レコ芸フォト・アーカイブレコ芸アーカイブ
『レコ芸』が目撃した名演奏家たち――1964~1974

【第12回】1974年1月~6月:ついにポリーニが来日!チェコ、ブラジルからも名匠が続々

構成・文・CDセレクト=芳岡正樹

過去71年分の旧『レコード芸術』誌には、来日した名演奏家たちの多くの貴重な写真が眠っています。当連載では、今から半世紀前(=1975年)前後の日本のクラシック界の活況を、それらの写真を通して振り返っています。1973年以降、旧『レコード芸術』では来日演奏家のグラビア掲載が増ページになったこともあり前・後篇に分けてご紹介しております。今回は1974年の上半期(1月号~6月号)です。

1974年の日本は「狂乱物価」の年。消費者物価指数は1973年で11.7%、1974年で23.2%上昇、1974年の実質GDPは-0.2%と戦後初のマイナス成長となった。こうした暗い世相を明るくしたのはスポーツと音楽だった。野球では、まず春の甲子園で初出場の徳島・池田高校がわずか11人の選手で準優勝して「さわやかイレブン」旋風を巻き起こし、海の向こうの大リーグでは、4月8日にハンク・アーロンが通算715号ホームランを打ち、ベーブ・ルースの世界記録を塗り替えた。4月11日にはボクシングWBC世界ライト級タイトルマッチで、ガッツ石松が「幻の右」でKO勝ちし、3度目の挑戦で初めて王座を獲得した。音楽ではアメリカの兄妹デュオ、カーペンターズが5月28日に3度目の来日、3万人募集の武道館公演に38万通以上の応募ハガキが来る人気ぶりだった。クラシック界でも当時、日の出の勢いで世界を席巻していたマウリツィオ・ポリーニ(1942~2024)が4月に初来日し、大旋風を巻き起こした。

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