
金曜連載「名演奏家再批評」。このコーナーは、新世代の書き手がクラシック音楽の名演奏家を各4回のリレー形式で論じるものです。
第10弾ではヴァイオリニストで、西洋クラシック音楽におけるジェンダースタディーズを専門に研究されている原田真帆さんが、録音史の初期に大きな足跡を残した二人の女性ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴーとイゾルデ・メンゲスを、フェミニズムの観点で再批評していきます。全4回のうち、1回目は無料公開、2回目以降は有料公開です。
■Editor’s Note
ジネット・ヌヴー Ginette Neveu(1919~49)は20世紀を代表するフランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院で学び、15歳でヴィエニャフスキ国際コンクールに優勝して以来、国際的に活躍した。情熱的で強靱な表現力を特徴とし、30歳で飛行機事故により急逝した後も、高く評価され続けている。
イゾルデ・メンゲス Isolde Menges(1893~1976)は、20世紀を代表するイギリスのヴァイオリニスト。アウアーやフレッシュに師事し、ソリストとして活躍する一方、メンゲス四重奏団を結成して室内楽にも取り組んだ。端正な技巧と美しい音色で知られ、録音史の初期を彩った演奏家でもある。
Text=原田真帆
わたしが囚われた、ミソジニーという“呪い”
1990年代前半生まれの筆者の世代が物心つく頃、CDは全盛期を迎えていた。わたしの両親は音楽家ではないが、家には西洋クラシック音楽のCDがたくさん並んでいて、とりわけ98年に買った車にCDプレイヤーのオプションを搭載して以降、幼稚園の行き帰りには交響曲が流れているのが常だった。
あとから知ったことだが、家にあるCDのうち半分はバブル期に東京で“OL”(あえて当時の言葉を使う)をしていた母のコレクションで、全体の15%ほどはブルックナーである。もう半分は父が買い集めたディアゴスティーニの付録で、一般的な音楽史を簡単になぞれる分だけの定番曲を網羅している。
しかし、それらを見渡すと男性演奏家が圧倒的に多い、ということに気付いたのは自分が25歳を過ぎてからである。むしろ無意識のうちに「こういうのは大体、男性が主流だ」と思っていた。CDジャケットに印字された名前がほとんど男性であることにこの時代は何も違和感を覚えず、もといそれを当たり前としてインストールした。
男性性に権威を感じるようになると、女性性を成熟の反対に位置付けるようになる。3歳からヴァイオリンを弾いていたわたしは、中学生になる頃にはしっかりミソジニー(女性性嫌悪)を内包していた。「ベートーヴェンやブラームスを弾くんだったら女々しくっちゃいけない」。女子にしては背が高い自分は“女々しい”から距離を置ける存在になり得ると信じていた。そういう発言するとたまに大人たちに「おもしろいね」「わかってるね」なんて褒められることも手伝い、わたしはミソジニーを拗らせた。こういう状態にある人間を専門用語で“名誉男性”と呼ぶ。
本稿では、そんな筆者がかつて忌み嫌っていた女性音楽家の演奏を、ミソジニーすなわち“呪い”が解けた今はどう聞くかという話をしたい。中でも、“マスキュリン(男性的)”と言われる曲を十八番として弾きこなした女性ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴー(1919~49)とイゾルデ・メンゲス(1893~1976)の名録音を題材にしたためる。
(女性ヴァイオリニストと「男性性」 ジネット・ヌヴー/イゾルデ・メンゲス②に続きます。2026年10月16日公開予定です)
ヴァイオリニスト・博士(音楽)。多様性のあるレパートリーの構築を目指して、日本と英国を拠点に活動。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て同大学音楽学部器楽科卒業、同声会賞を受賞。英国王立音楽院修士課程修了後、同博士課程にてヴァイオリン奏法におけるジェンダースタディーズをテーマに論文を執筆し、2024年に博士号を得る。現在は国際学会での研究発表などを続けながら、演奏活動及び後進の指導をおこなう。『音楽の友』海外レポート(イギリス)担当、またクラシック音楽コラムライブラリー『COSMUSICA』でコラムを連載。共著に『政治と音楽Ⅱ—人々の心が織りなすグローバル関係—』(晃洋書房)がある。
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