組の解説を担当するほか、雑誌やWEBでも執筆。朝日カルチャーセンター新宿校、早稲田エクステンションセンター中野校で音楽講座の講師。東京藝術大学ほかではドイツ語講師を務める。著書に『三月一一日のシューベルト──音楽批評の試み』(音楽之友社)、共著に『魅惑のオペラ・ニーベルングの指環』(小学館)、共訳書に『アドルノ 音楽・メディア論』(平凡社)など。

「精興社書体」

文章が美しい、という評、感想も多かったですね。また、本文の書体には、精興社のオリジナル書体である「精興社書体」が使われています。音楽之友社としては、初めてのことだったそうですが。

舩木 書き手の思考の筋道をゆっくりと追って欲しいですし、また日本語の響きも、味わって欲しいと思っています。ですので書き終わったら、まず黙読もしくは音読をして、どこに句読点を入れるべきかというようなことも再考しました。それと、文字としての見え方にもこだわりました。まずはフォント。以前から「精興社書体」が好きで、本を出すならぜひこれでと、ずっと思っていました。かつての岩波文庫の本文(現在は表紙)や、みすず書房の本によく使われていたことで有名ですね。村上春樹の『ノルウェイの森』の単行本も、この書体でした。今だと「新潮クレスト」シリーズがそうです。

紙の本には、触感的な、フィジカルな魅力がありますね。情報を得るという以上に、そこが大きい。電子書籍だとこうはいきません。

舩木 言葉がどんな「視覚」や「触覚」を伴って伝わるか。これはとても大事な点だと思っています。音楽の世界でも「譜面ふづら」って、ありますよね? 同じ音楽でも、楽譜で音符がどんなふうに組まれ印刷されているかによって、ずいぶん印象が変わります。つまり、レイアウトも重要で、精興社書体を1行何文字で組むのがいいか、1ページ何行が読みやすいかといったことも、おろそかにできない。今回この本のデザインを担当してくださった野村瑤子さんも同様のお考えでしたので、何度もサンプルを作ってもらい、編集の田中基裕さんも含めて、繰り返し話し合いました。

本書における精興社書体の使用例

第12章「いのちのはてのうすあかり 酒の歌、大地の歌」より(本書158頁)

舩木 また装幀ほか、使用する紙についても、野村さんと編集者が徹底的に考えてくださいました。実際に手にして、ページを繰ると、「なんかいい感じ」と、じわりと伝わるものがある。多くの方からそう言われましたし、私もそう感じており、嬉しく思っています。初めての著書で、これだけ贅沢をさせて頂けるのは、とても稀なことですね。

「手紙」という手法

表題作の第15章「三月一一日のシューベルト 「途方もなさ」について」のところだけ、文体が大きく変わりますね。これはなぜでしょうか?

舩木 ここでは一貫して「おれ」という一人称を用いて、ドイツにいる誰かに宛てた手紙というスタイルで書いています。おそらくここは、ほかの章のように「私」文体で書くエッセイでは、うまくいかなかったのだと思います。もう最初から、この書き方で書き始めていました。書き直しの回数のとても多かった章ですけど。友人相手に書いているという設定だと、「きみはどう思う?」といった調子の文句もあって、感情の起伏がよりはっきり出るし、強い表現にも出られるんですね。ある書評に、書き手である私の「怒り」が伝わってくるとありましたが、たしかに、2011年3月11日の災害・被害がもたらした「途方もなさ」に対する、もどかしさ、怒りが根底にあって、それがあの文体を選ばせたのかもしれません。

そういえば装幀も、玉紐たまひもで封をした手紙を模したものになっています。表題作でもあるこの章から採られたデザインですよね?

舩木 おそらくそうだと思います。デザインの野村さんに、あえて確認してはいないのですが。この本の各章は、月刊誌『レコード芸術』での連載原稿を基にしています。それらはどれも、音楽に、音楽とは一見関係がないようなジャンルないしは事柄を、対旋律のようにぶつけ、そこから生まれる思考を綴ったものです。その手法というか、執筆態度を、音楽用語でいう対位法=コントラプンクトになぞらえ、その複数形である「コントラプンクテ」を連載時のタイトルとしました。「コントラ」とは「対置された」という意味ですから、対置関係を「著者と読者」というふうに読み替えるなら、この本全体を、著者である私から読者への「手紙」の集合体と捉えることもできますね。この素敵な装幀には、そんな意味合いが込められているのでは、と私自身は思っています。ところで、野村さんが装幀のお仕事を公にされるのは、これが初めてなんですよ!

