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1959年東京都杉並区生まれ。音楽評論家。コピーライターを経て、40歳を目前にして名刺に音楽ライターと刷り込んで以来、音楽誌やCDのライナー・ノーツの執筆を中心に活動中。内外の音楽家へのインタビューも数多く手がけている。旧『レコード芸術』誌では、新譜月評で交響曲を担当。著書に『ON BOOKS advance もっときわめる! 1曲1冊シリーズ ストラヴィンスキー:《春の祭典》』(音楽之友社)がある。2016年からNHK-FMの『名演奏ライブラリー』で案内役を務めている。
今月号から当コーナーでは、2005年がアニヴァーサリー・イヤーにあたる作曲家の紹介を中心にお届けしていきます。筆者のほかにも、相場ひろ氏や増田良介氏をはじめ、さまざまな執筆者が、それぞれこだわりのある作曲家を担当する予定でいます。どうぞご期待ください。
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1回目に取り上げるのは、ロシアのペテルプルグで、1855年5月11日に生まれたアナトリ・リャードフである。こと日本では、かつてムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルによるグリンカの歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲が伝説的なLP盤に、《ババ・ヤガー》が入っていたこともあり、LP時代からの音楽ファンの場合、リャードフという作曲家の名前を見たことも聞いたこともないという人は、むしろ稀であるのではないだろうか。あるいは、ストラヴィンスキーのバレエ《火の鳥》のディスクを購入すると、ライナーノーツに、「ディアギレフは、当初、リャードフに作曲を依頼したが、進捗状況が芳しくないので、無名のストラヴィンスキーを起用した」といった内容が記載されていることだろう。したがって、リャードフというと、怠け者の作曲家というイメージを抱いている人もいらっしゃるに違いない。もちろん、リャードフ=怠け者というのは、まったくの間違いではないのだが、その59年の生涯に、作品番号にして70近くもの楽曲を残していることも忘れてはならないだろう。
音楽一家の3代目に生まれ
音楽院敦授として活躍
リャードフ家は、相父のニコライがサンクトペテルプルグ・フィルの指揮者を務め、父親のコンスタンティンは、マリインスキー劇場の指揮者として活躍。3人の叔父も音楽家という家系である。ただし、母親はリャードフが幼い時に亡くなっており、父親も彼が13歳の時に死去。その2年後の1870年にペテルブルグ音楽院に入学し、やがてR=コルサコフに師事して、大きな影署を受けることになる。卒業作品として作曲した《シラーの「メッシーナの花嫁」の終景によるカンタータ》が成功を収め、卒業後は母校で教鞭をとる一方で、宮廷合唱団の指揮者も歴任。バラキレフやリャプノフらとロシア民謡の収巣およびハーモニーを付ける作業に従事し、大きな成果を上げている。音楽院の教授として、ミヤスコフスキーやプロコフィエフを指導しているが、万事につけ反抗的だったプロコフィエフは「彼の授業は退屈だった」という感想を残している。
リャードフの代表作は
鮮烈な管弦楽用の小品!
リャードフの場合、管弦楽作品に関しては、師匠のR=コルサコフが極彩色の厚塗りの油絵的な作風だったのに対し、オーケストレーションの技法こそ、師の影響を留めているものの、より細密画風の幻想的な小品が多いのが特徴だ。ロシア民話の魔女を題材にした《ババ・ヤガー》(作品56)のように、演奏時間が3分半前後にもかかわらず、3管編成に準じる規模のオーケストラを必要とするのである。楽曲の中で現れるファゴットの呟きやきしるような響き、そしてリズミカルな動きと大胆な跳躍進行が、プロコフィエフに大きな影響を与えたことは、まず間違いがないだろう。
人間の幸福を呪う魔者を描いた《キキモラ》(作品63)は、陰鬱なアダージョとダイナミックで鮮烈なプレストから成る不思議な感触を湛えた8分弱の作品だ。
《魔法にかけられた湖》(作品62)は、冒頭からコントラバス以外の弦4部が精妙な分奏を展開。美しいトレモロにのって木管(とくにフルート)がロマンティックに明滅する魅力的な作品で、これまた演奏時間は8分足らずである。また、民謡収集の成果を活かした《8つのロシア民謡》(作品58)では、各曲ごとに楽器編成を変化させ、美しいメロディや躍動的なリズムを見事に描き出すことに成功している。
もちろん、リャードフは、プーシキン記念のための《ポロネーズ》(作品49)とアントン・ルビンシテイン像除幕式のための《ポロネーズ》(作品55)のように、より標準的なイメージのロシアン・スタイルのオーケストレーションも巧みである。
ただし、怠け者という話に戻すと、ペテルプルグ楽派に助力を惜しまず、楽譜の出版事業も手がけた豪商のベリャーエフは、ともすれば怠けがちなリャードフが作曲に代やす時間が少ないのを嘆き、「もっと書け、どんどん書け」と発破をかけ、それによって両者の関係が仲違い寸前になったこともあったということだ。ベリャーエフ主宰の集いのために、R=コルサコフやグラズノフと合作した弦楽四重奏用の機会音楽も書いてはいるが、 師匠がそうした小品を発展させてより大規模な作品を作り上げたのに対して、そういう試みをしていないあたりも、実にリャードフらしいと言ってしまえば、それまでであろう。
魅惑的な響きを湛えた
サロン風のピアノ曲
リャードフの場合、結果的に1900年前後から自らの個性を刻印した管弦楽曲を生み出すことになるわけだが、それ以前に作曲されたサロン風のピアノ曲にも、愛らしい《音楽玉手箱》(作品32)のように、魅力的なものが交じっている。ただし、ピアノ曲の分野でも、《グリンカの主題による変奏曲》(作品35)が辛うじて15分を超える規模を持っているものの、大半の曲は数分規模の小品だ。もちろん、ロシア的な楽想も出現するが、むしろショバン流儀の洗練された音楽に傾斜しているという書き方ができると思う。
リャードフの場合、20世紀に入ったあたりから、彼の他代には珍しいことに、トルストイやゴーリキーを毛嫌いするようになり、とりわけトルストイに関しては、「私にはなんの必要もない。彼は根性の人であって、断じて精神的な人ではない」と友人に書き送ったりもしている。そして、晩年期には、ニーチェの哲学に共嗚。音楽的にも、スクリャーピン風のハーモニーが漂う《4つの小品》(作品64)を1910年に完成するなど、ロシア国民楽派路線から踏み出す構えを見せることになる。しかし、11年からは病気がちになり、作曲の箪は、今まで以上に滞るようになり、14年8月28日に、妻の領地であったポリノフカで死去。享年59歳であった。
アニヴァーサリー・イヤーとはいえ、今まで書いてきたように、なにしろ小品が主であることもあり、「オール・リャードフ・プロ」が行なわれる可能性はきわめてゼロに近いものがある。それでも、2004年にはボレイコ指揮東響が、《魔法にかけられた湖》、《ババ・ヤガー》、《キキモラ》を取り上げていたし、05年6月には現田茂夫指揮大阪フィルが《キキモラ》を演奏することがアナウンスされている。また、小品が多いということは、数枚のCDで主要作品を集めてしまうことができるということでもある。ぜひ、このアニヴァーサリー・イヤーを機に、リャードフの世界に触れてみていただきたいものである!
リャードフ夫人の内助の功?
弟子たちに、古典的な技法を叩き込むことをモットーにしていたリャードフ教授は、音楽院における公的な生活とプライヴェートな側面とを明確に線引きしていたことでも知られている。リャードフは29歳の時に結婚することを決め、魅力的な女性を花嫁に迎えたが、親しい友人にも夫人を紹介しようとしなかったという話が伝わっている。リャードフ家を訪れた友人によれば、彼らを通す部屋以外には、しっかりと鍵をかけていたということだ。なかには、リャードフ夫人の存在自体を疑う友人もおり、ベリャーエフに至っては、リャードフが不在の時を狙って重要なメッセージがあるかのように装い、初めて夫人に面会することができたそうだが、師のR=コルサコフは彼らが結婚して20年以上経った時点でも、「リャードフの細君には会ったことがない」と書き記している。リャードフ夫人は、ノヴゴロド州のポリノフカに遺産として受け継いだ領地を持っており、リャードフは夏期休暇になると待ちかねたようにその地へ赴き、自然を満喫しながら怠惰な生活を送り、気が向くと散発的に作曲の筆を進めたということだ。孤独を愛したリャードフは、現実の生活よりも、おとぎ話や魔物たちの世界に耽ることを楽しみとしていたことでも知られているが、夫のライフスタイルを受け入れ、献身的に仕えたという夫人の存在がなければ、かなり異なった作風の作品を残していた可能性がありそうだと思うのは、筆者だけではないだろう。
おすすめディスク

リャードフ・管弦楽曲集
ワシリー・シナイスキー指揮BBCpo
〈録音:2000年5月〉
[Chandos(D)CHAN9911(海外盤)]
リャードフの主要な管弦楽曲が収録されており、録音状慇も良好で入手も容易。シナイスキーが楽曲の持ち味をよく活かして捌いているのが大きな聴きどころだ。師のR=コルサコフが、テーマをとくに展開もせすに、ある楽器に割り振ってソロとして活躍させることがあったのに対し、リャードフの場合は、あくまできっちりと細密画風に書き込んでいるのが特徴的。長大な作品は自分には向いていない、とリャードフ本人も考えていたようだ。

リャードフ・ビアノ独奏曲集
スティーヴン・クームズ(p)
〈録音:1997年5月〉
[Hyperion(D)CDA66986(海外盤)]
作品番号20番台以降の楽曲を中心に収めているが、リャードフのピアノ曲の全体像を眺めるという意味ではこれで十分であろう。《舟歌》Op.44が露骨にショバン風で、《4つの小品》Op.64がスクリャーピン調であるなど、個性的な管弦楽曲とはまるでイメージが異なる路線なのが興味深い。 代表作の《音楽玉手箱》Op.32がそうであるが、《操り人形》Op.29のように、煌めくような高音部の響きを活かした独特のセンスが漂う作品も残している。

ロシアの命名日
ショスタコーヴィチSQ
〈録音:1974年、76年〉
[Olympia(S)MKM233(海外盤)]
1880年代から90年代にかけて、「べャリーエフの集い」が契機になって誕生した4作品を集めたディスク。全作に登場するのは、グラズノフとリャードフのみという精勤ぶりが微笑ましい。86年に、R=コルサコフやボロディンらと1楽章ずつ担当した《ベリャーエフの名による四重奏曲》の第2楽章〈スケルツォ〉を聴けば、リャードフがボロディンの後継者としても十分にやっていけそうなセンスの持ち主であったことがよく分かる。