「大人の喧嘩」

私がとくに印象深かったものに、第14章「自分の行く道 ギュンター・ヴァント没後二〇年に」があります。これは指揮者ギュンター・ヴァントと作曲家B. A. ツィンマーマンの、いわば「大喧嘩」の内幕ですよね。晩年、神のように崇められたヴァントが、かつての盟友ともいえる作曲家を相手に、こんな赤裸々な心情を吐露していたとは驚きです。

舩木 この章は「音楽家同士のコントラプンクテ」ですね。私が持論を展開するというより、彼らふたりの相対する考えを紹介し、見せる、というスタンスです。ツィンマーマンが自作のオペラ《軍人たち》を指揮して欲しいと懇願しているのに、ヴァントが頑としてそれを受け容れない。「大器晩成のブルックナー指揮者」として崇められたヴァントを、違う時代の、違う角度から見直して欲しいというのもありました。二人の間で交わされた手紙で、日本語に訳されていない、でも興味深いものがたくさんあって、その翻訳者を務めるのも、この章の私の役割でした。

震えるくらい強烈な言葉を投げつけています。

舩木 率直すぎるくらい率直な言葉ですよね。昨今、作曲家と演奏者との関係も、ずいぶん変わってきたように思います。「納得がいかない作品は指揮しない」なんて人は、あまりいないのでは? 「ぜひ振らせて頂きます」というのが普通で。腹の中はともかく、音楽家同士が表面上いつも「いいね」と言い合っているというのは、私には、ちょっと気味が悪いですね。ピアニストのヴァレリー・アファナシエフが、かつてあるインタビューで、「最近の音楽家は、みんなナイスガイ」と言っていましたが、私もそう思います。もちろんこれは、強烈な皮肉ですね。意見の率直なぶつけ合いがないんです。

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2026.01.04投稿
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舩木篤也さんが執筆された、ヴァントの晩年の録音についてのレビューです。

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「常識」に抗う

それにしても、先ほどの第15章ばかりでなく、どの章にも、何かしらの「怒り」や「不満」が根っこにある感じがします。

舩木 根っこに、ですね。ダイレクトに書いても読む方は辟易しますから、「こんなふうに考えられませんか?」とか、「ちょっとおかしくないですか?」と問いかける。そうしたトーンがたしかに、どの章にも基調として潜んでいると思います。誰からもクレームがつかないよう自主規制する、そんな言葉の使い方が、日本中にいま、はびこっている。でも、当たりさわりのない、もっと言えば「毒にも薬にもならない」文章は、批評ではないでしょう。読者の心に、ある意味で波風を立てるのが、批評だと思います。もちろん、上から目線で説き伏せようなんて微塵も思っていません。ただ、世の中で繰り返されている「紋切型」の向こうに、正しいと思われている「常識」の向こう側に、別の風景が広がっているかもしれない。それを思う想像力を持とうよ、という意識で書いているのは確かです。

この本の連載が掲載されていた『レコード芸術』は、いまは『レコード芸術ONLINE』というウェブサイトになり、舩木さんは、そちらでもこの本の続編とでもいうべき「プレルーディウム」(ドイツ語で「前奏曲」の意)という連載を執筆されています。この本を出版されてから、1年ちょっとしか経っていませんが、日本でも、世界でも、衝撃的なできごとが次々に発生し、世界が大きく変化する中、現在の連載ではそこに反応しての文章も多いように感じています。

舩木 そうだとしたら、努めてそうなるよう書いているというより、自然にそうなるのだと思います。音楽は、作品にしても、演奏にしても、時代や社会と無関係に、超然としてあるわけではないですから。あたかもそうであるかのように、これはテンポが遅いとか、アンサンブルが巧いとか粗いとか、そうした面だけ﹅﹅を言うことに終始した「音楽評論」に、個人的にはあまり興味がありません。口幅ったいようですが、書くからにはやはり「批評」でありたいと思う。拙著の副題も、そうした態度を表明したものです。

今後の連載も楽しみにしています。今日はありがとうございました。

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連載|プレルーディウム
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舩木篤也さんの連載。『三月一一日のシューベルト』のもととなった連載「コントラプンクテ 音楽の日月」の続編です。「レコード芸術ONLINE」の創刊時に更新を開始して、2026年3月現在まで18回を数えます。

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